花のない花屋

泣いている母のうしろで、ギュッと手を握ってくれた姉「私が守ってあげる!」

読者のみなさまから寄せられたエピソードの中から、毎週ひとつの「物語」を、フラワーアーティストの東信さんが花束で表現する連載です。

新型コロナウイルスで大きな影響を受けた花の生産者を支援している全国農業協同組合連合会(全農)に、その活動の一環として連載にご協力いただいています。

あなたの「物語」も、世界で一つだけの花束にしませんか? エピソードの応募はこちらから。

〈依頼人プロフィール〉
井上里佳さん(仮名) 34歳 女性
主婦
東京都在住

    ◇

私には7歳上の姉がいます。姉が小さい頃から両親はけんかが絶えず、母と2人で何度も家を追い出されるなど、いつも不安でさみしい思いをしていたそうです。

そんな中、姉が小学校2年生のときに私が生まれました。その日の学校の帰りの会で、先生がこんな報告をしてくれたといいます。「今日、井上さんの家に赤ちゃんが無事生まれたそうですよ」。クラスのみんなに拍手をされるなか、姉は心のなかで誓ったそうです。

「妹には、私みたいな寂しい思いはさせたくない。私が守ってあげる!」

それまではおとなしい優等生タイプだったという姉ですが、私が生まれたこの日を境に、元気でパワフルなキャラクターに変わっていったそうです。

私が小学生になっても両親の夫婦仲はよくならず、母と姉と私の3人で家を出て、母の実家に身を寄せることもありました。今でも覚えているのは、母が左手に荷物、右手はタオルで涙をぬぐいながら、駅まで歩いている光景です。泣いている母のうしろで、私の手をギュッと握って歩いてくれたのは、姉でした。そうやっていつも私を守ってくれる姉の温かさに、何度も助けられて大きくなりました。

その姉も大学を卒業後に間もなく結婚し、家を出ていきました。温かい家庭に憧れて、早く自分の家族を作りたかったのだろうと思います。姉がいなくなってからは家のなかが急に静かになり、私ひとりが取り残されたようで、寂しくて仕方ありませんでした。

結婚後もしばらくは、同じ都内に暮らしていた姉には頻繁に会いに行きましたが、26歳で第1子、それから2年おきに3人の子宝に恵まれ、育児に奔走している彼女と、成人してやはり一人暮らしを始めた私とは生活の時間が合わなくなり、少しずつ疎遠になってしまいました。

そして、姉の第1子出産から13年後の2020年、私は結婚し、まもなく妊娠がわかりました。この頃には父もずいぶんと丸くなり、母と穏やかな生活を送るようになっていましたが、それでも神経質な父に気兼ねして、産後、実家に帰ることは諦めていました。そんなときに声をかけてくれたのが姉でした。

「よければ産後、うちに来ない?」

初めての出産、しかもコロナ禍。不安がいっぱいだった私は、姉の申し出に甘えて、産後の1カ月間を姉の家で過ごさせてもらうことにしました。

姉は、パートをしながら、小学生と中学生の3人の子育てで多忙でしたが、「久しぶりの赤ちゃんのお世話で嬉しい」と楽しそうに、私と赤ちゃんの世話まで焼いてくれました。姉の子どもたちにもかわいがってもらい、我が子を囲んでわいわいがやがや。育児の不安も姉にたくさん相談でき、ゆったりとした気持ちで産後を過ごせました。

その一方で姉は、朝早くから毎食6人分のご飯を作り、洗濯機を何度も回し、眠るのは深夜になることも。私も2~3時間おきの授乳などで寝不足でしたが、姉は私よりも大きなクマを目の下に作り、1カ月間、私の母として面倒を見てくれました。

自分が出産して、気がついたこともありました。両親に頼らずに、3人の子どもを生んで育てた姉は、どれだけ大変だっただろうと。

「実は子育てが大変で、ひとりで泣いていたこともあったんだよ」

パワフルな母をやっているとばかり思っていた姉の、そんな告白も初めて聞きました。かたや私は、姉のそんな苦労をまったく知らず、話を聞いてあげることさえしなかったことを悔いています。お花が好きで庭でも育てている姉に、たくさんの感謝の気持ちを、すてきなお花で伝えることができたらと思います。

泣いている母のうしろで、ギュッと手を握ってくれた姉「私が守ってあげる!」

≪花材≫フリチラリア、プロテア、ゼンマイ、アンスリウム、パフィオペディラム、ウツボカズラ、ピンクッション、グズマニア、チランジア、多肉植物、シキミア、ポリポジウム、ドラセナ

花束を作った東さんのコメント

元気でパワフルなお姉さんの雰囲気に、ちょっとぶっ飛んだ要素を入れたうちらしいスタイルのブーケに仕上げました。ネイティブフラワーと呼ばれる、荒涼とした地域で生きている生命力あふれる強い植物を中心にしました。

赤い大きな花がアンスリウム、ちょっとサボテンのようにも見えるのはプロテアで、ピンク色と先端が黒っぽくなっているものの2種類を入れました。黄色く上向きなのがグズマニア、上にぴょんと飛び出ていて、鈴のように小花が連なっているのはフリチラリアです。下に垂れ下がっているのはグリーンネックレスで、アクセントに入れました。元気なお姉さんらしい、勢いを感じられるブーケになったかなと思います。庭でも花を育てているということだったので、ちょっとめずらしい花で驚かせられたら。

小さな頃から今まで、頼りになるお姉さんなのですね。お姉さんの優しさと頼もしさもあって、投稿者さんの今の人生があるのでしょう。感謝が伝わりますように。

泣いている母のうしろで、ギュッと手を握ってくれた姉「私が守ってあげる!」

泣いている母のうしろで、ギュッと手を握ってくれた姉「私が守ってあげる!」

泣いている母のうしろで、ギュッと手を握ってくれた姉「私が守ってあげる!」

泣いている母のうしろで、ギュッと手を握ってくれた姉「私が守ってあげる!」

(文・福光恵 写真・椎木俊介)

>>これまでの「花のない花屋」をまとめ読み

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フラワーアーティスト・東信 (あずままこと)

泣いている母のうしろで、ギュッと手を握ってくれた姉「私が守ってあげる!」

1976年生まれ。
2002年より花屋を営み続け、現在は東京・南青山にてオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。2005年よりフラワーアーティストとして、ニューヨーク、パリ、ドイツ、ブラジル等、国内外で精力的な活動を展開。独自の視点から花や植物の美を表現し続けている。
近著に作品集「ENCYCLOPEDIA OF FLOWERS Ⅳ 植物図鑑」(青幻舎)など。

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PROFILE

椎木 俊介(写真)

ボタニカル・フォトグラファー

2002年、東信とともに、銀座にオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。東が植物による造形表現をはじめると時期を同じくして、カメラを手にし、刻々と朽ちゆき、姿かたちを変容させていってしまう生命のありようを写真に留める活動に傾倒していく。日々、植物に触れ、その生死に向き合ってきたからこそ導き出すことのできる、花や植物のみが生来的に有する自然界特有の色彩や生命力、神秘性を鋭く切り取っていく。

2011年に初の作品集となる東信との共著『2009-2011 Flowers』(青幻舎)を発表以降、常に独特の視点ですべての東の作品を捉え続け、近年は映像制作にも力を入れ、多岐にわたる活動を行っている。


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