食パンが奏でるざくざく音。都内で珍しい薪窯は、店主の手作り/パン屋塩見
文: 池田浩明

東京では珍しい薪窯(まきがま)パン屋ができた。昨年11月、代々木にオープンした「パン屋塩見」。場所は、西新宿の高層ビル街から住宅地へ入った場所。田舎にあるイメージの薪窯パン屋が、東京のど真ん中にできたのは驚きだ。
そもそも薪窯とはなにか。れんがを積んだ窯で薪を燃やし、巨大な軀体(くたい)に熱を溜(た)めこんだ後、パンを焼く。大きな熱量で焼くため、生地の芯まで熱が入り、焼成時間も短くなり、しっとりと、小麦の香りも活(い)きたパンになる。
「食パン」を食べると、薪窯の特徴がよくわかる。イートインメニューの「食パントースト」なら、焼きたての食パンを店頭ですぐ味わえる。

イートインメニュー。食パントースト、パンが主役の玉葱(たまねぎ)スープ
パイのようにざくざくの耳は、どんな楽器よりも心地よい音で崩れるように思われる。表面のぱりっぱりの褐色の下には、ふにゅうと前歯を吸い込んでしまう、おもちみたくやわらかな中身が潜む。そこから放たれる甘さときたら、スイーツとしておやつに食べたいほどの素敵さ。自家製のルヴァン種に由来する、お風呂屋さんで飲んだマミーみたいな乳酸の風味である。
パンを作っているのは、塩見聡史さん。薪窯と出会ったのは、沖縄の大学院に通っていた十数年前。薪窯の名店である「宗像堂」でバイトをはじめたときだ。
「窯がすごくかっこよくて。仕事も楽しいことばかりでした」
自らの店を持つために修業先を辞めて4年。沖縄、小田原……と薪窯パン屋に向いた適地をずっと探し、迷いつづけた。「薪で焼くハード系のパンを買いにきてくれて、手渡しできる場所ってどういうところなのか。売れる自信がなくなっちゃって。時間ばっかりすぎて、鬱(うつ)っぽくなったこともありました」
ようやく見つけたのが、いまの物件だった。

塩見聡史さん
「薪窯のパン屋は地方に多いが、正反対の東京でやったらどうだろう」
実現は困難を極めた。最大の難関は、窯の建設。3トンの耐火れんがを岐阜から運んだ。道が狭くて大型トラックが入れないため、一度、神奈川・小田原に荷物を下ろし、そこから塩見さん自ら軽トラックを駆って計4回。人海戦術で運びこみ、あとは塩見さんひとりで1個1個積んで窯を建造した。
そうまでして作った薪窯、そのパワーはものすごい。
「パンを焼いた翌日でも、(蓄熱効果が高いため)窯の上を触れないほど熱いんです。(焼いている間)窯の中はものすごい蒸気で満たされていて、扉から水滴が垂れるほど。皮をしっかりぶ厚く焼いても、中に水分が残っている」
そのおかげが、あの「ふにゅう」というおもちのような弾力。リベイクすれば5日ぐらいは余裕でおいしく食べられる。

カンパーニュ
「カンパーニュ」こそ塩見さんの自信作だ。ルヴァン種は栃木の自然栽培生産者・上野長一さんの小麦「農林61号」で継ぎ、そのほか、北海道十勝のオーガニック小麦を使用し、手ごねで作り上げる。
がりがりしたお焦げがうまい。皮は甘く、うっすらと薪の香りもついている。上野さんの小麦に特有の田園のような香り、ゴマに似た香りは「農林61号」のものだ。酸味はあくまでふわーっと。このぷにっとした感触こそ、薪窯のパンに特有のしっとり感。国産小麦ならではのお米のような甘さも相まってかき餅をほうふつとさせる。
4年もの歳月がかかっても、なぜ薪窯パン屋をやろうと思ったのか。水分や風味が抜けにくいのも理由ではある。だが、もっと決定的なものがある。

販売を担当する千葉智江さん。『みずうみ』などの著書がある絵本作家でもある
「楽しいから。それが正直な理由。生地の発酵具合に窯が間にあわなかったり、どうしても(パンごとに)ムラが出たり。(温度調節可能な)電気オーブンを使ったときのように、針の穴を通すようなパン作りはできない。パン同士がくっついちゃったのをはがして売ることもあります。でもそれだって、ちょっとちがった食感になっておいしい。そういう価値観のパン屋ってなかなかないですし」
塩見さんが薪窯でパンを焼く様子は、売り場からガラス越しに見える。一日中飛びまわっているように見えるけれど、やっているあいだは疲れを知らず、楽しすぎてあっというまに1日が終わるそうだ。開店時間にはいつも行列ができる人気。薪窯の楽しさは、その熱とともに、東京に確実に伝染している。
パン屋塩見
東京都渋谷区代々木3-9-5
03-6276-6310
12:00~18:00(売り切れ閉店)
水・木曜休
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池田さんからのお知らせ
BS朝日「パンが好きすぎる!」(土曜10時30分)出演中。池田浩明と、ゴスペラーズの酒井雄二さん。パンが好きすぎる2人が数々のパンを味わいつくす、新感覚のパン・テイスティング番組です。