花のない花屋

父と兄を失い、残された私たちが“解散”を選びとるまでの日々

読者のみなさまから寄せられたエピソードの中から、毎週ひとつの「物語」を、フラワーアーティストの東信さんが花束で表現する連載です。

新型コロナウイルスで大きな影響を受けた花の生産者を支援している全国農業協同組合連合会(全農)に、その活動の一環として連載にご協力いただいています。

あなたの「物語」も、世界で一つだけの花束にしませんか? エピソードの応募はこちらから。

〈依頼人プロフィール〉
田村好美さん(仮名) 32歳 女性
東京都在住
会社員

     ◇

私は3人きょうだいの末っ子。中学生までは実家で、2人の兄と両親の5人家族で暮らしていました。高校からは長兄と私が寮生活を始め、実家は次兄と両親の3人暮らしに。そうして私が家を出て5年ほどが経ち、会社員として東京で働いていたころのことです。父が病気で亡くなり、その1カ月後に実家で暮らしていた次兄を自死で亡くしました。

2人の家族を突然失って、残された母、そして東京で働いていた長兄と私は、深い悲しみのどん底にいました。次兄が命を絶った理由は今もわかりません。遠く離れて暮らしているとはいえ、なぜもっと話を聞いてあげられなかったのか。ショックと後悔の念で私は抑うつ状態となり、満足に働けなくなってしまったのです。

そんな私の病気のこともあって、母も上京。苦しみのなか、ひとりで生きていくことは耐えがたい。そんな同じ思いを持っていた母と長兄、そして私は、東京で一緒に暮らすことを決めました。私も長兄も寮生活だったので、母と暮らすのは中学卒業以来のことです。家族とはいえ、大人になってからの同居は、戸惑う場面もありました。

でも今思うと、この同居こそが、残された私たち家族の大きな転機になりました。

元々明るい性格だった母は慣れない東京でも、すぐに地域のサークルやボランティア活動に取り組み、たくさんの友人を作るようになっていました。悲しい出来事を乗り越えて、明るく前向きに生きていこうとする母、経済面で私と母を支えてくれた兄。そんな家族に支えられ、私の病状も徐々に快方に。ゆっくりですが、人生を楽しもうという前向きな気持ちも湧いてきました。

私は休職していた仕事をやめ、バイトをしながら以前から興味のあった服飾の専門学校へ通い始めました。そして卒業と同時にアパレルメーカーに就職が決まったところで、母が切り出したのです。

「もう大丈夫だね。解散しようか」。同居開始から5年がたった頃でした。

当時兄は30歳。10年近くお付き合いしている彼女がいることは知っていました。私たちと同居していることで、結婚に踏み切れないのかもしれない。そんな心配もありました。兄が幸せになれるように、また母も生まれ故郷で元の生活に戻れるようにと、3人それぞれの地で生きていくことにして、私たちは解散しました。

その後兄は結婚し、子供も生まれ穏やかな家庭を築いています。母は地元でやはりサークルやボランティア活動に取り組んで、前向きに人生を楽しんでいます。 私はその後転職し、憧れのデザイナーの仕事につくことができました。今は、絶望的だった10年前の日々を振り返る時間もないほど、忙しい毎日です。

大人になってからのぎこちない同居から始まり、3人それぞれが、もがきながらつかんだ再生。それまで3人で暮らした5年間は、今思えば私の人生にとってかけがえのない時間です。生きている実感を取り戻そうと、デザイナーという新しい仕事への挑戦をしたのも、あの日々があったからこそだと思います。

父と次兄が亡くなってちょうど10年。コロナの前から、年に一度くらいしか会わなくなってしまった私たち家族ですが、今もなぜか、3人で暮らしていた当時のことを、思い出話として気軽に話すことができないでいます。前を向いて生きてきた私たち家族へ、東さんの生命力あふれるお花を贈っていただきたい。そしてますますの勇気をもらえたらうれしいです。

花のない花屋

≪花材≫ダリア、ハボタン、プロテア、パフィオペディラム、キセログラフィカ、オンシジューム、ガーベラ、アストランティア、多肉植物(コクチョウ)、コンパクター、ブラックタイ

花束を作った東さんのコメント

これからご家族3人が前向きに進んでいく、力強さを表現しました。そのためかっこいい感じにしたいなと、お花よりはプロテア、キセログラフィカといったグリーンを中心に、色合いもブラックや紫でまとめました。ポイントで黄色のパフィオペディラムというラン、赤いダリアが入っています。
今まで振り返れなかった日々のことを話せるようになるには、大きな心境の変化が必要かと思います。なので、生きる力が湧き上がり、今にも動き出しそうなパワーあふれる、そんな花束です。
3人が過去と向き合いながらも、これからも前へと進み続けられますように。

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花のない花屋

(文・福光恵 写真・椎木俊介)

>>これまでの「花のない花屋」をまとめ読み

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「&w」では、読者のみなさまから「物語」を募集しています。
こんな人に、こんな花を贈りたい。こんな相手に、こんな思いを届けたい。
花を贈りたい人とのエピソードと、贈りたい理由をお寄せください。毎週ひとつの物語を選んで、東さんに花束をつくっていただき、花束は物語を贈りたい相手の方にプレゼントします。その物語は花束の写真と一緒に&wで紹介させていただきます。
詳しくは応募フォームをご覧のうえ、お申し込みください。

フラワーアーティスト・東信 (あずままこと)

父と兄を失い、残された私たちが“解散”を選びとるまでの日々

1976年生まれ。
2002年より花屋を営み続け、現在は東京・南青山にてオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。2005年よりフラワーアーティストとして、ニューヨーク、パリ、ドイツ、ブラジル等、国内外で精力的な活動を展開。独自の視点から花や植物の美を表現し続けている。
近著に作品集「ENCYCLOPEDIA OF FLOWERS Ⅳ 植物図鑑」(青幻舎)など。

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PROFILE

椎木 俊介(写真)

ボタニカル・フォトグラファー

2002年、東信とともに、銀座にオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。東が植物による造形表現をはじめると時期を同じくして、カメラを手にし、刻々と朽ちゆき、姿かたちを変容させていってしまう生命のありようを写真に留める活動に傾倒していく。日々、植物に触れ、その生死に向き合ってきたからこそ導き出すことのできる、花や植物のみが生来的に有する自然界特有の色彩や生命力、神秘性を鋭く切り取っていく。

2011年に初の作品集となる東信との共著『2009-2011 Flowers』(青幻舎)を発表以降、常に独特の視点ですべての東の作品を捉え続け、近年は映像制作にも力を入れ、多岐にわたる活動を行っている。


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