スリランカ 光の島の原石たち

“隠された子ども”との出会いが、私の背中を押してくれた

写真家・石野明子さんが、一家で光の島・スリランカへ移住して4年目を迎える中で見つけた、宝石のようにきらめく物語を、美しい写真と文章で綴(つづ)る連載です。第6回は、スリランカで主に発達障害児の支援をしていた女性を紹介します。石野さんは移住早々、街中に障害児を見かけない不自然さに気づきました。その女性が教えてくれた、スリランカの障害児たちの現実とは。そして障害児の支援センターで自分の居場所ができた、そんな矢先……。

>>楽しそうな子どもたちの様子を、ぜひフォトギャラリーでも。

     ◇

スリランカから日本への飛行機が滑走路を走り始めたとき、萬夏夏(よろず・なつなつ)さん(36歳)のひざに、ぽとぽとと涙が落ちて滲(にじ)んだ。飛行機に預けた荷物の中には家族のように過ごしてきた教え子、同僚たちからのメッセージカードの束が入っている。「来世はスリランカに生まれてきて。そしてまた出会いたい」「あなたは私たちにとって大切な太陽や月と同じ」

スリランカ 石野明子 隠された子ども

急に不安とさびしさが押し寄せた。「自分で決めたことなのに……。自分の居場所を手放してしまった……!」

障害がある子どもがいない?

萬さんが初めてスリランカを訪れたのは2011年。JICAのボランティアに参加したことがきっかけだ。ボランティアを志したのは、高校生の時に見た、開発途上国の子どもたちへの支援ドキュメンタリーがきっかけだった。ドキュメンタリーの中で、最初は距離があってよそよそしかった子どもたちが、遊びを通して笑顔になる姿に胸が高なった。

そして日本で幼稚園教諭として実績を積んだ後、青年海外協力隊として見事採用。幼児教育の発展をサポートするため、それまで何も知らなかったスリランカへ派遣された。

萬さんのJICA活動中に一つの出会いが。それは元JICA隊員である馬場繁子さんが立ち上げたNGO「スランガニ」だった。スランガニは、経済的に貧しい家庭へ教育資金を援助したり、主に発達障害を持つ子どもたちに学びの場を提供する通所支援センター「リトル・トゥリー」を運営していた。

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私が住んでいるコロンボでは、体に障害を持つ大人がぼろぼろの身なりで物乞いをする姿をよく見かける。でも人口は一番多いはずなのに、目に見える障害がある子どもに出会うことはほとんどない。比率から考えても、なんだかこれはおかしいのではないか、という疑問を萬さんにぶつけてみた。

「子どもが何らかの障害を持っていると、大人になっても外に出されず存在を隠される場合もあります。あの母親は前世で行いが悪かったからだと親戚中から後ろ指を差され追い詰められていると耳にします」

萬さんから、学校に特別支援学級は増えつつあるが、あらゆる障害の子どもを受け入れる体制が整っていないため断られることも多いと教えてもらった。学びの場、自立訓練が与えられない場合、その子の未来はどうなってしまうのか……。

“隠された子ども”との出会いが、私の背中を押してくれた

JICAの活動の一環で、演技発表会を手伝うために萬さんはスランガニを訪れた。コロンボから車で5時間以上はかかるブッタラという小さな町に、「リトル・トゥリー」はあった。

皆で力を合わせてかぶを抜く「大きなかぶ」を演じていた。ひとりの先生がかぶとなって、歩くことが難しい子どもたちも先生たちのサポートのもと、かぶを抜く列に加わっていく。そして最後には裏方の萬さんも、観客だった保護者たちも皆列に加わり、笑い声があふれた。

かつてドキュメンタリーで見た、子どもたちの輝く笑顔と重なった。

萬さんはJICAの赴任期間が終わった後、支援センターで一緒に働かせて欲しいと申し出たのだった。

萬さんが大きな家族の一員になるまで

願いが通じ、2017年からスランガニの支援センターで萬さんの新たな挑戦が始まった。日本でもJICA活動中も、発達障害の子どもたちとは接してきた。その経験を踏まえ、まずは一人一人の特性を、そしてその子が先生たちと辿(たど)ってきた背景を細かく教えてもらうことから始め、自分がここでできることは何かと模索した。

日本の幼児教育は遊びを通して、子どもが主体的に学んでいく。それには彼らにとって楽しい授業作りが必要なのだが、スリランカでは幼児もイスに座って授業を受けることが大事、と考える人が多い。そのため「ナツ、どうしてその遊びをするの? それは必要?」と同僚から疑問を持たれることもあった。

そこで実際に、センターの庭の植物を使って絵の具を作る授業をやって見せた。「いい匂い!」「この花の名前は?」、普段表情のない子が笑顔になり、手の不自由な子も自ら花に手を伸ばした。いつもと違う子どもたちの様子に、「ナツが言いたいことがわかったよ! アイデアが面白いね」と興奮した様子で同僚たちが感想を伝えてくれた。

萬さんの経験と現地の熱心な先生たちの想いが徐々に混ざり合っていった。

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スランガニでは学びの場の提供とともに、自立支援のためにスリランカ産のピーナツを用い、加工、販売を行う工房「Little T’s(リトル・ティーズ)」も運営している。スリランカ産ピーナツは小ぶりながら食感もよく甘味もあり、おやつとしてもおつまみとしても人気がある。

工房で作っているのは、スリランカらしいチリペッパー味と、これまたスリランカの名産クジャクヤシの花の蜜を使った優しい甘味の2種類。両方とも手が止まらなくなってしまう。

萬さんの赴任当初、そのピーナツを買えるのは工房近くの陸軍基地と製糖工場の2箇所だけだった。萬さんは、子どもたちのことをもっと知って欲しいと、授業のない時はできあがった商品13キロを背負い、工房の近くのお店や周辺の町へ何度も足を運んだ(近くといってもバスで片道2時間かかる)。

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学校の存在は知っていても、ピーナツ工房まで知る人は少なく、驚きと共に子どもたちを支えたいと購入を決めてくれるお店が増えていった。そこは助け合い精神の強いスリランカ、「購入を決めたお店が他のお店を紹介してくれることもあったし、最初はお情けの購入だったかもしれませんが、味が良い、と入荷の催促を受けるようになっていきました」。取引先が増えたことを子どもたちに伝えるのがとてもうれしかった。

「障害があるからできない、と決めつけるのはとても怖いことです。それぞれに合わせたサポートさえできれば、一人でできることは確実に増えていきます。どんな子にもどんな家庭にも未来は明るくあって欲しい」

さらなる夢

子どもたちの成長に沿って指導方針も充実したものができあがりつつあったその矢先――。コロナ禍が襲った。支援センターも登校禁止に。学ぶ環境が奪われてしまった。スリランカのコロナ対策は厳しく、教育現場ではオンラインをのぞいて授業ができなかった。発達障害のある子たちにとって、オンラインでのやりとりは現実的ではなかった。

萬さんは電話で子どもたちの様子を聞いて課題を提案してみたり、郵送で教材を送るなど遠隔でできることを探した。しかし子どもたちに刺激を与えて学んでもらうことが大事だと考えてきたのに、実際に子どもたちと触れ合えない時間がもどかしかった。

「このままコロナ禍がおさまることを、ただ待つだけでいいのだろうか」。思うように動けないこの期間が自分の心の声に耳を澄ますきっかけとなった。

スリランカ 石野明子

スリランカに降りたって10年、いつも全力で走ってきた。「新しい場所で自分の可能性をもっと探ってみたいと感じ始めました。そしてスリランカの子どもたちと触れ合う中で『自分の家族を持つ』という夢がむくむくと大きくなっていきました」。

幼稚園教諭になるほど元々子どもが大好き。そして支援センターでは子どもの持つ可能性の素晴らしさをずっと間近で感じてきた。叶う夢かははわからない、でも挑戦だけでもしてみたい。

仕事でも、そしてプライベートでも「一歩」を踏み出すために、日本への帰国を萬さんは決心した。

指導に目を輝かせる子どもたち、どんな提案にも耳を傾けてくれる熱心な先生たち。失敗しても「そんな時もあるよ」といつも前を向かせてくれた。「許される心地よさが、受け止めてくれるその優しさが、私をいつだって強くしてくれました」

私が萬さんに会ってインタビューしたのは帰国の3日前だった。質問に対して慎重に言葉を選ぶ萬さん。きっとまだ萬さんの中で消化しきれていないものがあったのだと思う。答えるまでの“間”で彼女がスリランカをとても大事に思っていることがわかった。

スリランカ 石野明子

萬さんの決心を聞いた支援センターの皆は最初こそ「帰らないで」「嘘でしょう?」とさみしさと不安でしょんぼりしていたそうだ。

「新年度の指導方針を作っているときも、そして引き継ぎ業務をする中ではなおさら、私の伝えたかった教育技術が先生たちの中に芽生えていることを感じました」

そしてお別れの日が近くなると、みんな「やっぱりナツの幸せが一番!」と笑顔になってくれた。最後の日、支援センターの保護者、先生、スランガニのスタッフと共にお金を少しずつ工面し、お守りとして高価なネックレスを贈ってくれた。たくさんのメッセージカードと共に。

スリランカ スランガニ 石野明子

飛び立つ飛行機の中で涙がこぼれ続けた萬さん、でも機体がふわっと浮いた瞬間にハッとした。「スリランカで積み重ねてきた日々は決してなくならない。ここを離れても今の私にしかできないことがきっとあるはず。背中を押してくれたスランガニの皆のためにも、自分を信じて前に進まなくては」。萬さんの心に火が灯(とも)った。

「私の選択は決して間違っていません。これからそれが正解になるように行動すればいいだけだから。私の居場所はいくつあったっていいですし!」

元気な応援団が、スリランカから日本の萬さんに手を振っている。

NGOスランガニ
https://surangani2014.weebly.com/

>>フォトギャラリーはこちら ※写真をクリックすると、大きな画像とキャプションが表示されます。

PROFILE

石野明子

2003年、大学卒業後、新聞社の契約フォトグラファーを経て06年からフリーに。13年~文化服装学院にて非常勤講師。17年2月、スリランカ、コロンボに移住して、写真館STUDIO FORTをオープン。大好きなスリランカの発展に貢献したいと、その魅力を伝える活動を続けている。2019年4月にイカロス出版よりガイドブック「五感でたのしむ! 輝きの島スリランカへ」(税込み1760円)が出版された。

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