東京の台所2

〈218〉母の料理が大嫌いだった彼女が28歳で気づいたこと

〈住人プロフィール〉
役者、出張料理・31歳(女性)
賃貸マンション・2LDK・JR中央線 阿佐ケ谷駅
入居1年・築年数19年・パートナー(映像作家・35歳)との2人暮らし

    ◇

 妹が重篤なアレルギー体質で子どもの頃から徹底した自然食で育った。しかし、「お弁当もうちだけ茶色い。地味な玄米菜食は大嫌いだった」と、彼女は語る。

 「友達のようにハンバーガーや生クリームたっぷりのケーキを食べたかった。味も薄くて拷問だなって思ったこともありました」

 大学進学で上京、これで自由に好きなものが食べられる、とタガが外れた。好きな時間に、好きなものを好きなだけ食べまくる。
 卒業後は、役者の道に進んだ。

 「お金もないので毎日安い食事で済ませ、台所に立つのは年に数えるほど。深夜のカップラーメンはもちろん、歩きながら安いチーズやウィンナーにかぶりつき、葬儀屋のバイトで残ったすしをもらい、深夜にバカ食い。脂っこいものが大好きで、おまけに大食いなんです。食事はできるだけ安く、できるだけたくさん食べられればいいと思っていました」

 ときおり原因不明のじんましんが出たが、放置していた。
 25歳。突然、呼吸が苦しくなり、母に「息ができない」と電話で泣きついた。
 「すぐに119番をかけなさい」「こんなことぐらいで迷惑じゃないかな……」「いいからとにかくかけなさい!」

 救急車で運ばれた。運動が引き金となりじんましんが出る運動誘発性のアナフィラキシーショックであった。治療後の病室には、実家の伊豆から駆けつけた母がもうそこにいた。
 以来3年、処方された抗アレルギー剤とステロイドを服用。少しずつ使用量が増えていった。
 やがて、アトピーと腎臓結石を併発。子宮の一部に異形成も見つかり、医師から「がんの一歩手前」と言われ、初めて愕然(がくぜん)とした。

 「がんという言葉が衝撃で、もう後戻りできない、生活を変えなくてはいけないと思い立ちました。食事だけでなく、不規則でメチャクチャな生活は、心や体を痛めつけていただけだったと、ようやく気がついたのです」

 再び母に電話をした。
 「顔がやけどみたいにゴワゴワでひどいことになってるんだ」
 「しばらく動物性たんぱく質をやめてみたら?」

 がんという言葉を聞いた時、真っ先に浮かんだのも、立ち直るきっかけを与えたのも母なのであった。

 試しに肉、魚、乳製品、卵をやめてみた。2カ月を経た頃、顔に柔らかな肌が戻っていた。

「心だけ元気に」は、むりがある

 マクロビが万病を治すという話ではない。彼女は語る。
 「私はこの経験で、体と心がつながっているという大事なことがわかったのです。当時、体調だけでなく、志す道のままならなさに悩むいっぽう、すごく傲慢(ごうまん)で、損得を考える嫌な人間でした。その嫌な自分に対するストレスを食べ物でごまかしていたと思うのです」

 飲み会では、それほど食べたくないものでも次々口に入れ、飲みたくもない酒をたくさん飲んでは自分を奮い立たせていた。
 しかし、心だけ元気にしようと思ってもだめなのだ。
 「食をちゃんとすると体が軽くなって体調が整う。すると、心も元気になって力が湧いてくるんですね」

 季節の野菜を軸に献立を考え、乾物や豆を多用。主な調味料は、みそ、しょうゆ、塩、梅に。できるだけ味は足さず、引き算の調理をする。
 そのうち、大好きだった酒やコーヒーはもういいかなと自然に飲みたくなくなった。宴会も断るようになった。
 「無理して付き合っていたんですね。当時はそのことさえ気づきませんでしたが」

 恋人と暮らす現在の部屋の台所は、「家の中でいちばん好きな場所」である。
 学生時代から一度もアップデートしていなかった調理器具をかっぱ橋道具街で探したり、無農薬野菜を扱う自然食品店を見つけたり、自然醸造の調味料だけでできるだけシンプルなレシピを考えるのが趣味になった。

〈218〉母の料理が大嫌いだった彼女が28歳で気づいたこと

子育て家庭の出張料理人に

 まだアトピーがひどくて引きこもりがちな生活をしていた頃、恋人から「『東京の台所』っていう連載があるよ。読んでみたら?」と薦められたらしい。

 「食で人生変わった人や、食を仕事にしたり、食卓から新たなコミュニケーションが生まれたり。そんなことあるのかあと。それまで私にとって食事は見せるものではなく、どこか“治療”のイメージだったんです。元気になりたいから良いものを作るけど、楽しむ要素はゼロ、みたいな。でも、これを読むと登場する人がみんな楽しそうで、私も発信してみようと、インスタや動画を始める気持ちになれました」
 そして応募につながる。

 コロナ禍で役者の仕事ができなかった今春、共働きで小さな子のいる家庭の料理サポート、いわゆる出張料理を始めた。現在は知り合いに限定して3家庭を担っている。イベントの華やかなケータリングなどではなく、子どものいる家庭に限ったのは、食は命を育む大事な営みだと思ったからだ。

 「作り置きも含めて毎回8、9品作ります。1品ごとに“おいしい” “すごい”とリアクションをくれるので、え、そんなに喜んでくれるの?と。人さまに料理を作るのは初めてで、こんな喜びがあるのかと感激しました。最後は私も一緒に食べるのですが、料理を通して子どもたちと会話が膨らむのもうれしいです」

 多忙な親たちの救世主だが、彼女は「その何倍も私が喜びをもらっている」とほほ笑む。
 先日作った料理は次の8品である。
 春巻き、麻婆豆腐、ズッキーニとホタテのソテー、アボカドのみそ汁、じゃことれんこんのすり焼き、オクラとエリンギの甘酒衣和(あ)え、揚げれんこん、ちぎりトマトのしょうが和え。大皿小皿が並んだ食卓写真のおいしそうなこと!

 近々移住して、食育に関わる仕事をしていきたいと夢を語る。本人は無意識でも、一度立ち止まり、人生を振り返りたくて取材に応募したのだなとわかった。
 本欄にはそういう応募者が少なくない。
 遠回りして気づいた大切なこと。彼女がそうだったようにこの話がまた、どこかの誰かの小さな力になったらうれしい。

〈218〉母の料理が大嫌いだった彼女が28歳で気づいたこと
 

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PROFILE

  • 大平一枝

    長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
    <記事のご感想・メッセージはこちらへ>
    http://www.kurashi-no-gara.com/

  • 本城直季(写真)

    1978年東京生まれ。現実の都市風景をミニチュアのように撮る独特の撮影手法で知られる。写真集『small planet』(リトルモア)で第32回木村伊兵衛写真賞を受賞。ほかに『Treasure Box』(講談社)など。

    公式サイト
    http://honjonaoki.com

    スタジオ兼共同写真事務所「4×5 SHI NO GO」
    https://www.shinogo45.com

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