〈219〉ネットで知り合い遠距離恋愛。快適リモート同棲

〈住人プロフィール〉
会社員・38歳(男性)
賃貸コーポ・1K・京王線 笹塚駅
入居1年・築年数約40年・ひとり暮らし
◇
去年5月のある日。彼はいつものチャット(ネット上のメッセージによる会話)アプリに接続した。システムが無作為に2名を抽出。ログインしている誰かと瞬時につながり、チャットができる。
「相手が異性とは限りません。年齢や既婚かどうかもわからない。暇つぶしにちょっとだれかと話したいときに利用する。バーで一人で飲みながらチャットする人もいます。でも残念ながら、途中で僕が男ってわかると、汚い言葉でののしって会話を切る男性は多いですよ」
もちろん名前もわからない。再び連絡を取りたいと思ったら、LINEのIDを聞く。そうしないと永遠に再びおしゃべりができないというシステムだ。
22時。佐賀在住という女性と音楽の話で盛り上がった。あるミュージシャンの名が出ると、「ライブ行ったよ!」と返ってきて驚いた。友達でも知らない人が多い、かなりマニアックなアーティストだったからだ。
音楽、映画、小説、旅。話題が尽きない。気がつけば2時間が経っていた。彼はメッセージを送った。
「よかったらLINEのIDを交換しませんか。もっとお話しましょう」
彼は広告制作業。彼女は飲食店の社員で、4店舗の運営とアートディレクションを担っている。デザインや食、アートなど、興味の対象がことごとく重なった。
多忙な彼女は恋愛がうまくいかず、「仕事が好きだし、もうだれかとつきあうのはしばらくいいかな」と思っていた矢先だった。
ほぼ毎日1時間チャットや電話で話した。彼は言う。
「いい意味で、同性と話しているみたいな気楽さがある。イラストとデザインの仕事もしていて、作品もまたすばらしい。物事に対しては論理的で、話していて飽きないし、楽しいです」
3ヶ月後の7月末、彼は佐賀を訪ねた。初めて「動いている彼女」を見て、感激した。彼女は、「彼は優しく、一緒にいて居心地がいい」。
割り符のように、顔も名前も知らないあの夜の一瞬から、ふたりの感性と相性は合致していたらしい。
コロナ禍でも変わらないふたり
この取材はふたりの希望で、彼女が上京したタイミングに合わせて敢行した。
毎月1回上京。長い休みは彼が佐賀に行く。
東京では、特別な場所に出かけるより、だいたい家でふたりで料理をして過ごすという。それ以外は散歩や銭湯、ギャラリー、美術館、カフェなどに行く。
彼は、学生時代に飲食店で働いていたこともあり、料理が得意だ。最近はパンも焼く。
初めて彼女が訪ねた日は、ビールとつまみをさっと出した。長芋の梅あえ、明太ポテト、トマトのマリネの3品である。
「わざわざ作って用意しておいてくれたとは、なんていうことだ!と胸がいっぱいになりました」と、彼女は昨日のことのように振り返る。
台所は、小さくシンプルだが、必要なものがあるべきところにちゃんとあり、収納は工夫され、いかにも使いやすそうだ。コーヒーやパン作りのための、こだわりの選びぬかれた道具が並ぶ。台所を見るだけで、人となりが伝わるような、素朴であたたかな空間だった。
ふだんは互いにビデオ通話をつけっぱなしにして過ごす。
彼女が食事や入浴を終え、ソファで本を読んでいると、画面の向こうで野菜を切ったり、フライパンで肉を炒めたりしている。「その音や映像を聞いたり眺めたりする時間が好きです」と彼女。
互いに仕事から帰ってくると「おかえり」を言い合い、今日の出来事を話し、そのあとはつけっぱなしのまま、家事や入浴、仕事の続きをする。話すでもなく、画面に映っていないこともある。
だが、不思議と1100キロの距離を感じない。まるで地続きで、隣に一つ部屋が増えたような感覚があるとふたりは語る。
だから、コロナで会えなくなっても、互いに平静でいられた。
「ゴールデンウィークに会わないかわりに、なにかふたりでリモートしながら遊ばない?」と、彼女に提案された。
ちょうど台所に棚が欲しかったので、彼女が設計図を引き、地元のホームセンターで材料をカット。配送を手配し、彼がリモートで指示を受けながら組み立てた。ユニークな大人の遊びである。
「最初から遠距離恋愛で、そういうものだと思っている。スマホをベッドに置いて、起きたら“おはよう”といって一日が始まる。お互いに疲れず、ネットではあるけれどつながっているという安心感があります。この距離感が僕にはちょうどいいです」
彼女は東京と地元の違いを楽しんでいる。
「意外に、東京より地方の方が同調圧力が強いなと感じます。東京のほうが多様性がある。それぞれ良しあしのあるふたつの拠点ができたことで、私は刺激をもらっています」
ネットから生まれた絆を上手に育んでいる。現代的で、大人同士だからこそ成立する、成熟した関係だと感じた。
彼女が同僚に恋人のことを話したら、「それ、リモート同棲(どうせい)ですね!」と言われたそうな。
なるほど言い得て妙だ。
彼は空港で彼女と会うたび毎回、「でかいな」と思うらしい。そう、画面の中の恋人はいつも小さいのだ。
コロナ禍をものともしない、リモート同棲の行く先に興味が募る。何年後かにも会ってみたいカップルである。
>>台所のフォトギャラリーへ ※写真をクリックすると、くわしくご覧いただけます。
本城直季さん、初の大規模個展
「東京の台所2」でおなじみ、フォトグラファー本城直季さんの初の大規模個展「本城直季 (un)real utopia」が、11月7日から市原湖畔美術館(千葉県市原市)で開かれます。
※展覧会は緊急事態宣言の発令を受け、会期を短縮し、1月8日(金)で終了しました。
会期:2020年11⽉7⽇(⼟)~2021年1⽉24⽇(⽇)
休館日:月曜(月曜が休日の場合は翌平日)、12月28日(月)~1月4日(月)
開館時間:平⽇10:00~17:00、土曜・休前⽇9:30~19:00、日曜・休日9:30~18:00
(最終入館は閉館時刻の30分前)
料金:⼀般800円、学生・高校生・65歳以上600円など
展覧会公式サイト
【本物? ジオラマ? 広がる不思議な風景。フォトグラファー本城直季さん、初の大規模個展】
(作品の一部をご紹介しています)
PROFILE
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大平一枝
文筆家。長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)など多数。HP「暮らしの柄」。
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本城直季(写真)
1978年東京生まれ。現実の都市風景をミニチュアのように撮る独特の撮影手法で知られる。写真集『small planet』(リトルモア)で第32回木村伊兵衛写真賞を受賞。ほかに『Treasure Box』(講談社)など。
公式サイト
http://honjonaoki.comスタジオ兼共同写真事務所「4×5 SHI NO GO」
https://www.shinogo45.com