〈223〉ひとり暮らしの長いふたりが結婚に踏み切ったわけ

〈住人プロフィール〉
会社員・34歳(女性)
賃貸マンション・1DK・中央線 東中野駅
入居1年・築年数38年・夫(会社員、33歳)とふたり暮らし
◇
仲間に誘われて参加した「羊料理を食べる会」に、妙に話の合う男性がいた。
学生時代からバックパッカーの旅が好きで、現在は商社勤務。いっぽう彼女は、ブラジル留学の経験があり、当時、海外での農業調査など食にまつわる仕事に就いていた。
「彼から『もの食う人びと』に影響を受けたと聞き、私も愛読書だったので驚きました。そこに禁漁のジュゴンがおいしいという話があり、食べてみたいよねとか、食べ物の話で盛り上がったのです」
作家の辺見庸が世界を旅しながら、食を手がかりに飽食と飢餓、貧困、紛争など各国の現実を描いた代表作である。
「私がたまに行く焼き鳥屋のクレソンサラダがおいしいんだよ」「食べたいな。今度一緒に行こうよ」
かくして最初のデートは焼き鳥屋に。
案の定、互いに食べ物の話が止まらない。
彼はこう述懐する。
「僕も彼女も料理が好きなので、自分で作るとスープってこんなに手間ひまかかるものなのかとか、外で食べるちょっとした料理がどれだけ丁寧に作られているかがわかる。日本にはすごい料理人がたくさんいるのに、海外と違ってステータスが低い。それは残念なことだし、僕たちはちゃんとした料理を作る人にはそれなりの対価を払いたいし、敬意を払いたい。そこの部分が共通認識としてあったのは大きいですね」
付き合い始めて3カ月後。じつは“ジュゴン”のときからうっすら聞いていた彼のインドネシア赴任が決まった。
「なるようにしかならないと思い、3カ月間はできる限り時間を合わせて食事をしたり、家で料理をしたりして一緒に過ごしました」
転勤後、会うのは長期休暇を利用して年に4回。現地集合、現地解散というフィンランドへの旅をしたことも。
別居のまま2019年に結婚し、半年後の2020年4月、駐在を終えた彼と初めて日本でふたり暮らしが始まったのである。すると、コロナ禍でいきなりリモート生活に。
出会う前まで、「ひとり暮らしが長いので、誰かと暮らすのは無理だろうと半分考えていた」というふたりは、3食“うちめし”の結婚生活が想像以上に楽しいものだったと口をそろえる。
「家で飲むと帰りを気にしなくていいから、ふたりでどんどん飲んでしまう。気がついたらワインが1本空いていたということもしばしばで。コロナで明らかに酒量が増えました」と彼女は笑った。
地のものを食べると相手国の理解が進む
新居を東中野にしたのは、程よい街のサイズからだ。
「新宿や新大久保に歩いて食材を買いに行けますし、都心に近いのに大きな街ではないので人がそれほど多くなく、昔ながらの店もがんばっていて暮らしやすいです」
マンションは古く収納も少ないが、ふたりで立って作業しやすい台所に惹(ひ)かれた。平日は妻が和食やブラジル料理を、週末は夫がカレーを作る。チャイとカレーに使うスパイスは、散歩がてら新大久保に買い出しに行く。
ダイニングには、自家製のアチャールというインドの漬物の瓶が並んでいた。その横には、図書館のラベルが貼られた本が8冊。
『カレーライス進化論』『おいしさの人類史』『スペイン まるごと全17州おいしい旅』……。図書館好きの彼女が借りてきたものだ。
「ついつい食べ物の本を選んでしまうんですよねえ」
意外なことに、別居婚時代の彼女は、それほど料理をしなかったらしい。
「ひとりだと、作ってもなんだか味気なくて。めんどくさいという気持ちが先に立ってしまいます。だれかがいるならやってみようかなという気に初めてなれます」
ふたりで海外旅行をするときは、まず市場へ行く。
「地のものを食べると、ローカルの人に近くなる気がします。海外で働いていた頃、相手を知るのに、食べ物が一番文化的背景がわかるなと感じました。食べ物を鍵にして、こういう思想のもとにこういう料理が生まれるのかなどと考えます」(夫)
旅ができない今は東京のこの台所で、海外のあちこちで食べた思い出の味を再現して楽しむ。
彼女は言う。
「胃袋の趣味が同じなんです私たち」
長い人生、この先なにがあるかわからないが、本連載で“同卓異食”をきっかけに離婚した男女を取材したことがある私には、けっこう心強い言葉だぞと印象深く思った。
帰りがけ、あ、そういえばと彼が言う。
「この家に越して、互いに同じものを持ってたんだねって笑っちゃったものがあるんです」と、青い干しかごをふたつ、どこからか取り出してきた。
野菜や魚を干すのに便利なあれだ。
「彼はこれで牛肉を干していつかビーフジャーキーを作ろうと思っていたそうです。私はたまに野菜を干したり、みかんの保存に使ったり。結婚しても一緒に暮らしてなかったから知らなくて、10カ月前、ひとつの台所になって初めて知りました」
『もの食う人びと』に次ぐ偶然の一致。なるほど胃袋の趣味ってこういうことか。
>>台所のフォトギャラリーへ ※写真をクリックすると、くわしくご覧いただけます。
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本城直季さん、初の大規模個展
「東京の台所2」でおなじみ、フォトグラファー本城直季さんの初の大規模個展「本城直季 (un)real utopia」が、市原湖畔美術館(千葉県市原市)で開催中です。
※展覧会は緊急事態宣言の発令を受け、会期を短縮し、1月8日(金)で終了しました。
会期:2020年11⽉7⽇(⼟)~2021年1⽉24⽇(⽇)
休館日:月曜(月曜が休日の場合は翌平日)、12月28日(月)~1月4日(月)
開館時間:平⽇10:00~17:00、土曜・休前⽇9:30~19:00、日曜・休日9:30~18:00
(最終入館は閉館時刻の30分前)
料金:⼀般800円、学生・高校生・65歳以上600円など
展覧会公式サイト
【本物? ジオラマ? 広がる不思議な風景。フォトグラファー本城直季さん、初の大規模個展】
(作品の一部をご紹介しています)
PROFILE
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大平一枝
文筆家。長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)など多数。HP「暮らしの柄」。
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本城直季(写真)
1978年東京生まれ。現実の都市風景をミニチュアのように撮る独特の撮影手法で知られる。写真集『small planet』(リトルモア)で第32回木村伊兵衛写真賞を受賞。ほかに『Treasure Box』(講談社)など。
公式サイト
http://honjonaoki.comスタジオ兼共同写真事務所「4×5 SHI NO GO」
https://www.shinogo45.com