ほんやのほん

違う生き方の誰かに触れたくなる。いずれ勇気に変わるもの

違う生き方の誰かに触れたくなる。いずれ勇気に変わるもの

撮影/馬場磨貴 (撮影協力/RELIFE STUDIO FUTAKO)

『東大卒、農家の右腕になる。』

ビジネス書とよばれるジャンルを扱っていると、「働き方」をテーマにした書籍を目にしない日はない。それだけ多くの本が刊行されているし、それだけ多くの人に求められているということだ。

仕事場と自宅の往復運動のなかで、自分の「働き方」にはどういう選択肢が残されているのか、どんな「可能性」が隠されているのか、どうしても見えづらくなる(あるいはそれにさえ無自覚になっていく)感覚は、多くの人のなかにあるのだろう。もちろん私にも確かに存在するため、「働き方」に関する情報を求める人の気持ちに自然と共感できる。自分の「働き方」を変えるには勇気がいるだろうし、勇気を出すには情報が必要だ。だから、本を通じて違う生き方をする誰かに触れたくなる。

昔ラオスを旅したとき、バスの車窓からは田園風景が広がっていた。そこで働くひとりひとりを眺めているうちに「日本で生きていかなくても、ここで生きていくことも一つの選択肢としてあるじゃないか」と、根拠はないが不思議な実感を伴った考えが通り過ぎていった。そのときのなんだか勇気が湧いてきた感覚を思い出す。これも、だれかの生き方を知る(情報を得る)からこそ、湧いてきた勇気である。きっと勇気というのは精神論の類からではなく、「知る」を通じて生まれるのだろう、なんて思ったりもした。

では、一口に情報と言っても、どういう情報が求められているのか。私たちの無意識は何を待っているのか。そんなことをいま一度考えているのは、この一冊と出会ったからである。

赤裸々につづられる軌跡

『東大卒、農家の右腕になる。』は、大きく分けて前後半の2部構成をとっている。前半の約200ページは著者・佐川友彦さんの半生がつづられている。後半は実際に佐川さんらが実践してきた農家の経営改善・業務改善が具体的に100件も(!)紹介されている(もちろん、農家ではない方でも自身の仕事に転用できることばかりだ)。

いわゆるビジネス書では、後半部分の知見やノウハウが「売りどころ」としてプッシュされることが多く、また読者としてもそういったものを求める傾向が強いのかもしれない。ただ本書をノウハウ本としてだけ見るのは実にもったいない。そのため、今回はあえて前半部分を中心に紹介したい。佐川さんのこれまでの歩みと思考の軌跡であり、一番読んでほしい部分である。このなかに「働き方」の選択肢を広げる情報がきらきらとちりばめられている。

佐川さんは、東京大学を卒業後に当時興味を持っていた「環境問題」にアプローチできる大手の外資系企業に入社。いわゆるエリートコースを進んだ才気あふれる方だ。しかし、プロジェクトを任されるようになると、その重圧と激務のなかで体調を崩してしまい、妻に勧められて行った心療内科でうつ病と診断される。その後、復職するがまたしても体調を崩してしまい、最終的には退職。メルカリにインターンするなど精力的に動こうとするも、体調を元の状態に戻せず、最終的には一度住んでいた栃木に居を移す。

さらりと紹介しているが、本書の中ではここまでの話も相当赤裸々につづられている。うつ病と診断されたことを容易に受け入れられない自分、不安をかき消すために続けた勉強、生活を切り詰めていった先の精神状態、そして「環境問題」に取り組むという夢をあきらめると決めた当時の日記……。サクセストーリーの単なる「前フリ」ではなく、覚悟をもって「さらけだしている」と分かる。ここまでのパートに救われる人もきっといるだろうな、と思う。

でも、佐川さんの物語はここからが本番だ。

さまざまな縁が重なり、栃木の阿部梨園という梨農家にインターンとして参加し、のちにその農家で「マネージャー」として経営的視点を農家に取り込んでいく役割を担う。本書のタイトルにある「右腕」というのが、この「マネージャー」という役割である。畑に出る人をプレーヤーとするならば、マネージャーは経営面を俯瞰(ふかん)で見ながら後方支援する。それこそ、部活のマネージャーに近いと佐川さんは言う。前職までの経験や休職中に勉強したことが必要とされる場所とついに出会ったのだった。

こういう「かっこいい」もある

すでに少し触れたが、本書の一つの個性はその「情報量」にある。農家のマネージャーという聞いたことのなかった「働き方」が、リアリティーをもって描かれていく。

例えば、インターンから非生産人員として就職することを社長にどう直談判したのか、初任給はいくらだったのか、3年続けた経営改善の具体例はもちろんのこと、その末に現状の生産量で出し切れる売り上げの天井に到達したとき「新たな収益源をつくるか」「佐川さんが辞めて給与分の固定費を削減するか」という究極の2択を社長と話し合うシーン。その後、クラウドファンディングで農家の経営改善という知見をオープンソースにしていくプロジェクトへと流れ込んでいく。

「こういう生き方や働き方もあるよ」と本書は語りかけてくる。「こういう形でもいいのか」「こういうかっこいいがあるのか」を知ることは、読み手が自身の新しい可能性を見つけるきっかけになりうる。なにも農家に就職しようということだけではなくて、佐川さんがたどった可能性の見つけ方が、すでに一つの「情報」なのだと気づく。

本書はいま農家とは無縁の方にも手に取ってほしい。そう思って、微力でもこの本を届けるお手伝いをするような気持ちで、店頭に並べていく。そのタイトルから「農業」や「農業経営」の棚におさめられるケースも多いと聞くが、個人的には「経営」の棚や「働き方」の棚に入れたいし、もっと言えばジャンルを問わず一番多くの方が行き来する入り口近くのスペースに、ポンと置いておきたい。

思いもよらない誰かが、足をとめてページをめくってくれるかもしれない。そこから、何かがはじまるのかもしれない。

(文・中田達大)

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