花のない花屋

「60歳まで生きられたら幸せ」と話していた親友が、誕生日目前で……

全国農業協同組合連合会(全農)では、新型コロナウイルスによる大きな影響を受けた花の生産者を支援する取り組みを行っています。その一環として、連載「花のない花屋」にご協力いただきました。

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〈依頼人プロフィール〉
高野久美子さん 58歳 女性
愛知県在住
菓子教室経営

     ◇

たむちゃんは、私の一番の親友でした……いえ、今も、そしてこれから先もずっとです。

たむちゃんこと田村美穂さん(仮名)と知り合ったのは、15年前、私が43歳、彼女が45歳のときのことです。
当時、私は転移再発を繰り返していたがんとの闘いの真っ最中でした。
 
彼女と出会ったのは、私がその後5年で5回も受けることになったがんの手術のうち、最初の手術をした直後。友だちのホームパーティーがきっかけです。

お互い一人暮らしということもあって気が合い、すぐに仲良くなりました。

今はがんのイメージも大きく変わり、打ち明ける人も増えたように感じます。でも当時は、がんであることを公表する人はまだ少数派。私も最初の手術は誰にも知らせず、ひとりでこっそり受けました。

でもたむちゃんと何でも話せる親友となってからは、彼女にだけは入院を知らせ、病室に来てもらっては、病気の不安や愚痴を聞いてもらうように。たわいもないおしゃべりで笑い合える時間が心の支えになっていました。

5回目の手術をする前日もそうでした。病室に来てくれた彼女とのいつものおしゃべりが、手術前の私を思いきりリラックスさせてくれました。

そして帰って行った彼女を、病室の窓から見送ろうとしたそのときです。窓一面に広がったのは、雨上がりでもないのに空にかかった大きなふたつの虹、ダブルレインボーでした。その二重のアーチの下を、駐車場から出てきた彼女の車が、さっそうと走り抜けていったように見えたのです。

翌日手術室に入り、不安と怖さとともに麻酔で眠るのを待つ間、私はあのダブルレインボーのことを思い出していました。ダブルレインボーは縁起のいいことが起こるサインとも言われています。「大丈夫」。たむちゃんが私にそう言ってくれているようでした。

そんな励ましの通り、暴れ回った私のがんはこの5回目の手術を最後になりを潜め、以来10年間再発もないまま今は元気に過ごしています。考えてみればその間、いつも私を支えてくれたのはたむちゃんでした。

ところがその彼女が昨年、突然亡くなってしまったのです。

2020年夏のある暑い日に、たむちゃんが倒れたとの連絡がありました。すぐに病院に駆けつけましたが、すでに息を引き取ったあとでした。

たむちゃんはお父様が59歳で亡くなられたこともあり、「お父さんより長生きの60歳まで生きられたら幸せ」というのが口癖でした。そして無事60歳を迎えた際には、「くみちゃん(私)にケーキを作ってもらって、パーティーを開くの」といつも言っていました。私はどんなケーキを作ろう、誰を呼ぼう、どんなパーティーにしようなど、その日がくるのを楽しみにしていました。

そんなたむちゃんの60歳のお誕生日が、いよいよ1カ月先に迫ったという時に彼女は……。

亡くなる1週間ほど前、彼女から「足が痛い」と軽い感じで連絡がありました。その足の炎症が全身に回り、敗血症を引き起こしたのが原因だったそうです。

知り合って15年、ずっと私の弱音や愚痴や不安を受け止めてくれたのに、彼女は何も言わず、旅立ってしまいました。
あとひと月だったのに、何で……。同じ問いが数え切れないほど、私の頭を駆け巡りました。

「くみちゃんはもう大丈夫。だから私は行くね」。今はそう言って空に羽ばたいていったのだと思えるようになりました。あのダブルレインボーを駆け抜けたように。

パーティーは開けませんでしたが、あんなに楽しみにしていたパーティーのテーブルの真ん中に、ケーキと一緒に輝いているようなお花をたむちゃんに贈りたいです。60歳のお誕生日おめでとう、と。

花のない花屋

≪花材≫スプレーバラ、アスター、ラナンキュラス、アルストロメリア、ブルースター、デルフィニウム、スプレーカーネーション、リューココリーネ、センニチコウ、ドラセナ

花束を作った東さんのコメント

エピソードで印象的だったダブルレインボーをイメージしました。色ごとに7層に分けることも考えましたが、レインボーカラーをちりばめた花束に。きめ細かで小ぶりな花を集めた、宝石箱のよう。つらいときに寄り添ってくれた、親友の細かな心遣い、優しさを表現しました。
花器も、お皿型の大きな器を久しぶりに使いました。親友の車が、空に広がる虹の下を駆け抜けた、あのシーンが目に浮かぶように。
お誕生日まであと1カ月……。本当に残念でしたね。出会われたのは15年前ということでしたので、長いお付き合いだったのですね。
投稿者さまもがんを患われたお体とのことなので、気を落とさず、どうかご自愛ください。

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(文・福光恵 写真・椎木俊介)

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フラワーアーティスト・東信 (あずままこと)

「60歳まで生きられたら幸せ」と話していた親友が、誕生日目前で……

1976年生まれ。
2002年より花屋を営み続け、現在は東京・南青山にてオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。2005年よりフラワーアーティストとして、ニューヨーク、パリ、ドイツ、ブラジル等、国内外で精力的な活動を展開。独自の視点から花や植物の美を表現し続けている。
近著に作品集「ENCYCLOPEDIA OF FLOWERS Ⅳ 植物図鑑」(青幻舎)など。

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PROFILE

椎木 俊介(写真)

ボタニカル・フォトグラファー

2002年、東信とともに、銀座にオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。東が植物による造形表現をはじめると時期を同じくして、カメラを手にし、刻々と朽ちゆき、姿かたちを変容させていってしまう生命のありようを写真に留める活動に傾倒していく。日々、植物に触れ、その生死に向き合ってきたからこそ導き出すことのできる、花や植物のみが生来的に有する自然界特有の色彩や生命力、神秘性を鋭く切り取っていく。

2011年に初の作品集となる東信との共著『2009-2011 Flowers』(青幻舎)を発表以降、常に独特の視点ですべての東の作品を捉え続け、近年は映像制作にも力を入れ、多岐にわたる活動を行っている。


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