ほんやのほん

“ふつう”は幸せの中にある。だから“ふつう”を取り戻したい

“ふつう”は幸せの中にある。だから“ふつう”を取り戻したい

撮影/馬場磨貴

『ふつう』

深澤直人さんの本が出ます、と昨年にご案内を頂いてから、ずっとずっと刊行を心待ちにしていました。

私が芸大に入学したばかりの頃、学校の図書館で『デザインの輪郭』を手に取りました。ページを開くと深澤さんのデザインに対する深い想(おも)いにあふれていて、心に響いた箇所をクロッキー帳に書き写したり、一部をコピーして切り貼りしたりしながら、脳に刻み込むように読みました(このクロッキー帳は今でも手元に持っています)。『デザインの輪郭』にも“ふつう”という言葉が何度か出てきます。

ふつうにするには勇気がいる。ふつうだと途中で消えてしまう可能性がある。触れられない可能性もある。だから製品化することが重要。製品化しておけば、ふつうに戻っていく。

最初のインパクトはないかもしれない。だからまずは人がざくっとすくった手の中に入れないといけない。すーっと落ちていく状態を待っていて、最後に残ったときのことを自分は確信していなければいけない。残ったものがふつう。

深澤さんは、デザインでふつうを目指してきた、ふつうとは何かを絶え間なく考えていると『ふつう』の中でおっしゃっています。

その深澤さんが長年、D&DEPARTMENTが発行する「d long life design」「d design travel」で連載されてきたコラムをまとめたのがこの本です。もちろん“くくり”としてはデザイン書なのですが、もはや哲学書ではないか、とも読んで思いました。

ふつうとは何か。ふつうに定義はあるのか。ふつうはつくれるのか。ふつうは豊かなことなのか。普段何げなく口にしていたふつうは、何をもってふつうと言っていたのか、思い返してみてもよくわかりません。

ふと、言葉としてのふつうの定義を広辞苑で引いてみようと思ったら、広辞苑にも普通版と机上版があるのでした。どの物事の中にも、どんなものにもふつうはある、と深澤さんはおっしゃいます。ふつうの家、ふつうの時計、ふつうのコップ、ふつうのジュエリー。ふつうのカレー、ふつうの音楽、ふつうの暮らし。広辞苑にもふつうがあり、毎日使うコップにもふつうがある。

よい物かどうかを決めるもの

特に印象に残ったのは「いい感じ」という見出しのコラムです。この中では“雰囲気”について語られていて、よい物かどうかを決める最も重要なことは“きれい”でも“美しい”でもなく、“雰囲気がいい”ことであると書かれていました。

デザイナーは、物だけをデザインしてはいられない。暮らしという全体の「雰囲気」をつくらなければいけない。結局は、空気をつくるのだ、と私は思う。もう、“硬い物”をつくる時代は終わった。物と物との間にある“空気”こそ、私たちがデザインしなければならない物である。

このコラムが書かれたのは5年前の2015年です。5年前と言えば「design thinking」という言葉が日本のビジネス界で取り上げられていた頃でしょうか。その頃に、もちろんベクトルは違えど、こんな風にデザインのことを考えられていたのだと思うと、深澤直人というデザイナーのすごさを改めて感じました。

最後に、『ふつう』の巻末にはナガオカケンメイさんとの対談が収録されています。ナガオカさんもご自身のD&DEPARTMENT PROJECTで、ふつうのデザイン、ふつうのいいものを探し見つけ、その価値を世に発信し続けている方ですが、深澤さんもナガオカさんも、ふつうを尊び、ふつうの良さを知っているからこそ語られる、ふつうについてのお話はとてもスペシャルでした。

そして今はロングライフデザイン、サステイナブル、ふつう、民芸、この四つのワードがつながり重なる大切な時代ではないかと、ナガオカさんは最後に語っています。「何がふつうなのかを考える」時代だと。

突如として非日常の生活が始まった今年4月。私たちは、これまでの生活の中に当たり前にあったふつうが幸せなことだったのだ、と思い知りました。ふつうは幸せの中にある。だからふつうを取り戻したいと願う今、デザインとしてのふつうをずっと考えてこられた深澤さんのこの本が出版されたことは、ひどく運命的だと思いました。

昨年のうちに出版されていたら、きっとこの本の読み方が少し違ったことでしょう。そして皮肉にもこの状況だからこそ、多くの人がふつうとはなにかを考えるタイミングを迎えています。この本は私たちがふつうの日常を取り戻すヒントとなる一冊、なのではないかと思います。

(文・柴田あすか)

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    二子玉川 蔦屋家電 デザインコンシェルジュ。
    大学でプロダクトデザインを学んだ後、大学院修了。在学中より記録映像の研究・実践に取り組み、卒業後はフリーのカメラマンとして活動しながら、スタジオや映像制作会社に勤務。二子玉川 蔦屋家電オープンと共に書店員へ転身。

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