家族の介護を担う「ヤングケアラー」とは 成蹊大学文学部准教授・澁谷智子さん[PR]

  • 2018年3月6日

澁谷智子さん

 慢性的な病気や障害、あるいは精神的な問題を抱える親やきょうだい、祖父母――。そんな家族を、子どもがケアしなければならないケースがある。

 18歳未満のこれらの子どもや若者は「ヤングケアラー」と呼ばれ、近年、その存在や実態に関心が高まっている。しかし、周囲や社会がどう支援したらいいのか、その道筋は見えていないのが現状だ。成蹊大学でヤングケアラーの研究を行う、文学部現代社会学科の澁谷智子准教授にお話をうかがった。

子どもたちは「介護」や「ケア」という自覚がない

――ヤングケアラーが担っている「ケア」には、どんなものがあるのでしょうか?

 家事や家の切り盛り、金銭面の切り盛り、身の回りのケア、感情面のケア、きょうだいのケアといったものがあります。わかりやすいのは家事で、掃除や料理、お皿洗いや洗濯ですね。ヤングケアラーは、家のお手伝いというよりは、もっと重い責任をもって、家族のための家事を行っています。

 それから買い物をしたり支払いの処理をしたりといった、物やお金の流れの管理。着替えやお風呂、トイレの介助などのケアもあります。「お母さん、薬飲んで」と声をかけることも、服薬管理というケアになります。

――家の「雑用」に見える一つひとつが、実は「ケア」である、と。

 子どもたち自身もそれが生活の一部だと思っていますから、自分が「ケアラー」だという自覚がある人はほとんどいないと思います。なかでも認識されにくいのが感情面のケアです。例えば、認知症の家族が「財布を盗まれた」という話を30回も40回も繰り返すような場合もあります。そのように何度も言われることに付き合って話し相手になり、受け答えする。大丈夫かな?と見守ったり、相手がいい状態にあるように工夫したり、心を砕いたり、そういった感情面のケアを子どもがしているケースは非常に多いんです。

  

介護疲労の積み重ね 「低温やけどみたい」

――そうした子どもたちが、どれくらいいると考えられますか?

 日本ではまだケアを担っている子どもたちがいるという認識がなく、全国的な調査がされていないのが現状です。イギリスでは25年以上前からヤングケアラーの存在に目が向けられてきましたが、2011年の国勢調査で16万人を超えるヤングケアラーがいることがわかっています。ヤングケアラープロジェクトとして、彼らを支援する場所が国内に300ぐらいあり、例えば「きょうだいケアラーの日」のように、同じような立場にいる特定のタイプのケアラーが集まれる機会もあります。

イングランド南部の町、ウィンチェスターのヤングケアラー
(写真提供:Winchester Young Carers)

――彼らは実際にどんな悩みを抱えているのでしょうか?

 大人になった元ヤングケアラーに話を聞いたのですが、「低温やけどみたい」という表現をした方がいました。疲労の積み重ねなんですね。高校生の子が、おばあちゃんが夜3時間ごとにトイレに行くのに付き添って、朝7時には学校に行って、夜11時ぐらいに友だちから電話がかかってきて――という毎日を繰り返していたら、最初の1週間はよくても、数カ月続くと授業もやる気が起きない、時間があったら友だちと出かけるより寝たいとか、そういう状態になってきます。1回1回のトイレ介助もそれなりの時間がかかるわけですから。

 でも介護をしている人の大変さは、介護をしていない人には伝わりにくい。「みんな大変な中でやってるんだから、お前も頑張れ」とか言われてしまって、自分が置かれている状況をどう消化し解決していけばいいのかが見えないんですね。

――同世代の友だちに吐き出したりとかもできないのでしょうか?

 「大変だね」と言われて終わりだったり、重い話をして困らせちゃったかなと思ったりすることもあるようです。

 子どもは学校という同質的な空間で過ごしています。部活で「試合が近いんだから、もっと練習に来いよ」なんて言われて、友だちと温度差ができてしまったり、遅刻や欠席が続いて、自分が学校のルールを守れていないと悩んだりもします。性格にもよりますが、学校で理解者が得られない状態では、傾向として「家族に心配かけたくないから」「まわりに迷惑かけたくないから」と自分一人で処理してしまう子が多いんです。部活をやめる、学校を中退する、というように。ヤングケアラーだけでなく、若者の介護離職にも似たような面があると思います。

今の社会は、家庭が子どもを守ることが前提になりすぎている

――学校現場では、問題は表面化してこなかったのですか?

 遅刻は多いし宿題をしてこない、忘れものが多い、などの面ばかりが注目されてきたように思います。もしくは「大変なのに頑張っていてえらいね」と美談で済まされてしまう。いよいよ学校のことができなくなって不登校になってから、ようやくスクールソーシャルワーカーさんなどにつながる。事後的な対応ではなくて、子どもが何のケアをどれだけ担っているのか認識できるようなシステムが必要です。マイナスの面が注目されがちですが、彼らはケアという経験を通じて高い生活能力や忍耐強さも身につけていますから、そのことの評価も見えるようになるといいですよね。

――具体的にどんな対策が考えられますか?

 学校でも地域でも、生活面で子どもに寄り添い、話を聞く人を増やす必要があると思います。例えば、ここ数年は南魚沼市の教育委員会と一緒にヤングケアラーをどう支援するかに取り組んできましたが、同市の一部の学校では、地域のおばちゃんたちに協力してもらってお茶を飲みながら話ができるような場所が作られており、それがヤングケアラーへのサポートにも活かせるのではないかという話になりました。

 今の社会は、家庭が子どもを守ることが前提になりすぎています。でも昔ほど世帯人数も多くないし、地域のつながりもない。家族でできることには限界があります。地域の中で子どもを気にかける人がいる場がたくさんあり、可視化されていることが大事。その意味で、子ども食堂にも期待しています。

――子ども食堂というと、一人でごはんを食べている子どもたちに、無料や低額で食事を提供する取り組みですね。

 はい、「子どもが一人でも安心して来られる無料または低額の食堂」というのが、こども食堂の定義とされています。成蹊大学(東京都武蔵野市吉祥寺)から徒歩5分ほどのところにも「みかづき子ども食堂 」があります。みかづき子ども食堂に集まるのは平均50〜60人で、赤ちゃんからお年寄りまでが楽しくごはんを食べ、必要なときは誰かに相談できる場所となっています。運営に携わっている方の中には民生児童委員もおられます。武蔵野市の子ども家庭支援センターなどと行き来がありますので、行政とのネットワークからも必要なサポートにつなげていくことができます。

東京・武蔵野市の「みかづき子ども食堂」
(写真提供:みかづき子ども食堂)

——子どもの行動範囲の中にそのような拠点が複数あれば、地域の子どもをみんなで育てる、という空気にもつながっていきますね。

 はい。子どもは大人のように長距離を移動することもできませんし、子どもが自分で行ける場にそうした拠点があることが大切です。それと並行して、同じような立場のケアラーが集まって、お互いに自分の感じていることを安心して深く話せる場所も大事です。ずっとケアを担っていると、相手のことを肯定的に思えないときも、時にはあります。

 例えば、高校を辞めておばあちゃんのケアをしていた子が、「おばあちゃんが死ぬのは嫌なんだけど、このままずっとケアを要する状態で生きていたとしたら、自分の将来はどうなっちゃうんだろうって思った」って。それは当然の感情だと思うんです。でも誰にも話せなくて、そんなふうに考える自分はひどいのかなと思ってしまう。より自分を重ねられる人たち同士で話ができれば、ほっとする部分もおそらくあるでしょう。特に若い子たちにとっては、感情の応急処置をする上でそういう場が必要なときもある。子ども食堂とは別の役割として、ヤングケアラーが集まれる場所を作っていきたいなと思っています。

(文/高橋有紀 撮影/山田秀隆)

    ◇

澁谷智子(しぶや・ともこ)

1974年生まれ。成蹊大学文学部准教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程を単位取得退学。博士(学術)。2012年4月より現職。著書に『コーダの世界――手話の文化と声の文化』、論文に「ヤングケアラーを支える法律――イギリスにおける展開と日本での応用可能性」など。

吉祥寺の閑静な住宅街に囲まれる、成蹊大学。正門をくぐり、けやき並木を進んでいったところに美しい「本館」が建つ

成蹊大学は大正13年(1924年)、池袋から吉祥寺に移転した。そのときに建てられた「大講堂」は、格別の趣がある

私立大学研究ブランディング事業に選定

campus image

成蹊大学が武蔵野市をフィールドに「共生社会」をテーマとして立ち上げた学融合的研究プロジェクトが、文部科学省の平成29年度(2017年度)「私立大学研究ブランディング事業」に選定されました。

その一環として、澁谷准教授をプロジェクトメンバーに、上のインタビューにある「こども食堂」を、成蹊大学内で開催する試みもあります。
(2018年6月ごろ開催予定)
成蹊大学研究ブランディング事業HPはこちら

【社会を知る、共に生きる。成蹊大学×吉祥寺】
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