明日のわたしに還る

明日のわたしに還る

INTERVIEW

村井理子さん「絶好調からゼロに。スローダウンして見えた景色」

  • 翻訳家
  • Riko Murai
  • 2018.3.12

翻訳家やエッセイストとして、また双子男児の母として、琵琶湖のほとりで忙しい日々を送ってきた村井さん。講演で訪れていた年末の東京でお話をうかがったのだが、年明けから3週間にわたり入院、「人生がひっくり返って」いた。

ライター 崔 麻砂 / 写真 馬場磨貴

 1月半ば、あまりの息苦しさに病院へ駆け込んだ。心臓の弁がちゃんと閉じない弁膜症が、知らず知らずのうちに悪化、心不全の状態となっていたという。

 『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』など、翻訳を手がけたノンフィクションが相次いで話題になった昨年は、翻訳書の刊行が5冊と、ブレイクの年に。年末の取材時にも、6、7冊目を同時進行で進めていた。すぐに疲れる、なかなか集中できないなど、身体はずっと悲鳴を上げていたのに、重大な病が原因とは気づかなかったのだ。

 3週間にわたる入院生活で、体中にたまった水分を利尿剤で出し続け、10キロも減量。
 「目が3倍に大きくなって(笑)。出産前の状態にリセットさせてもらいました」
 いまは、数種類の薬で落ち着いている状態だが、書籍翻訳のように長いスパンで取りくむ仕事はストップせざるを得ない。体力面の心配だけでなく、先に何があるかわからないからだ。

 全18章のうち10章まで訳し終えていた女性刑務所のノンフィクションは、信頼する翻訳家に後を託した。「新世代のブリジット・ジョーンズ」と話題の小説『Hot Mess』は、代わりの翻訳者を公募、259人が手を挙げた。「2冊とも、女性の人生や自立、人権をテーマにしていて、『ダメ女…』に続く、いい流れが来ていたのに。絶対に売れる、すごくいいタイトルを全部失ってしまって」。
 悔しくて、病院のベッドに突っ伏して泣いた。

 これまで仕事を断ったことは一度もなかった。初めての翻訳書はSM嬢の告白もの。最近も、軍事の珍研究もの、ダメ男がヤギになろうと真剣に取り組むイグノーベル賞受賞のサイエンスドキュメントなど、一癖あるノンフィクションの翻訳を、楽しみながら、ときに七転八倒しながら手掛けてきたのだ。
 これからしばらくの間は、書籍翻訳からは離れ、短い依頼原稿やエッセーなどの執筆に重点を置くことになる。
 「身体が動かない分、頭はすごく動くので、普通に原稿を書くのは進むんです。ネタだけは豊富ですから(笑)」。

140字の制限で、日本語を磨く

 季節風比良八荒(ひらはっこう)で知られる琵琶湖の西に暮らしてきた。厳しくも豊かな自然のなかで、執筆と子育てに励む日常を描いたウェブマガジン連載「村井さんちの生活」ほかエッセーが人気で、昨年は月に20本もの原稿をこなした。

 一方で、ツイッターもフォロワー数1万9000に迫る勢いだ。黒ラブラドールの愛犬ハリーの雄姿をはじめ、日々の暮らしの情景をつぶやく合間に、時短レシピ、おすすめ出版情報、大笑いネタ、時事ネタなど、厳選情報をリツイート。そのライブ感がなんとも心地いい。1月半ばを最後に約1カ月沈黙していたが、もう入院前と変わらぬノリで発信している。

 「ツイッターは自分にとっては息抜き。でも、ツイッターがなかったら、いまやってる連載はひとつもなかったです。インスタ全盛ですけど、『書く人』を探す人はやっぱりツイッターを見ているんで」
 140字の制限があるツイートで、日本語を磨いてきた。
 「簡潔なリズムがつきますよ」

ふつうの生活が、いとおしい

 派遣社員時代、あるサイトで書き始めたブッシュ元米大統領の失言を取り上げたコラムが編集者の目にとまり『ブッシュ妄言録』として出版、ヒットしたのが31歳のとき。35歳で出産し、翌年、琵琶湖畔に移った。
 静かな自然のなかでじっくりと翻訳や子育てを?
 「いえ、ぜんぜん(笑)。ただ土地が安かったからです。環境は厳しいですよ。風は強いし、雪も多い。アップダウンがあって住みにくいし。でも、京都市内なんて、高くてとても住めませんから」

 以来、仕事と育児と家事の間でもがいてきた。双子の男の子が生まれて最初の5年のことは、自分のなかでいまだに封印したままだ。
 「地獄過ぎて、当時の写真も見ないです。家で仕事をしていた自分がすべてをやらなければならないワンオペ状態で、ほんとうに大変で、かわいいと思えなくて。あのころのことは、ほとんど覚えていないです」
 働いて得たお金を全部投資して、家事も子育てもあらゆるツールやサービスに頼った。

 できなくてもいい、ダメでもいいや、とようやく吹っ切れたのは40歳を過ぎてからのこと。「それまで激しかった感情の波が、だんだん層が増えて、ゆったりしてきて」。
 息子たちも11歳、少しずつ手を離れはじめた。仕事も充実し、「一日ずつ、あ、今日もいいな、と思える」と語っていた。そんなときに、病に倒れたのだ。
 いま、「ふつうの生活を営むこと」が目標となった。荷物を持って階段を上ることは厳しい。

 「あの絶好調のときから180°変わりました。人生ひっくり返った感じです。いままでのキャリアなんてなくなってもいい、ふつうに生きていけるだけでいいじゃないと思う日もある。でも、ウェブマガジンに入院のことを書いたら、すごく反応がくるから、それはそれですっごくおもしろくて。ただでは転ばないって感じですよね(笑)」

 入院時の記録はしっかりと取ってきた。
 「すごい量のメモに、動画も(笑)。3週間のうち2週間は、病院内どこに行ってもよかったので、朝イチに部屋を片付けたら、iPadを持って、カフェでコーヒー飲んだり、各階の待合室を観察したり、おじいちゃんたちとおしゃべりしたり(笑)」
 取材の成果は「村井さんちの生活 突然の入院騒ぎ その1~」にさっそく結実している。重い話題なのに、時おり吹きだしてしまう面白さ。必見だ。

 病気と引き換えに得たこともたくさんある。ふつうに電車に乗っただけでおじさんたちが可愛く見えること。空が青いこと。確定申告が大変なこと。ごく当たり前の生活の一片一片が、いとおしく思える。
 あの強烈な喪失感は、もう、ない。
 「わたし、結局ゼロに戻ったんですけど、そんなにイヤだと思ってないです、実は。時間に追われてストレスフルな生活だったわけで。そこから解放されて、正直、いまはすごく楽で。周りがなんでもやってくれるし(笑)」

 あれほど、「なんで私ばっかり」と理不尽さに震えた家事問題。入院している間に、夫や息子がサバイバルの道を見つけていた。ご飯が炊けるようになり、ラップして冷凍する基本技も身に着けていた。ずっと踏み込めなかった家事の役割分担が、自然と出来上がっていた。

 「私、欲張りだったのが、欲がなくなったのかな。でも、また元気になったら、きっと変わるんでしょうけどね(笑)」

 いつか琵琶湖のほとりで、フィッシュ&チップスとビールの店をやりたい。翻訳に限らずさまざまな仕事をして、いろんな世界とつながりたい。年末にはそう語っていた村井さん。夢の話は、しばらく小休止。少しずつ元気を取り戻し、ハリーと長い散歩に出かけられるようになりたいと願っている。

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