上間常正 @モード

いま再評価すべき、山本寛斎さんの「熱き心」

そういえば、最近はすっかり忘れていた。7月21日、山本寛斎さん死去の報への意外な反響の大きさで感じたのは、不覚だったとの思いだった。インタビューなども含めて何度も話をした時の、彼の深みのある熱さと明るさを思い出す。いまこそ、もう一度注目する必要があったのだ。

いま再評価すべき、山本寛斎さんの「熱き心」

山本寛斎さん(2004年、東京・渋谷の自分の事務所で) 戸澤裕司氏撮影

最初に会ったのは、山本さんがベトナムでの「スーパーショー」の企画を説明に行きたいと連絡してきて、会社で話を聞いた時だった。そのショーがどんなものでどんな意味があるのか知らなかったし、すでにファッションデザイナーとしては歴史上の人と思っていた。そんな人がたった一人で来て語り出したのには、当惑を覚えるばかりだった。しかし、こちらの目を真っすぐに見ながら、大きな声で身ぶり豊かに説明する言葉を聞いているうちに、思わず引き込まれてしまい、こちらも何だか元気な気分になった。

いま再評価すべき、山本寛斎さんの「熱き心」

山本寛斎さん(2016年4月、東京都港区で)

その次の機会は、毎週土曜日の朝日新聞紙面で、各界の最前線で活躍する人を2ページにわたって紹介する記事のための取材だった。山本さんは日本武道館で開く予定の活劇風スーパーショーの資金集めを続けながら、ボランティアの出演者を募ってのリハーサルも始めていた。そのショーは新選組の土方歳三を軸に幕末の若者を描くもので、山本さんは「土方は負け続けたが、最後まで絶望しなかった。時代の転換期に命をかけてチャレンジした姿を表現したい」と語った。

世田谷区民会館での熱気にあふれたリハーサル現場も見せてもらった。見ていると、剣の腕自慢が多かったはずの隊員たちの刀の振り方が、剣道の有段者である筆者からすればあまりにも素人っぽかった。それを指摘したら山本さんがすぐにみんなを集めたので、指導するはめになった。彼らの上達ぶりは、びっくりするほど早かった。演技のどんなディテールもおろそかにしないという山本さんの方針が貫かれていたからだろう。

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「土方歳三」イベントのリハーサル。出演者に囲まれ、気合を込める。衣装は自作(2004年1月、東京・世田谷区民会館で)

もう一つ思い出すのは、NHKの「課外授業 ようこそ先輩」というテレビ番組に山本さんが登場したのを見たこと。色々な分野で活躍する人々が自分の母校を訪ねて後輩たちに特別授業をするという内容で、山本さんのテーマは、岐阜市立明徳小学校6年生の1クラスが「ハロー!明徳小」と名付けたショーを、数日かけて自分たちで作り上げることだった。

山本さんは大まかなプランを説明しただけで、演技や衣装などについてひたすら自分らしさを出すように求めた。最初はモジモジしていた子供たちを、「もっと大きな声で」「ウッシャー!」と𠮟咤(しった)激励し、少しでも変われば「その調子、カッコいいじゃん」とすかさず満面の笑みでほめた。本番の舞台では、どの子も目を輝かせて元気いっぱいにはね回った。

そんな思い出も忘れていたし、日本武道館での公演にも行かなかった。その理由はおそらく、ファッションデザイナーとしての山本寛斎の色鮮やかでエネルギッシュな服は、衣装としてはインパクトがあったとしても、着るための服としては国際レベルに達していない、と判断していたからだと思う。

山本さんは1971年に歌舞伎の舞台衣装に想を得た服をロンドンで発表して脚光を浴び、デビッド・ボウイやエルトン・ジョンからの注文も受けた。しかし94年にパリのショーで発表した服は、さんざんの総スカンを食らった。2008年に出版した自著『熱き心 寛斎の熱血語10カ条』の中で、「失敗の原因は『慢心』と『奢(おご)り』だったと思う」と語っている。

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初来日したデビッド・ボウイと山本寛斎(1973年)

いま再評価すべき、山本寛斎さんの「熱き心」

山本寛斎がデビッド・ボウイのためにデザインした衣装(2017年、東京・天王洲で開かれたデビッド・ボウイ大回顧展「DAVID BOWIE is」)

彼が偉かったのは、自分が表現したかったのは服の美学ではなく、人がどう生きるべきかということなのではないかと考え、服飾デザインにとどまらない活動へ舵(かじ)をそこで切ったことだった。筆者とのインタビューでも、「スーパーショーは遊び心です」として、「自分がハッピーだと思えることを、すさまじく一生懸命にやることではないでしょうか」と説明していた。

93年にモスクワ・赤の広場で開かれた「ハロー!ロシア」は12万人を動員、ベトナムやインドなどスーパーショーはその後も次々と開かれた。2005年の愛知万博の開幕イベントや、京成電鉄の特急「スカイライナー」の車両デザインなど、表現の分野も広がった。スーパーショーは数億円を超える費用がかかることも少なくなかったが、赤字が出ることはなかったという。

いま再評価すべき、山本寛斎さんの「熱き心」

1993年6月、モスクワの赤の広場で開催された、山本寛斎さん制作の「ハロー!ロシア」。写真はオープニングの「相馬野馬追」(福島県)の騎馬武者

安土・桃山時代から江戸時代は、貴族から実権を奪った武士たちが混乱期を経て確固とした安定期に向かう長い過渡期、幕末期は実権が武士から近代的市民へと急速に変化した時期だった。そして今は、地球環境の激変や資源の枯渇などで近代的な産業社会とその実権を担っているはずの市民のあり方が、根本的な変革を求められている。山本さんが表現しようとした戦国時代の活気に満ちた美意識と、土方歳三の、武士の時代の終わりを自覚しつつなんとか新たな活路を求めてチャレンジする精神は、コロナウイルス禍で沈みがちな気分が広がる中で、まさにいま再評価してみるべきではないかと自戒を込めて思う。

今月10日には、山本さんより三つ年上の俳優・渡哲也さんが死去した。渡さんといえばテレビ番組「西部警察」での派手なアクションが思い浮かぶが、石原裕次郎亡き後の〝石原軍団〟を生真面目な人柄で和をもってまとめ続けた。日活映画「愛と死の記録」(1966年)では吉永小百合さんと愛し合いながら原爆症で死んでいく勤労青年を折り目正しく演じている。

山本さんが明るく動的だとすれば渡さんは渋く静的と対照的だが、どちらも生きるための日本の伝統的な美意識や知恵を多くの人々に向けて表現してきたといってよいだろう。そして自らの死にあたっては、どちらも最小限の家族葬を望んだことも、偶然の一致というわけではないのだと思う。

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PROFILE

上間常正

ジャーナリスト、ファッション研究者。1972年、東京大学文学部社会学科卒、朝日新聞社入社。記者生活の後半は学芸部(現・文化くらし報道部)で主にファッションを担当。パリやミラノなどの海外コレクションや東京コレクションのほか、ファッション全般を取材。2007年に朝日新聞社退社、文化学園大学・大学院特任教授(2019年3月まで)としてファッション研究に携わる。現在はフリーの立場で活動を続けている。

いま見直すべき「江戸ファッションの先進性」とは

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