私のファミリーレシピ

つつましい暮らしの甘い愉しみ、モラセスクッキー

ニューヨーカーの“おふくろの味”をつづる「私のファミリーレシピ」。人種のるつぼと呼ばれるこの街で、彼/彼女を形づくる食のルーツを探ります。今回は、ブルックリンのクラフトフェアで知り合ったジェンのお話です。(文と写真:仁平綾)

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映画『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』(2014年)で、ブルックリンに暮らす夫妻が、長年暮らしたアパートメントを売りに出す。オープンハウス(内覧)を控えた夫妻に、不動産エージェントが「朝一番にすること」と助言したのが、シナモンスティックを湯で煮だし、家中をシナモンの香りでいっぱいにすることだった。甘いシナモンの匂いが、“温かな家庭”を演出し、いつだってそれでうまくいく(家が売れる)らしい。

「ねえ、それって本当?」

私が友人のジェンにそうたずねたら、「ふふふ」と笑ってうなずいた。いわく「シナモンの香りは、アメリカの人にとって身近で特別なもの」なのだそうだ。

つつましい暮らしの甘い愉しみ、モラセスクッキー

約7年前、ブルックリンのクラフトフェアで知り合ったジェン(Jen Cogliantry)。グラフィックデザイナーの傍ら、アクセサリーブランドの「COG」を立ち上げ、活躍する1児の母

そう言われてみれば、ニューヨークでシナモンの香りに遭遇することは多い。

ベーカリーで売られているシナモンロール、レーズンとシナモンパウダーを練り込んだベーグル、グリーンマーケットで見かけるとつい手に取ってしまうアップルサイダードーナツ(濃厚なリンゴジュースで作られている)だって、ほんのりシナモンが香っている。

冬を迎えると、街のシナモン香は、ぐっと濃くなる。家族と集い食卓を囲む11月の感謝祭で食べるのは、シナモン風味のパンプキンパイだし、クリスマスの特別なおやつは、シナモンをきかせたジンジャーブレッドやジンジャークッキーだ。

心躍る冬のイベント、食卓に並ぶごちそう、オーブンの暖気、家族の笑顔……。シナモンの香りは、そんな甘美な家の記憶を呼び覚ますのだろう。だから「シナモンの匂いを嗅ぐと、心がほっとする」とジェンは言う。

つつましい暮らしの甘い愉しみ、モラセスクッキー

ジェンが暮らすのは、ブルックリンのパークスロープと呼ばれるエリア。取材で訪れたのは、クリスマス直前の12月のある日。リビングの主役はもちろん、フレッシュなもみの木

この日、ジェンが作ってくれるというファミリーレシピは、そんなシナモンが香るスイーツ。“Molasses(モラセス)”と呼ばれる糖蜜を用いるクッキーで、母方の祖母、アデラインさんから引き継いだもの。毎年のホリデーシーズンに欠かさず作るという。

祖母のアデラインさんは1908年生まれ。夫と5人の子どもと暮らしていたのは、アメリカ北東部のメイン州で、湖のそばに建つ家には、菜園を有した大きな庭があった。

「夏になると、豆やトマトなど、食卓に並ぶ野菜は全部庭のもの。祖母は収穫したイチゴやブルーベリーでジャムを作ったり、トマトを瓶詰にしたり。そうそう、小さな果樹園もあって、そこで育てたリンゴでよくアップルソースも作っていた」とジェン。

つつましい暮らしの甘い愉しみ、モラセスクッキー

1984年に撮影された祖母アデラインさんとの写真。一番右がジェン。当時、父親の仕事のため東京に暮らしていた一家を、アデラインさんがアメリカからはるばる訪ねたときのもの

地に足のついた豊かな暮らし。うらやましい、なんて思うけれど、当時の生活はそんな生易しいものではなかったらしい。「生きるため、そうする必要があっただけ」とジェン。庭の菜園は、貴重な食料源。祖父のフランクさんが湖で釣った魚を食べ、余剰分は凍らせて、厳しい冬に備えていたという。

そんな慎(つつ)ましい一家の暮らしに、いっときの甘い愉(たの)しみをもたらしたのが、モラセスクッキーだ。甘いものが好物だった祖父のため、アデラインさんがたびたび作っていたのを思い出す、とジェンは言う。

つつましい暮らしの甘い愉しみ、モラセスクッキー

モラセスクッキーはマーガリンで作るからこそ、やわらかさや軽さが出る。だから「バターで代用しないで、マーガリンで作ってほしい」

「じゃあ、さっそく始めようか」とジェンが腕まくりをして、材料がカウンターに勢ぞろい。もちろん私の好奇心は、モラセスに一直線。これまでスーパーなどで見かけたことはあったけれど、実際に口にするのはこの日が初めてだ。

日本語で“糖蜜”というぐらいだから、「すっごく甘いの?」と私。「ううん、なんていうか、焦げた砂糖のような……」と、ジェンが瓶のふたを開けてくれる。鼻を近づけ、スウッと匂いを吸いこんだ私のおでこあたりに、ピーン!と走る衝撃。

これは、「く、黒蜜!」

あんみつに、とろりと絡む褐色のアレ。モラセスは、見た目も匂いも、まさに黒蜜なのだった。

つつましい暮らしの甘い愉しみ、モラセスクッキー

いろんな種類のモラセスが売られているが、ジェンの愛用は右のGRANDMA’Sブランドのもの。左のBlackStrapというタイプは、製糖を繰り返した後の糖蜜で「苦すぎるのでクッキーには不向き」

砂糖の製造過程で得られる、いわば副産物のモラセス。昔から、白い砂糖よりも安価に手に入れることができたため、家庭で甘いお菓子を作るときは、砂糖の代替(だいたい)品として重宝されてきたという。黒蜜で作るクッキー。とてもおいしそうな予感だ。

(続く。次回は4月16日配信予定です)

つつましい暮らしの甘い愉しみ、モラセスクッキー

娘のタナーちゃんが描いた絵や、落書き、メモなどが貼られた冷蔵庫のドア。いつもちょっとしたアートギャラリーみたいで、家に遊びに行くたびに楽しみに見てしまう

つつましい暮らしの甘い愉しみ、モラセスクッキー

暖房の前に横たわる、オス猫のゼロ。クッキーには興味ゼロ!

《レシピ》モラセスクッキー(長方形のパウンドケーキ型 約2個分)

★材料
マーガリン 3本(340g)
モラセス 355ml
砂糖 1と1/2カップ
小麦粉 6カップ(ふるいにかけておく)
ジンジャーパウダー 小さじ2と1/4
クローブパウダー 小さじ3/4
オールスパイスパウダー 小さじ3/4
シナモンパウダー(重曹) 小さじ3
熱湯 1/4カップと大さじ2
ベーキングソーダ 小さじ3
塩 小さじ2

★作り方
1 鍋にマーガリンとモラセスを入れ、火にかけて溶かす。
2 大きなボウルに砂糖を入れておく。別のボウルに、小麦粉とスパイス類を合わせておく。
3 熱湯にベーキングソーダを入れたものを、1の鍋に加える。すぐに鍋を砂糖のボウルの上へ移動させ、鍋の中身が膨らむのを待つ。
4 3を、砂糖のボウルへ注ぎ入れる。砂糖が溶けるまで混ぜる。
5 4に小麦粉&スパイス類、塩を加えよく混ぜ、ラップを敷いた型に入れる。
6 上からラップで覆い、手で押して表面を平らに整え、冷蔵庫で一晩寝かせる(冷蔵庫で最大2週間保存が可能)。
7 型から出した生地を5mm~1cm幅ほどにスライスする。ベーキングシートを敷いた天板に並べる。
8 160~165度に予熱したオーブンで12~15分焼く。焼き上がったら網の上で冷ます。

つつましい暮らしの甘い愉しみ、モラセスクッキー

ジェンさんのブランドCOGのウェブサイト https://www.cog-made.com
ジェンさんのブランドCOGのインスタグラム https://www.instagram.com/this.is.cog/

※2020年12月の取材時のものです

PROFILE

仁平綾

編集者・ライター
ニューヨーク・ブルックリン在住。食べることと、猫をもふもふすることが趣味。愛猫は、タキシードキャットのミチコ。雑誌等への執筆のほか、著書にブルックリンの私的ガイド本『BEST OF BROOKLYN』、『ニューヨークの看板ネコ』『紙もの図鑑AtoZ』(いずれもエクスナレッジ)、『ニューヨークおいしいものだけ! 朝・昼・夜 食べ歩きガイド』(筑摩書房)、共著に『テリーヌブック』(パイインターナショナル)、『ニューヨークレシピブック』(誠文堂新光社)がある。
http://www.bestofbrooklynbook.com

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