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息苦しい日々から最も遠くへ。芥川賞作家、全身全霊の大うそ

息苦しい日々から最も遠くへ。芥川賞作家、全身全霊の大うそ

撮影/猪俣博史

『暗闇にレンズ』

2020年ほど、物語の想像力が試された年はなかっただろう。目の前の現実から目をそらしたくなってそれまで親しんできた本を手に取るも、うまく入り込めず悶(もだ)えるばかり。それほどまでに過酷な現実に世界中が覆いつくされ、目に見えない蓋(ふた)のようなものを感じて息苦しさを覚える毎日だった。

そんな日々のなかで、不穏な「現在地」から最も遠い場所に連れて行ってくれたのが『暗闇にレンズ』だった。

高山羽根子作品をまとめて読む機会に恵まれ、SFと純文学を自在に行き来する文体とモチーフにすっかり魅了された。第163回芥川賞受賞作『首里の馬』に続いて手に取ったのが、受賞後第1作として発表されたこの書き下ろし長編だ。

「LIGHTS」「CAMERA」「ACTION!」と物語は大きく3部に分かれており、全体で映画撮影の段取りを模していることがわかる。だが、ストーリーはそう単純ではない。本書には定まった主人公がおらず、結果的に5人の女性が「ある使命」を継いでいく流れになっているのだ。

1896年の神戸から現代の「トウキョウ」まで。女性たちは全員が血縁でつながっているわけではないが、「映像」「映画」に関わる運命にある一族の者たちで、彼女たちがレンズをのぞいて見つめてきた社会、それぞれの「生」を賭して紡いできた映像史を通して大きな世界史が浮かび上がる仕掛けになっている。

武器であり、証しであり

照、未知江、ひかり、ルミ、そして近未来を思わせる現代に生きる「わたし」。5代にわたる女性たちの人生には、少なからず「戦争」という大きな歴史の要素が影を落とす。それでも、映画の黎明(れいめい)期から監視社会となった現代まで、それぞれの時代における映像の役割と進化が彼女たちによって伝えられ、興味深い。

時制は頻繁に前後し、フォーカスが当たる人物はめまぐるしく入れ替わる。登場人物はおびただしく、場所も、人間関係も複雑に入り交じる。その上、ところどころに作者が仕掛けたフェイクがちりばめられており、どこまでが正史でどこからが偽史なのか判然としない。だが、ここが高山羽根子の真骨頂で、「女性たちの年代記」という物語の軸がぶれずにしっかりと通っているため、大きく広げられた風呂敷は見事におさめられるのだ。

そして、書き手の壮大なたくらみの輪郭が見え始めたところで物語は静かに閉じられる。この見事なまでのケレン味に圧倒され、読後、キツネにつままれたような感覚に陥ってしまった。

本来、現実の世界ではあたりまえのように人々の前に広がる風景は、隅々まで想像のままにはいかず、すべてのものが各々自律して動いている。映画はそれを厳密な意味では省くことができない。

(物語は)撮影者が作るのではなく、また俳優や記録対象が作るのでもなく、見る側が作るのでもない。物語はそうしたすべての隙間から、望みもせず生まれてしまう火花のようなもの

レンズは映像を撮るけれど、その映像を見るのも、結局は私たちの体に備わったレンズなんだっていうこと

『光ハ偽、即チ戯』

物事の真実を随所から照らすようなこれらのフレーズは、「すべてを映し出すことができない映像」を「言葉による文章、文学」で描き出そうとする試みの無謀さと不完全さを自ら明らかにもしている。それでも、それら全部を大きなうそであるフィクションで包み込み、まるごと差し出して読ませてしまうおおらかな豊かさがこの物語にはある。

「血」ではなく「知」でつながった5人の女性たちにとって、レンズは世界に立ち向かう武器であり、自分たちが生きた証しそのものでもある。

見ること。記憶すること。記録すること。絶えず思考しそれらと対峙(たいじ)し続ける彼女たちの姿は、読み手の私たちにも目に見える現実を疑えとささやいているかのようだ。

高山さんに実際にお会いした時、「小説家というのは大ぼら吹きですから」と破顔一笑されたのが強く印象に残っている。作家が全身全霊をかけてつく大うそを、こちらも愉(たの)しまない手はない。

(文・八木寧子)

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