東京の外国ごはん

遠い昔に食べたお母さんの味を~ルビー(ミャンマー料理)

  • 文・写真 宇佐美里圭
  • 2017年4月18日

 「島めぐり」「おいしいゲストハウス」などなど、おいしい食べものと人をどこまでも追うライター・宇佐美里圭さんが、2020五輪に向けて変わり続ける東京で、いま気になる「外国ごはん」のお店と人を隔週でご紹介します。まずは、高田馬場のミャンマー料理から。

    ◇

 東京・新宿の高田馬場は「リトルヤンゴン」とも呼ばれ、ミャンマー人が多く住む場所として知られている。もちろんミャンマー料理のレストランも多い。2016年に民主化にかじを切ってから、ビジネスや観光で諸外国との行き来も増え、ミャンマーはにわかに注目を集めつつある。でも、ミャンマー料理って一体どんなもの?

 「必ず使うのは、ショウガ、ニンニク、玉ねぎ、タマリンド(マメ科の果実)。お肉も魚もなんでも食べますよ」

 そう答えるのは、高田馬場で2002年からミャンマー料理店「ルビー(RUBY)」で腕を振るう、ヌエヌエチョーさん。お米や豆、麺類なども食べるが、香辛料はあまり効かせず、油を多用することも特徴だ。

 最初に試してみたのは、ミャンマーの代表的な汁麺「モヒンガー」(780円)。魚でだしを取ったスープにレモングラスとナンプラーで味付けしてあり、現地の麺に近いそうめんが入っている。具は玉ねぎのから揚げとゆで卵、シャンツァイ。好みでレモンや唐辛子と一緒にいただく。にゅうめんのような口当たりに、やさしい味付けで、するすると胃の中に入っていく。

 次に試したのが、「ラペットゥ」(700円)というお茶の葉サラダ。ミャンマーでは発酵させた茶葉を食べるんだそう。干しエビ、ごま、ピーナツ、揚げニンニクをレモンやナンプラーであえたもので、ピーナツや揚げニンニクのこりこりとした歯ごたえと、うまみのハーモニーがたまらなくおいしい。これはビールが進むはず。現地では食後にお茶請けとして食べられることも多いのだとか。

 ランチタイムはミャンマー料理のビュッフェ(1080円)を目当てに地元の人が集まる。レストランはミャンマー人だけでなく、日本人のファンも多いようだ。やさしいヌエヌエチョウさんの笑顔を見るだけで、なぜだかゆるゆると心がなごんでいく。彼女のファンも多いのではないか、とふと思う。

祖国を脱出、タイを経て日本へ

 ルビーを経営しているのは、ヌエヌエチョウさんとご主人のチョウチョウソーさん夫妻だ。とても穏やかな雰囲気の二人だが、実はチョウチョウソーさんは祖国から亡命してきた難民。これまで波瀾(はらん)万丈の人生を送ってきた。

 チョウチョウソーさんはヤンゴンで28歳まで会計士として働いていたが、ミャンマーの民主化運動に参加したために身の危険を感じ、1991年に一人で来日。結婚してわずか1年もたたない頃だった。

 「そのまま国内にいると軍事政権に捕まるのは時間の問題だったので、父親と相談し、まずはタイに逃げることにしました。そこで日々情報を仕入れる中、日本の観光ビザが簡単に取れると聞いて即申請。よくわからないまま日本にやって来ました。3、4年で帰れると思っていましたが、結局そのまま25年間帰れず……。予想は大はずれでしたね(笑)」

 穏やかにそう語るが、実際の大変さは計り知れない。日本語もできない中、仕事があればなんでもやった。配線、配管工事などの下請け、ダイニングのキッチン、ビデオテープのダビングの請け負い……いろいろな職を渡り歩いた。日本語は仕事の合間に本やテレビを使い、独学で習得した。想像に難くなく、差別もたくさん経験したという。

 「現場で同じことを間違えても、日本人は怒られないのに、私たちは怒鳴られましたね。一番大変だったのは家を借りるとき。不動産屋がダメだというときもあれば、大家さんがダメだという場合もある。とにかく外国人というだけで断られ続けました」

 難民申請を受理されたのは、1998年。日本に来て7年が経っていた。在留許可が出たので、翌年すぐに妻を呼び寄せた。

東日本大震災の直後、陸前高田へ向かった

 仕事の傍ら、ミャンマーの同胞を助けようと政治活動もずっと続けていた。国内外のミャンマー人とあらゆる手段で連絡を取り合い、日本の政治家にもロビー活動などで働きかけた。ミャンマー人向けの情報誌も創刊した。

 「日本に亡命している方が、ミャンマーにいる人たちより楽です。でも、自分だけよければいいとは到底思えません。国外にいる自分たちには、彼らをサポートする責任があるとずっと思っています。私だけでなく、ミャンマー人はみんなそういう考え方ですよ」

 「ルビー」を開いたのは2002年、38歳の頃だ。友達4人とお金を出し合い、高田馬場の地下1階の狭い部屋を借りた。メニューは、妻と一緒に遠い昔に食べた「お母さんの味」を思い出しながら、試行錯誤して作った。

 「最初はけっこう厳しかったですね。でもそれは最初からわかっていたことだから(笑)。店を開いてよかったのは、知り合いが増えたこと。場所があるというのは大きいです。ここに来ればミャンマー語がわかる人がいつもいて、誰かと話せる。営業時間には、知らない人からもよく電話がかかってきました。オーバーステイなどで困っている人がたくさんいましたからね」

 なかなかミャンマーに帰れないままちょうど20年を迎えたとき、東日本大震災が起きた。チョウチョウソーさんはすぐに店を閉め、ミャンマー人の仲間を集めた。そして石巻や陸前高田へ向かった。炊き出しやがれき処理のボランティアをするためだ。もちろん、東北にはミャンマー人の友達もいなければ、日本人の友達もいない。

 「私たちの考え方はシンプルなんです。困っている人がいる。私たちはこんなことができる。じゃあ、行きましょう、とそれだけ。こういうことでは2回も3回も考えません。困っている人を助けるのは当たり前。ミャンマー人にとって、それはごく普通のことなんです」

 そして……と、チョウチョウソーさんは淡々と続ける。

 「日本社会に住んでいる以上、私もこの社会の一員だと思っています。うれしいときは一緒によろこびたいし、悲しいときは一緒に悲しみたい。それにね、被災者にとっては、知らない人も応援にきてくれた、ということがうれしいと思うんです。それが、いざというときの精神的な力になるんです」

 故郷や家族と離れ、政治難民として生きてきたチョウチョウソーさんが言う言葉は、やさしい口調なのに、ずしりと重く心に刺さってくる。そうか、日本はこういうたくさんの外国人にも支えられているのだ。こういう人たちが一緒に生きているのだ。

 ミャンマー料理を食べるたび、夫妻のやわらかい眼差しと、チョウチョウソーさんの言葉を思い出すだろう、と思った。

>>写真特集はこちら

■ルビー(RUBY)
東京都豊島区高田3-8-5 セントラルワセダ1F
TEL:03-6907-3944

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PROFILE

宇佐美里圭(うさみ・りか)編集者、ライター

宇佐美里圭

1979年、東京都生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒。在学中、ペルー・クスコにて旅行会社勤務、バルセロナ・ポンペウファブラ大学写真専攻修了。ワールドミュージック誌、スペイン語通訳、女性誌、『週刊朝日』編集部を経て、『アサヒカメラ』編集部。料理研究家・行正り香さんの書籍を多数手がける。ラテン音楽、山、ワインが好き。

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