MUSIC TALK

迷い悩んだ経験が、始まりだった 秦 基博(前編)

  • 2017年4月25日

撮影/山田秀隆

 昨年、デビュー10周年を迎えたシンガー・ソングライター秦 基博さん。オリジナルの曲を作り、弾き語りのスタイルにこだわり、ライブハウスに立ち続けた。初めてギターに触れた日からデビューまでを語る。(文・中津海麻子)

    ◇

弾き語りとの出会い

――音楽を始めたきっかけは?

 僕は三人兄弟の末っ子なのですが、12歳ぐらいのとき、六つ違いの一番上の兄が3千円ぐらいでアコースティックギターを譲り受けてきました。それを弾かせてもらったのが、最初にギターに触れた思い出です。

 とにかく楽しかった。兄が好きな長渕剛さん弾き語りの本が家にあったので、それを見ながらコードをどんどん覚えていきました。中学になると自分が好きなバンド、Mr.Childrenやエレファントカシマシ、ウルフルズの楽譜を買ってきてコピーし、弾き語りもやるように。コードを覚えてわりとすぐに、僕も自然な流れで曲を作るようになっていきました。

――中学や高校でバンドを組んだりは?

 軽音楽部に入っていたので、部活の中でコピーバンドはやりましたが、自分のバンドを組んで本格的にやろうとは考えませんでした。僕の中では、音楽は一人でやるものだと思っていたので。と言っても、一人でやることにこだわったというよりは、最初に音楽が楽しいと思った形が弾き語りだったので、その形でやるのが僕にとっては一番自然だったんだと思います。

――自作の曲を誰かの前で弾き語りすることはあったのですか?

 部屋で曲を作り録音したりはしていたのですが、それを発表することはありませんでしたね。最初に観客の前でやったのは、高校最後のライブ。コピーバンドで出た卒業ライブみたいな場でちょっと時間が余り、「じゃあ俺やろうか」と3、4曲弾き語りをしたんです。そしたら、たまたま見にきていた友達の友達が「自分がバイトをしてるライブハウスでアコースティックの日があるから、出てみたら?」と声をかけてくれた。そして、横浜の山下町にあるF.A.D yokohamaというライブハウスでオリジナル曲の弾き語りライブをするようになりました。大学に進学する頃のことです。

――どんなライブハウスだったのですか?

 パンクとかメロコアとか、結構激しい感じの曲をやるバンドのライブがメインの箱でした。ちょうど僕が20歳前後の頃って、そういう曲がすごくはやっていたんです。ほとんどそういうバンドのライブで埋め尽くされていたけれど、月に1回か2回、アコースティックの弾き語りの人が出る日があって、そこにブッキングしてもらっていました。

根拠なき自信 厳しい現実を目の当たりにして

――人前でオリジナル曲を弾き語りするようになり、周りの反応は? ご自身に変化はありましたか?

 最初は友達にチケットを買ってもらうことがほとんどだったので、たくさんの観客からの反応を得たという感じではなかったですね。それよりも、ライブハウスのオーナーの方がとても気にかけてくれて、僕の曲を客観的に評価してくれるのはもちろん、「こんな曲を書いてみたら?」「こういう音楽を聴くといいよ」と色々とアドバイスしてくれた。それが大きかったし、ありがたかった。ライブだけでなく、曲を書いては聴いてもらいに、オーナーのもとへと通いました。さらに都内のライブハウスを紹介され、月に2、3本は弾き語りライブをするようになりました。

 ステージに立ったり、周りから助言を受けたりしたことで変化していった部分はもちろんあったとは思いますが、何より大きく変わったのは、2004年、インディーズで初めてCDを出したとき。僕は、自分がいいと思っているものが形になれば、ライブのお客さんが増えるとか話題になって取り上げられるとか、何かリアクションがあると期待していたんです。根拠のない自信があった。でも反応はほとんどなかった。厳しい現実を目の当たりにしました。

 自分が書く曲ってどうなんだ? どんなライブをすればいいんだろう?……色々と考えるうちにわからなくなって、曲が作れなくなってしまった時期がありました。でも、そこで基本に立ち返って、自分が美しいと思うメロディーと、聴いてくれる人に伝わるシンプルな言葉を書けばいいんじゃないかと思えるようになったんです。そこからまた曲が生まれはじめた。あのとき迷い悩んだ経験が、一つの始まりだったように思います。

デビューして実感したこと

――大学を卒業するときは、自分が進む道についてどう考えていたのですか?

 就職は頭になく、音楽で食べていくと決めていました。美術品を運ぶバイトなどをしながら、曲を書き、都内や横浜のライブハウスに出る。そんな日々を過ごしていた中、あるライブでたまたま今の事務所の人が僕の歌を聴き、声をかけてくれた。そしてデビューが決まりました。2006年でした。

 デビューできたことはもちろんうれしかった。ただ、自分はデビューするためだけに音楽をやっていたわけじゃない。ミュージシャンを職業にして、会社員が定年を迎えるぐらいの年齢まで、ちゃんと、ずっと音楽をやっていられるようになりたいと思っていました。ようやくスタートに立ったんだ――。その気持ちが強かったですね。

――デビューして感じたことは?

 自分がやっていることは、聴いてくれる人がいて初めて成立する仕事なんだと、目に見えて、そして、感覚として実感できた。CDもそうですが、ライブで全国各地に行き、自分の音楽を聴いてくれる人がいると感じられたのは、デビューしてから最初に得た大きなものでした。聴く人に喜んでもらえる僕の世界を届けたいと、それまで以上に強く思うようになりました。

(後編へ続く)

    ◇

秦 基博(はた・もとひろ)

1980年宮崎県生まれ、横浜育ち。2006年、シングル「シンクロ」でデビュー。透明かつ繊細でありながら力強さを併せ持つ歌声は“鋼と硝子でできた声”と称され、その歌唱力とライブパフォーマンス、日常を切り取った抒情豊かな楽曲で注目を集める。2014年に映画「STAND BY ME ドラえもん」の主題歌として書き下ろした「ひまわりの約束」が130万ダウンロードを超えるヒットを記録。

デビュー10周年の活動の締めくくりとして、2017年5月4日、神奈川の横浜スタジアムでワンマンライブを開催。ニューシングル「Girl」を5月3日に、初のオールタイム・ベスト・アルバム「All Time Best ハタモトヒロ」を6月14日にリリース予定。

http://www.office-augusta.com/hata/

 

[PR]

この記事を気に入ったら
「いいね!」しよう

今、あなたにオススメ

Pickup!