あなたはどっちの生き方? “忘れられた子どもたち”の長い旅
文: 蔦屋書店 コンシェルジュ

撮影/猪俣博史
『雪山のエンジェル』
表紙は雪山を走る白いキツネ、帯には「魔法の瞬間」という言葉。クリスマスの棚を飾る幻想的なファンタジー?と思いきや、読んでみればおとぎ話とはほど遠く、厳しい現実の世界を果敢に生きていく女の子の物語。『雪山のエンジェル』は、今こそご紹介したい一冊です。
物語は主人公のマケナが山岳ガイドの父と一緒にケニア山に登るところから始まります。リズミカルな親子の会話やマケナの心弾む様子、一緒に旅をする感覚に引き込まれます。また著者のローレン・セントジョンは環境保護活動にも従事しているそうですが、生き物や山の植生の描写がとてもみずみずしく、ケニアの自然の豊かさも存分に知ることができます。
ところが下山後、マケナの両親はマラリアにかかったマケナの伯母の看病に向かい、滞在先でエボラ出血熱により命を落としてしまいます。感染症や防護服という記述は、今実際に私たちが生きている世界とリンクするかのようです。突然孤児になったマケナは親戚の家に預けられますが、その家に居場所はなく、マケナはナイロビの街へと逃げ出します。
ケニア山の美しい自然の情景から一転して、場面は喧騒(けんそう)と交通渋滞のナイロビのスラムに変わり、そこでマケナはスノウと呼ばれるアルビノ(先天的にメラニンが欠乏して肌が白くなる遺伝子疾患)の女の子と知り合います。お互いの運命を分かち合うような出会いに、2人は友情を育みますが、不安定なナイロビの街の状況下、2人を危険が襲い、その後マケナは慈善活動をしている女性に窮地を救われます。
ヘレンという女性と共に向かったスコットランドで、マケナは安住できるのでしょうか。親友となったスノウとの再会は、はたして……。
ケニアの山では実際の生き物として、またナイロビの街やスコットランドの山ではイメージとして、マケナが苦しい時に度々現れる白いキツネこそ、表題の「雪山のエンジェル」のゆえんと思われますが、「訳者あとがき」によれば、著者のセントジョンが描きたかったのはキツネよりも、「忘れられた子どもたち」だったという言葉が印象的です。
エボラ出血熱で両親を亡くし孤児となったマケナや、アルビノということで迫害されそうになるスノウ、他にもスラムで暮らす多くの子どもたちが登場します。マケナがスラムの子どもたちに本を読み聞かせる場面、スノウと夢を語り合う場面は、今まさに現実の世界にも、きっと同じような境遇を必死で生きている子どもたちがいることに思いを馳(は)せずにはいられません。
決して平和とは言えない現実の中、困難に立ち向かう少女の物語を読む理由があるとするならば、それは文中で紹介されているアインシュタインの言葉に込められている気がします。
「アインシュタインは、想像力を『人生にこれから起こるすてきなことの予告編』だって言ってたの」(p.207)
そしてもう一つ、文中に出てくるアインシュタインの言葉をご紹介します。
「アインシュタインは、人の生き方には二種類しかないって言ってたの。一つは、奇跡なんてあるはずがないと思う生き方で、もう一つは、すべてが奇跡だと思う生き方だって」(P.232)
めまぐるしく変わる場面とテンポの速い会話、アフリカの自然や文化の描写を堪能しながらの読書の後には、マケナと共に長い旅をして心が浄化された自分に会えるかもしれません。
(文・川村啓子)
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