〈226〉5年ぶりに訪ねたあの人の台所

〈住人プロフィール〉
フリー編集者・44歳(女性)
戸建て・2DK+1LDK+ロフト・杉並区
入居1年・築年数1年・ひとり暮らし
◇
2016年、『東京の台所』で彼女を取材した(『人気フードブロガーの恋愛とごはんと明日の夢』)。その3年前に、進行性の胃がんで夫を亡くしている。朗らかで快活な人だが、彼の話をするときだけはとめどなく涙が流れた。
当時、付き合い始めて8カ月の新しい恋人と、古いマンションに暮らしていた。台所は、リビングから独立したクローズ型で、3.5畳ほど。旅先や国内で買い求めたさまざまな調理家具が棚を埋め、手の届くところに必要なものが全部ある、じつに使いやすそうな空間だった。
その彼女から、連絡が来た。
「ひとり住まいの家を建てました。よかったらぜひ取材に来てください」
ひとつの恋が終わったらしい。
5年の間に、出版社を辞めフリー編集者として食にまつわる執筆、取材、編集、イベントと多岐に活躍している様子は私も見知っていた。
あのとき「台所の南東側の小さな窓から入る光が大好きで作業がしやすい。台所に住みたいくらいです」と語っていた彼女は、どんな台所を手に入れたんだろう。
家づくりは編集の仕事に似ている
知り合いの建築家に勧められるまで、ひとり暮らしで家を建てるなど、考えたこともなかったという。
が、「地方取材で自由に動けたらいいな」という思いから一念発起して取得した自動車免許が、契機になった。
「交通の便利な東京で生まれ育ったので、長い間自動車の免許に興味がありませんでした。でもいざ取得してみると、初めて車庫入れができたとか、昨日までできなかったことが今日できるようになるのがすごくうれしい。練習すればできるんだなと。大人になるとそういう経験が減りますから。それ以来、できないとか、自分はこうだからとか、決めつけるのはやめようと意識が変わりました」
実際に体験すると、家づくりは「編集の仕事に似ている」と評する。編集者は、絵もデザインも文章も何もできない。“こういうページを作りたい”という想(おも)いを、さまざまなプロの手を借りてビジュアル化する。家も施主の想いを建築家、大工、棟梁(とうりょう)、電気工事や水道工事業者など多様な人が集まって形にするからだ。
彼女が新居に込めた想いの軸は、“住みたくなるような”旧居の台所の居心地を踏襲することである。とりわけサイド光と鍋を飾る棚にこだわった。
その結果、2階の半分が台所という個性的な間取りに。
入居1年の今は、「朝な夕な、パソコンの執筆仕事以外はほとんど台所にいます。夜はスツールに腰掛けてここで晩酌することも」とのこと。
ところで、ひとりで家を建てると両親に言ったとき、最初はどんな反応だったのだろう。
「買いなさい買いなさいと。なんの反対もありませんでした。昔から、自由に好きなように生きなさいという人たちで。私、自分のことが好きなんですが、そう言い切る人って意外に少ないでしょう? これはちょっと変わった両親の影響が大きいんです」
有孔ボードの間仕切りを挟んで、左にパントリー、右に食器棚という使いやすそうな動線や、驚くほどたくさんの台所道具が首尾よく収まる空間からは想像しにくいが、「実家はいつもゴミ屋敷のようでした。書家の母は、片付けが苦手。掃除する暇があったら一枚でも多く作品を書きたいそうで、“埃(ほこり)で人は死なない”が口癖でした」。
ふむふむ。もう少し実家の話を聞こう。
「好き」を広める遺伝子
幼い頃から友だちを呼びたくても呼べず、どうしても呼びたいときは玄関から自室までモノで塞がれた通路を自分で片付けた。
母は、書の仕事以外に気が回らない質(たち)で、小学生のあるとき、友だちを招くため、事前に自分の小遣いでおやつを買った。そして、歌舞伎揚げとCCレモンを母に渡し「お友達が来てしばらくしたら、これを出してね」とお願いした。
ところが部屋に来た母はおやつではなく自分の書を持って、友だちに「どれが好き?」と質問攻めに。「わかりません」と答えると、「わかるわからないではなく、どれが好きかと聞いているの」とさらに問いつめた。
「お弟子さんに対しても、自分が良いと思うものは絶対にゆるがずがんがん薦める。この人はなんでこうなんだろう。世の中の人は、こんなに自分のいいと思ったものを広めて回らないんじゃないかと本当に嫌でした」
友だちが帰ったあと、父に聞いた。
「お母さんは片付けもできないし、友だちにおやつじゃなくて自分の作品を見せる。お父さんはあんな奥さんでいいの?」
父はこともなげに言った。
「そういう自分の世界観をしっかり持っている人だから結婚したんだよ」
この数年に10冊余の料理本を出した彼女は、「レシピを紹介していますが、自分ではレシピ本を書いているつもりはないんです」と言った。
たとえば弁当や揚げ物やホームパーティーが苦手と思っている人に、そんなことないよ、こうすれば簡単で楽しいよと、考え方のヒントを紹介しているつもりなんです、と。
自分がいいと思った料理や道具を人に紹介し、楽しみ方、考え方を伝える。仕事の根底につねにそれがある。
なるほどたしかに、自分の“好き”を大事にしている母の影響をしっかり受けている。
自己肯定感が高いから迷わず人に伝えられるし、自己を愛せるのだ。
昼下がり、ガス台横の窓から差し込む光が美しい陰影を作っていた。住めるような台所もいいものだ。もし家賃を払いながら先々の不安を感じている人がいたらこういう選択もあることをさぞ紹介したいだろうと思ったら、とっくに家づくりの本を上梓(じょうし)していた。
前回の取材で聞いた“夢”は、食をベースにした取材、執筆活動を本業にすること。予定より早くかなった彼女に、次の夢を尋ねると、「1階の土間で料理家を呼んでワークショップをしたり、全国を歩いて自分が選んだ食品を売ったり、オンラインショップもやってみたいと考えています」と即答した。
“好き”を伝える仕事はさらに広がってゆきそうだ。
遺伝子の源流である母が、新居に来てつぶやいた言葉がまたイカしている。
「あなたが幼稚園の時、自分が大好きな塗り絵を、クラス中に“これはすばらしいからみんなもやるべきだ”って力説して回ったのよ。あんまりみんなが家でお母さんにねだるものだから、“クラスでまとめて購入することになりました”って先生に言われたんだから」
5年を経て改めて問いかけた
刺激的な家づくりの話に夢中になり、つい聞きそびれてしまったことを、後日メールで問いかけた。──この5年で、亡くなったお連れ合いは、どんな存在になったのでしょう。ご自身のなかでどんな変化がありましたか?
長い返信の中に、こんな言葉があった。
『一番大きいのは、夫の話をしても涙が出なくなったことです。今は、なんというか、かさぶたができた感じでしょうか。無理やりはがさなければ大丈夫』
『夫はもういないけれど、5年経ってこれほど人生が変わるように、これからも寄せくる波にのっていくしかないのだなと思っています。
なにしろ、私は生きているので。
きっと忘れることはありませんけれど、もうしゃーないよねと。
これからどんどん雑になっていくのが楽しみです。笑』
忘れないけれど前を見て楽しく歩いていくという宣言に、私は5年前の涙の彼女を上書きした。そうだ、なにしろ彼女は生きている。
新しいものを台所からどんどん広め続ける夢もある。この人はきっとこれからも変化を重ねていくことだろう。これはむりと決めつけない柔らかさと、両親から受け継いだ自己肯定感が、その確信を強めている。
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PROFILE
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大平一枝
文筆家。長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)など多数。HP「暮らしの柄」。
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本城直季(写真)
1978年東京生まれ。現実の都市風景をミニチュアのように撮る独特の撮影手法で知られる。写真集『small planet』(リトルモア)で第32回木村伊兵衛写真賞を受賞。ほかに『Treasure Box』(講談社)など。
公式サイト
http://honjonaoki.comスタジオ兼共同写真事務所「4×5 SHI NO GO」
https://www.shinogo45.com