MUSIC TALK

東京事変に加入、「ペトロールズ」結成 長岡亮介(前編)

  • 2017年8月22日

撮影/山田秀隆

 「ペトロールズ」のギター、ボーカルとしてアーティスティックな楽曲の世界を紡ぎ出すかと思いきや、際立つギターテクニックで多くのミュージシャンをサポートする。派手ではないのに目が離せない存在感。そんな長岡亮介さんの「原点」をたどる。(文・中津海麻子)

  ◇

父の影響でブルーグラス、カントリーに親しんだ

――音楽の原体験は?

 父がブルーグラスのバンドをやっていて、いつも家にはブルーグラスの音楽が流れていました。母もフォークが好きで、両親ともよくギターを弾いていましたね。父が仲間と一緒に「千葉ブルーグラスフェスティバル」というイベントを手伝っていたとき、小学生の僕は、赤い棒片手に駐車場で車の誘導をしたり。

 そんな家だったので、ギターにベースに、バンジョーまでありました。でも、全然興味がなかった。それが中学に入ったとき、選択授業で何か選ばなければならなくなって。サッカーや絵とか手芸とか、いろんな科目の中から選ぶんですが、やりたいことが何もなく、仕方なくギターに。その授業で初めてギターに触れました。最初に父から四つのコードを教えてもらい、それからはピーター・ポール&マリーなんかを弾いていましたね。

――どんな音楽を聴いていましたか?

 父から「これは聴いておいたほうがいい」と言われた音楽、ビートルズとかC.C.R(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)などは聴いていましたね。家にあった親のレコードやカセットを勝手にかけたりもしていたな。

 中学では、当時流行っていたJ-POPをコピーするバンドを組みました。「ししゃも」というバンドで、実は今も続いています。ユニコーンやCOMPLEX、B'zもやりました。でも基本的に僕は洋楽ばかり聴いてたから、「ベースはピックで弾くもんじゃない。高く構えて指で弾け」なんて言ったりして(笑)。こまっしゃくれたガキでしたね。

――高校でもバンドを?

 「ししゃも」に加え、カーディガンズとかをやる女の子ボーカルのおしゃれバンドとか、ラッツ&スターや「ルパン三世」のテーマを演奏する学祭バンドとか色々とやっている中で、父のバンドを手伝うことになったんです。父はブルーグラスのバンドをやっていたんですが、その中のメンバーとカントリーミュージックをやろうということになったんです。でも身近にエレキが弾ける人がいない。そこで、ギターを買ってもらうという条件で僕が加入することになったんです。

 これが本当におもしろかった。同じエレキでも、カントリーって音色や奏法がちょっと違うんです。どうなってるんだろう? と解き明かすことに夢中になった。のちのち「ギタープレーが変わってるよね」と言われることがよくあって、それがカントリーをやっていたからだと気づかされました。

 大学に進んでからはプロのカントリー歌手のバックバンドをやったりも。20歳のころイベントで椎名純平さんと知り合いました。当時のバックバンドにギターがいなかったので、「弾かせてください」と自分から頼み込みました。

――大学卒業後は音楽の道に進もうと決めていたのですか?

 大学は建築学科で、親からは「就職しろ」と言われてました。反抗する気はなく、かといって本気で就職を考えていたわけでもなく。そんなふうにモヤモヤしたまま、友達と一緒に企業の合同説明会に行くことになって。スーツ着て駅前で待ち合わせしていたのですが、そこで「俺、やめるわ」と。そのとき「音楽で生きていきたい」という自分の本当の気持ちにようやく気づいたんです。

 当時は学生なのに忙しいときは月の半分ぐらい音楽の仕事をしていたので、なんかいけるんじゃないかなと。当然プロの世界はそんなに甘くはなく、そのあとすごい貧乏することになるんだけど。

  

椎名林檎のバンド「東京事変」のギタリストとして

――2005年、「浮雲」という名で、バンド「東京事変」の2代目ギタリストに。椎名林檎さんとの出会い、加入の経緯は?

 純平さんの妹である林檎さんが「The Evil Vibrations」のライブを見にきたときにおもしろいと思ってくれたみたいで、デモテープの手伝いなどをするように。で、「東京事変」の初代のギタリストが脱退したとき声がかかりました。林檎さんはソロでやればいいのになんでバンドなんだろうと思っていたので、正直あまり乗り気じゃなかったんだけど、ちょうど鍵盤も変わることになって。2代目鍵盤の伊澤一葉くんも「なんでバンド?」と林檎さんに言ったと聞き、同じ考えの人が一緒ならいいかなと。それでバンドには入ったけど、「俺は絶対に音を歪ませない」みたいにツッパってましたね(笑)。

――ほとんど同じ時期に「ペトロールズ」を結成しています。なぜ自分のバンドを作ろうと思ったのですか?

 自分の音楽をやらなきゃ、みたいな思いがあった。ほかのアーティストを手伝ったりバンドでギター弾いたりしてると、どうしても現場で気にくわないことがあったりするんです、ここだけの話ですけど(笑)。そこで文句言うぐらいなら自分でやるしかないな、と。

 前年にイギリスに語学留学し、イギリス人が日本の音楽にすごく興味を持っていると知ったことも大きかった。日本人って「西洋に追いつこう」みたいにちょっと劣等感を抱きがちだけど、日本人として日本の音楽を日本から発信したほうがいい。そう思ったんです。

 それまで曲のおおまかな構成を作ったりしたことはあったんですが、楽曲も作って詞も書いてというのは、ペトロールズを結成してから本格的に始めました。

――3人編成にしたのは?

 トリオって振り幅が大きいと思うんです。人数が増えるとミニマムがそもそもでかくなって、とっさに「こうしたい」と思っても融通がなかなかきかない。それがトリオなら、小さくもなれるし大きくもなれる。あとは、トリオは単純にカッコいいからっていうのも3ピースにした理由ですね。

 ボブ(河村俊秀さん)は高校から一緒で、バンド「ししゃも」のメンバーです。いいドラマーになってほしくて声をかけました。ジャンボ(三浦淳吾さん)は、以前純平さんのバンドとよく対バンしていたヒップホップバンド「Loop Junktion」のベースでした。このバンドがすごくカッコよくて、自分のバンドをやるならこの人がいいな、と。

 最初に集まったとき、自分以外の二人は初対面。しばらくはちょっとやりづらそうでした。音楽も初期は今よりもずっとロックな感じだった。若気の至りですね(笑)。

――「東京事変」と「ペトロールズ」。音楽性もカラーも違う二つのバンド、どんな存在だったのですか?

 ペトロールズは、ちょっとダサい言い方だけど「身内」っぽい。俺ひねくれてるから、一緒にやるとき、音楽的に「普通こうするよね」というところに行ってほしくないんです。それを、言わなくてもわかってくれる。一方、東京事変はメンバーそれぞれがキャリアもロジックもキャラクターもしっかり確立しているバンド。それを踏まえた上で一緒にやる、というスタンスでした。どちらがいいというわけじゃないけど、自分の中では完全に別物だった。

 ペトロールズは最初のうちは、ライブをやっても全然お客さんが入らなかった。でも、絶対に「浮雲」の名前は出しませんでした。事変の浮雲のバンドじゃなく、長岡亮介の音楽をやるバンド。そうじゃなければ、やる意味がないと思っていたから。

(後編へ続く)

    ◇

長岡亮介(ながおか・りょうすけ)

1978年生まれ、千葉県出身。2005年、スリーピースバンド「ペトロールズ」を結成、リードボーカルとギターを担当。また、2005年から2012年まで浮雲名義で「東京事変」のギタリストとしても活動。自らのバンド活動に加え、星野源など様々なアーティストのサポートを行っている。
2015年、ペトロールズ結成10年目で初のフルアルバム「Renaissance」をリリースした。
ペトロールズ 公式サイト:http://www.petrolz.jp/

【ライブ情報】「BASE-12 II」

9月12日(火) 東京 新木場スタジオコースト
9月16日(土) 広島 広島クラブクアトロ
9月17日(日) 兵庫 神戸VARIT.
9月24日(日) 北海道 旭川CASINO DRIVE
9月25日(月) 北海道 札幌ペニーレーン24
10月1日(日) 秋田 秋田Club SWINDLE
10月2日(月) 宮城 仙台RENSA
10月7日(土) 岐阜 岐阜CLUB ROOTS
10月13日(金)島根 松江AZTiC canova
10月15日(日)山口 周南RISING HALL
10月20日(金)大阪 BIGCAT
10月27日(金)愛知 名古屋クラブクアトロ
10月28日(土)静岡 SOUND SHOWER ark
11月10日(金)福岡 FUKUOKA BEAT STATION
11月11日(土)熊本 熊本NAVARO
11月25日(土)徳島 徳島club GRINDHOUSE
11月26日(日)高知 高知X-pt.
12月2日(土) 沖縄 桜坂セントラル
12月9日(土) 大阪 梅田クラブクアトロ
12月20日(水)東京 新木場スタジオコースト
12月22日(金)新潟 新潟LOTS

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