ほんやのほん

無人島へ持っていくなら。『小林秀雄 美しい花』ほか

  • 文・八木寧子
  • 2018年3月5日

撮影/猪俣博史

  • 『小林秀雄 美しい花』若松英輔 著 文藝春秋 3240円(税込み)

  • 『言葉の羅針盤』若松英輔 著 亜紀書房 1620円(税込み)

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 ある現役作家が、自分にもっとも刺激を与えてくれるのは評論だ、と言っていた。自分では気づいていないことについての発見をもたらしてくれるからだという。

 評論というと、本文をテキストと呼んでバラバラに分解したり、小難しい用語や思想家の名前をずらずらと並べたてるばかりでちっとも面白くない、という声もある。ごもっともである。そういう、本当に面白くない評論もたくさんある。評伝とどこが違うの、という疑問もあるかもしれない。そこで私は、批評家・若松英輔さんの仕事を紹介したい。

批評の神様を「批評」
『小林秀雄 美しい花』

 若松さんは自らを「批評家」と名乗る。「評論家」ではない。その違いについて、本人の定義はこうだ。対象を何かと比べて、よしあしを論ずるのが「評論」。「批評」は、対象そのものについてそれが何であるかを考えること。世間的によいとか悪いとかの判断をするのではない。ただ、それが世界においてどんな意味を持つのか、さらには自分との距離、自己とどんなかかわりを持つのか、それらに深く思いを巡らせるのだ、と。
つまり、評論を読むという行為は、巡り巡って自分自身について考える機会をもたらしてくれるものでもあるのだ。

 若松さんの言葉はやわらかくてやさしい。まるで目の前で語りかけてくれているようだ。それはまるで、詩やエッセイの朗読を聞いているような心地よさにも思える。

 新しい著作のひとつが、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)。「批評の神様」と呼ばれた小林秀雄についての「批評」である。この本で若松さんは、小林秀雄の人となりと仕事に迫りながらも、縦横無尽に思いを巡らせ、小林秀雄本人ですら気づいていなかったような発見をいくつもひろいあげる。そして、誰も見たことのない世界へまで、読み手をいざなっていく。その時私たちは、対象である小林秀雄と対峙する場所にいるのではなく、小林が眼差している方を一緒に見ている。それは驚くべきことではないだろうか。

 語り口はやさしいが、時に、鋭く切れ味のよい刃物のごとき言葉も突きつけてくる。それは、慎重に思考を重ねる中で発せられた真実の問いのようなものを必然的に含んでいる。

人生の航海に
『言葉の羅針盤』

 いきなり600ページ超の本書にとりかかるのは……という人におすすめしたいのが、少し前に出た、『言葉の羅針盤』(亜紀書房)。ここには、古今東西さまざまな書物に書きつけられた言葉のなかから、「人生の海」を航海するとき、文字通り「羅針盤」となるようなものを若松さんが選び、それらにひそむ光を汲みあげてエッセイの形で論じたもの。

 サン=テグジュペリの言葉がある。テグジュペリに思いをはせる須賀敦子の言葉がある。「古今和歌集」や「幸福論」、聖書のなかの言葉もある。すべては、「若松英輔」を通ってきた真実の言葉だ。エッセイの形はとっているが、これも「批評」のひとつの形である。

 若松さんの小林論を読みながら、私は自分の知っている小林秀雄がずいぶん小さなものだったと気づいた。私はこれからもっと小林秀雄に近づいていける。嬉しくてたまらなくなった。

 「批評とは謎をそのままに沈黙の響きの中に身を置くことだ。謎に手を触れず、寄り添おうとするところに歴史の扉は開かれる。何を読むべきかではなく、「読む」とは何か――。」

 読むということ、そして考えるということそのものを何度も自分に問い直してくれる批評というもの。もしいま無人島に行くなら、持っていくのはこの本になるだろう。

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PROFILE

八木寧子(やぎ・やすこ)

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湘南蔦屋書店・人文コンシェルジュ。新聞社、出版社勤務などを経て現在は書店勤務のかたわら文芸誌や書評紙に書評や文芸評論を執筆。ライターデビューは「週刊朝日」の「デキゴトロジー」。日本酒と活字とゴルフ番組をこよなく愛するオヤジ女子。趣味は謡曲。
>>湘南T-SITE 湘南蔦屋書店ホームページはこちら

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