上間常正 @モード

災禍の予感と、その先の希望 石岡瑛子が遺した願い

2008年の北京五輪の開会式セレモニーは、それ自体では迫力に満ちていた。対して、新型コロナウイルスの感染拡大で開催が危ぶまれている東京オリンピックのそれがどんなものになるか考えてみると、はなはだ心もとない。たった13年前のことなのに、なぜこうも違うのだろうか。東京都現代美術館で開かれている石岡瑛子展「血が、汗が、涙がデザインできるか」で見た、石岡が開会式の衣装ディレクターをつとめた北京五輪開会式の写真を見てそう感じた。だが、彼女のその表現の奥に抱いていた時代への鋭い危機感は、いまではもっと多くの人々によって共有されるようになっているのではないかと思う。

石岡は1938年東京生まれ。デザインを志し、東京藝術大学美術学部工芸科図案計画専攻に入学した。『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』(河尻亨一著、朝日新聞出版)によると、当時の藝大では現代デザインより伝統的な絵画や彫刻を重視していた。カリキュラムに失望して早めに退学した学生も多かったが、石岡は裸体のクロッキーや粘土彫刻作りなどに専念して腕を磨き、一方で演劇や映画観劇、ジャズ喫茶に通い、旅行などに精を出していたという。そんなところからも、彼女の生涯一貫した反骨精神がうかがえる。

災禍の予感と、その先の希望 石岡瑛子が遺した願い

石岡瑛子さん(1990年代)

だが卒業後は、「就職すると作家(デザイナー)にはなれない。企業の犬になるだけだよ」という仲間の声をよそに、「まずは現場で世の中の酸いも甘いも味わってみよう」と資生堂に入社した。入社試験の面接では「お茶くみはしない。給料は男性社員と同じだけほしい」との同社宣伝部に長く語り継がれることになった名セリフを吐いたという。

入社3年目に初めてディレクターを任された「ホネケーキ」の雑誌広告で、商品のせっけんをナイフでスパッと切る写真が高い評価を受けた。また化粧品「ビューティケイク」では前田美波里を起用した広告ポスターが、生命力に満ちた新たな女性像を打ち出したとして注目された。

災禍の予感と、その先の希望 石岡瑛子が遺した願い

資生堂ビューティケイクの広告(Photo:Kenji Morita)

資生堂から独立した後のパルコの一連の広告は、「裸を見るな。裸になれ」「諸君、女のためにもっと美しくなろう」「時代の心臓を鳴らすのは誰だ」などのキャッチコピーや斬新な写真表現に、時代と真っ向からかかわる石岡の生き方や強い意志が込められていた。

災禍の予感と、その先の希望 石岡瑛子が遺した願い

パルコの広告シリーズより(Photo:Kenji Morita)

1980年には拠点を米ニューヨークに移し、活動の範囲を演劇や映画、音楽のレコードジャケットのデザインなどに広げた。その仕事はどれも世界の最先端で活躍するアーティストらとの共同制作によるものだった。三島由紀夫の生涯を描いた映画『MISHIMA』では、美術監督として初めて映画の世界に足を踏み入れ、金閣寺を真っ二つに切り裂く演出でハリウッド映画界に衝撃を与えた。フランシス・F・コッポラ監督の映画『ドラキュラ』ではアカデミー賞衣装デザイン賞、マイルス・デイヴィスのアルバム『TUTU』のジャケットデザインでは米グラミー賞を受賞した。石岡の才能を高く買っていたコッポラは、自ら車を運転して彼女を撮影現場に送り迎えしていたという。

災禍の予感と、その先の希望 石岡瑛子が遺した願い

映画『MISHIMA』のためのデザイン(Photo:Kenji Morita)

カナダのモントリオールを拠点に斬新なアクロバットでサーカスの概念を変えたシルク・ドゥ・ソレイユからの依頼で受けた公演の舞台演出と布をたっぷり使った衣装は、派手な見かけの一方で、激しい動きに耐えるように計算し尽くした機能性を兼ね備えていた。子供のような明るさと徹底した頑迷ともいえるほどの作り込みの同居は、石岡のどんな仕事にも共通した特徴だった。

災禍の予感と、その先の希望 石岡瑛子が遺した願い

シルク・ドゥ・ソレイユの衣装(Photo:Kenji Morita)

中国の映画監督・張芸謀(チャン・イーモウ)がチーフディレクターを務めた北京五輪開会式で使われた膨大な数の衣装は、この国の急速な経済発展に向けた意気込みと、かつては世界をリードした文明の歴史への自尊心を表現する華麗なものだった。だが、衣装制作のため切羽詰まった作業の連続は、結果的に彼女の死につながる過酷なものだったに違いない。衣装の華やかさの底には、コロナ災禍のような人類を襲う脅威への暗い予感と、それでもその先に希望を見いだそうとする石岡の強い願いがやはり同居していたように思えた。来年2月に北京で開催予定の冬季五輪・パラリンピックの開催式の衣装がどんな風になるのかは神のみぞ知るのだろうが……。

災禍の予感と、その先の希望 石岡瑛子が遺した願い

北京五輪開会式の衣装とビデオ映像(Photo:Kenji Morita)

遺作となった映画『白雪姫と鏡の女王』は、グリム兄弟の原作に立ち戻りながら、自分で道を切り開く女性の成長物語として生まれ変わらせた作品だといわれている。白雪姫が結婚した王子や彼女に協力した7人の小人たちも、実はルイス・キャロルの物語に登場する鏡の女王と同じ悪役として描かれている。

災禍の予感と、その先の希望 石岡瑛子が遺した願い

映画『白雪姫と鏡の女王』のための衣装スケッチ(Photo:Kenji Morita)

この展覧会の主任キュレーターである藪前(やぶまえ)知子学芸員は「デザイナーとしての石岡は一貫して、人間の身体をカンヴァスにその可能性の無限の広がりを表現した」と語る。そのために、強い個性を持つ優れたアーティストたちとのコラボレーションによって、個人を超える新しい創造の形を考えていたのではないかという。そして「言葉よりも視覚言語で伝えあうことを意味していたと思う」とも。

とはいえ、会場に展示されたデザイン画や校正紙には、英語や日本語で石岡自身の意図をびっしりと書き込んでいて、彼女が言葉も決して軽視していなかったことも分かる。

この展覧会で展示された石岡の多くの作品や関連資料は、彼女の明確な意図と時代への黙示録のような深い危機感を示している。その意味では、いま世代を超えた多くの人たちが石岡の業績を見直して現状打開のためのヒントを見いだせる価値があると思う。

石岡瑛子展は2月14日まで。月曜日休館。

PROFILE

上間常正

ジャーナリスト、ファッション研究者。1972年、東京大学文学部社会学科卒、朝日新聞社入社。記者生活の後半は学芸部(現・文化くらし報道部)で主にファッションを担当。パリやミラノなどの海外コレクションや東京コレクションのほか、ファッション全般を取材。2007年に朝日新聞社退社、文化学園大学・大学院特任教授(2019年3月まで)としてファッション研究に携わる。現在はフリーの立場で活動を続けている。

今年も続く新型コロナウイルス災禍と、ピエール・カルダン死去の意味

一覧へ戻る

ファッション界での反性差別の動きと森喜朗氏発言の関係

RECOMMENDおすすめの記事