「生と死」を語る言葉たち。10年前のあの日から、私たちは
文: 蔦屋書店 コンシェルジュ

撮影/猪俣博史
『大切な人は今もそこにいる』
今、震災を通して想うこと。
2011年3月11日のあの日、あなたはどこで、何をしていましたか。
先月、福島沖で発生した震度6強の「揺れ」により、体感としてあの日のことを改めて思い出した方も少なくないかもしれません。中学生ぐらいの年代に向けて「生と死」について考える本を、という趣旨で昨年秋に刊行された本書は、大人の方にも今こそ手に取って頂きたい一冊です。
岩手県陸前高田市のお寺をご実家とするノンフィクションライターの千葉望さん。震災当日、千葉さんは東京にいて、遠くの被災家族を心配しながらも、テレビの画面に映し出される、自然の猛威に襲われる故郷の姿を、ただなすすべもなく目にすることになります。この辺りの描写を読みながら、ああ自分もそうだった、こんな風に呆然(ぼうぜん)としながらも近距離の事態への対処で右往左往していたな。千葉さんの詳細な記録を読みながら、自分の3月11日の記憶をたどるような気持ちになります。
本の後半では宮沢賢治の作品を通じて、東北人の死生観が語られます。親友と共に銀河鉄道の旅に出て、道中の様々な景色や人々との出会いを経て、しまいにその親友の死を悟る少年の話『銀河鉄道の夜』や、賢治が死にゆく妹のトシを悼む有名な挽歌(ばんか)「永訣(えいけつ)の朝」。私自身は宮沢賢治の作品を語る言葉を持ち合わせてはいないけれど、それでも今回、千葉さんの手によるたくさんの「死」を読んだ後に触れた宮沢賢治作品には、なぜこの作家が東北人の魂の救済となっているのかを実感することができました。
千葉さんは震災後、陸前高田に通い、被災者の話に耳を傾け続けます。その中にはコロナ禍の今にも通じる言葉がありました。大きな被害を受けたにもかかわらず「自然は偉大だ! 自然は偉大だ!と思ったんだ」と語る漁業関係者の言葉からは、今まさに新型コロナウイルスと対峙(たいじ)している私たちに、ただ恵むだけではない自然と生きていかなくてはならない覚悟が問われているように思えます。
そして震災当時12歳だった千葉さんの姪(めい)っ子さんの言葉にはとりわけ胸を打つものがあります。
「このことはあなたの大事な経験の一つになるかもしれない」っていろんな人に言われた。でも私はそうじゃないと思ってた。しなくてもいい経験だよ。これが私の運命で、受け入れなければいけないんだろうけど、やっぱり嫌だった。せめて、12歳という年齢で知らずに済めばよかったのに。(p.82)
この1年、コロナウイルスの世界で様々なものや機会を失ってきた若者たちにも通じるところがあるように感じられます。
震災と新型ウイルス、それぞれの苦難は同じものではないけれど、報道で伝えられる死者数の一人ひとりの命の重みや、困難な状況下でも前を向こうとする人々の姿は重なるものがあり、平時とは違う今だからこそ深く共感できるものに思えます。
震災を通して他者を、そして死者を想(おも)うこと、そして悲しみに寄り添う文学の必要性を教えてくれる、今こそ心に響く一冊です。
(文・川村啓子)
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