東京ではたらく

ドライビングインストラクター:篠原美雪さん(23歳)

  • 文 小林百合子 写真 野川かさね
  • 2018年1月11日

職業:指定自動車教習所のインストラクター
勤務地:世田谷区
勤続:2年目
勤務時間:9:30~21:30の間で8~10時間(シフト制)
休日:3勤1休制
この仕事の面白いところ:指導したことが教習生に伝わり、苦手なポイントを克服してもらえたとき。
この仕事の大変なところ:教習生によって最適な教え方を見つけなければならないところ。

    ◇

 世田谷区にあるコヤマドライビングスクール成城校でインストラクターとして働き始めて2年目です。

 出身は山梨県で、大学進学のため上京。大学では体育を専攻し、将来は体育教師になりたいと思っていました。

 中学はバレーボール部、高校はソフトボール部とスポーツが好きで、ソフトボール部のポジションはピッチャー。まったくの初心者で入部したのですが、先生や先輩の指導のおかげで、楽しく部活生活を送ることができました。

 体育教師を志したきっかけのひとつも部活にあって。後輩の中には自分と同じように初心者で入部する子も多く、その指導をするうちに、人に何かを教えるのって楽しいなと思うようになりまして。

 もちろん指導したからといって全員がすぐに上手にできるようになるとは限りません。でも、うまくできなかったときにはさらにその人を観察して、「ここを変えたらいいんじゃないか」と自分なりに分析したり、提案してみたり。

 それがうまく伝わって、後輩が苦手を克服できたときはすごく達成感がありましたね。ああ、この教え方でよかったんだなって。

 

9時30分からの朝一番の教習が始まる前に、担当する教習車を洗車。「冬場はキツイ仕事ですね(笑)」

 「教える」ことと「スポーツ」、自分が好きで、人よりちょっと自信が持てる分野を合わせたら、自然と体育教師という道を選んでいたという感じです。

 大学ではバレーボールサークルに入っていたのですが、もうひとつ手話サークルでも活動をしていて。

 母が手話通訳士をやっているので、手話は身近なものでした。耳が不自由な方のサークルのようなところにも小さな頃から参加していて、少しですが母から手話を教えてもらっていました。

 大学に入って、手話をもう一度学び直そうと思ったのは、大学で耳が不自由な友達ができたから。「ノートテイカー」といって、授業中、耳の不自由な学生の隣に座って、先生が話していることをノートに書いて説明したり、手話でサポートするボランティアにも参加したりしていました。

 耳が不自由な方はひとりだとなかなか情報を得られなかったり、学生生活にも不便な部分が多かったりすると思うので、何か助けになりたいなという気持ちはいつもありました。それは母の影響も大きいと思います。

立地的に教習生の多くは大学生。「学生さんとは年齢が近いので、親近感を持った教習を。年配の方へは自分の父母に教えるような気持ちで教習しています」

 就職活動では教員試験のほか、視野を広げて一般企業もいろいろと受験しました。というのも、じつは教員になることに若干の不安がありまして……。

 教育実習で教師という仕事の現場を見たわけですが、それはもう本当に大変そうで。勤務時間の長さもそうですが、土日も部活に時間を割く先生方を見ていると、ああ、これは「なりたい」という気持ちだけでは務まらない仕事だぞと。

 そんな気持ちが伝わってしまったのか、結局教員採用試験はうまくいかず。その後は一般企業で自分のやりたいことができる会社を探そう、と。そんなとき思い出したのが、今働いている教習所でした。

 コヤマドライビングスクールでは年に一度、耳が不自由な方々がパフォーマンスするチャリティーライブイベントを主催しているのですが、大学3年生のときにボランティアとして参加したことがあったんです。

 平成20年に道路交通法が一部改正になり、聴力の基準を満たさない聴覚障がい者でも、ワイドミラーの装着等を条件に普通免許を取得できるようになったということで、当時、コヤマドライビングスクールはいち早く聴覚障がい者の免許取得をサポートしていました。

 そんな流れの中で、社員のみなさんが「免許取得以外にも何かサポートできることをやろう」と始められたのがチャリティーイベント。耳が不自由な方がダンスを踊ったり、手話で歌を歌ったり。

 ああ、この方たちは耳が聞こえる私たちの何十倍も練習をしてステージに上がっているんだなと思ったら、本当に感動的で。スタッフとして参加していたにもかかわらず、大感激してしまいました。

教習生の多くがつまずくバックでの駐車を説明。ときには途中で停車し、教習生と一緒に車外に出て寄せ具合を確認することも。「なるほど!」と思ってもらえると、上達が早いんです

 その会場でお客様の誘導をしていたとき、ある男性に「君たちはなんでこのイベントを手伝ってるの? お金とかもらえないんでしょ」と声をかけられたことがありました。「単純に手話が好きだからです」と答えたら、とてもうれしそうにしていらして。

 聞くと彼の恋人が耳の不自由な方で、その人は好きな人と話がしたい一心で「指文字」を覚えたのだそうです。「指文字」というのは、「あ」「い」「う」というひと文字ひと文字を手話で表すものなのですが、指文字だけで会話をするというのは時間もかかりますし、ものすごく大変なんです。

 それを恋人のためだけに必死で覚えて……、その愛がすごいなあって。なぜか強く印象に残ったんですよね。人によって手話に出合うきっかけはさまざまです。出合わない人のほうがきっと多いと思います。

 そんななかで、自分は小さい頃から自然と手話に親しんできました。この先社会に出るにあたって、やっぱり手話を使って何か役に立ちたい。次第にそんな気持ちを持つようになりました。

 しかも当時、自動車教習所での手話教習は始まったばかり。コヤマドライビングスクールは全国でもいち早く手話教習に乗り出した教習所でした。ここでなら、自分の手話も生かしつつ、もともと持っていた「教える」という夢もかなえられるかもしれない。

 正直、運転技術にはあまり自信がなかったのですが(笑)、「教える」ということと、「手話」、そのふたつの魅力にひかれて、ドライビングインストラクターの仕事へ飛び込んだのでした。

注)掲載している写真は記者が体験しているもので、実際の教習風景ではありません。

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PROFILE

小林百合子(こばやし・ゆりこ)編集者

写真

1980年兵庫県生まれ。出版社勤務を経て独立。山岳や自然、動物、旅などにまつわる雑誌、書籍の編集を多く手がける。女性クリエイター8人から成る山登りと本づくりユニット〈ホシガラス山岳会〉発起人。著書に『最高の山ごはん』(パイ・インターナショナル)、『いきもの人生相談室』(山と溪谷社)、野川かさねとの共著に『山と山小屋』(平凡社)など。

野川かさね(のがわ・かさね) 写真家

写真

1977年神奈川県生まれ。山や自然の写真を中心に作品を発表する。クリエイティブユニット〈kvina〉、自然・アウトドアをテーマにした出版・イベントユニット〈noyama〉の一員としても活動する。作品集に『Above Below』(Gottlund Verlag)『with THE MOUNTAIN』(wood/water records)、著書に『山と写真』(実業之日本社)など。
http://kasanenogawa.net/

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