明日のわたしに還る

明日のわたしに還る

INTERVIEW

奈良の魅力を発信・石村由起子さん「自然から学んでいけば、大きく間違うことはない」

  • 「くるみの木・秋篠の森」オーナー
  • Yukiko Ishimura
  • 2018.4.12

 JR奈良線の線路沿い。町中からはずれた不便な立地にもかかわらず、カフェ&雑貨店「くるみの木」には、今日もたくさんのお客さんが訪れる。
 いちばんのお目当ては、やさしくぬくもりのある空間で出されるランチプレート。混ぜご飯と汁物を中心に、季節の食材をふんだんに使った主菜、副菜、デザート、そして飲み物からなるメニューは、家庭的でありながら創意にあふれ、手抜きが一切ない。ランチタイムが始まると、店内のいたるところで、「わぁ!」と小さな歓声があがり、みんなの顔がみるみるほころんでいく。

文 清野由美 / 写真 馬場磨貴

 笑顔の後ろには、オーナーの石村由起子さんの、細部にまで行き届いた「目と手」がある。手にした時のカップの温度。お味噌汁の塩加減。盛り付けのバランス。料理のチェックをする時のまなざしは真剣だ。

 石村さんは現在、「くるみの木」のほかに、同じ奈良市内で「秋篠の森」、そして東京・白金台で「ときのもり LIVRER」を経営する。

 そんな彼女に、インタビューのテーマを伝えた時、返ってきた一声がこれだった。

 「わたしに還る……まさに今の自分に必要な言葉だと思います。でも、これがなかなか還れないんです」

 持ち前のおちゃめな語りで周囲を笑わせながら、石村さんの声音にはいつも、ひとはけの緊張感が混じっている。

 「『くるみの木』の開業から34年になりますが、店は生き物のように常に動いていますので、今に至るまで無我夢中の状態は変わりません。仕事と家庭の境界線がないような日々が、ずっと続いているのです。そんな“還れない私”を作っているのは、ほかならぬ自分なのですが……いけませんね」

インタビューを行った東京・白金台の「ときのもり」は、奈良の食と魅力を堪能できるレストラン&ショップ

 香川県高松市で生まれ育ち、大阪の大手企業に就職して、企画や店舗開発の仕事に従事した。20代前半で結婚した時は、「30歳まで働いたら、家庭に入って、子育てをして……」と、ごく普通の幸せな人生を思い描いていた。

 「ところがある日、通勤する夫を車で駅まで送った帰り道に、出会ってしまったんです、小さいころから私が『こんなところでお店をしたい』と、夢見ていた建物に!」

 ローカル線の踏切脇にたたずむ木造の平屋は、企業の事務所に使われていた。偶然にも、その企業がまもなく退去すると聞き、「ここで店をやりたい!」と、スイッチがオン。その日のうちに夫と一緒に大家さんを訪ねた。反対していたはずの夫が「妻は間違いのない人間ですから。必ずいい店にしますから」と熱弁を振るい、その1カ月後には店をオープン。「これ!」とひらめいたら、シュシュ、ポッポと走り出してしまうのが、石村さんという人なのだ。交渉や契約など、現実の山をいくつも越えて、30代の初めに「くるみの木」を開いたことが、石村さんの大きな転機になった。

「ときのもり LIVRER」店内には、奈良の上質な「たからもの」がたくさん並ぶ

 「最初は本当に孤独でした。一人で毎朝の掃除から、注文取り、調理、給仕、後片付け、レジ打ち……とあらゆる仕事をこなして、閉店後は深夜まで次の日の仕込み。そうやって心を込めて準備をしていても、なかなか思うようにお客様が来られない状態が続きました。自分はここでは求められていないのでは……と、いつも心を痛めていましたね」

 それでも、「やめる」という選択肢は、石村さんの中にはなかった。

 「実は私、体育少女だったんです。高校の時はソフトボール部のピッチャーで大活躍(笑)。ホームランを打つと、グラウンドがわっと沸く。『よろこばしたるっ』という気持ち。その楽しさを知っていたから、お客さまにもわっと驚いてほしかった。同時に、スポーツを通して『あきらめてはいけない』という倫理が自分の中に根付いていたんですね」

 コツコツと続けた店は3年を過ぎるころからリピート客が増え、やがて全国から来た人たちが、開店の1時間以上も前から並ぶようになった。

第1・第3土曜日には産地直送「ときのもりマルシェ」も開かれる

 伎芸天で有名な秋篠寺の近くで、レストラン「なず菜」とギャラリー「月草」からなる「秋篠の森」を開業したのは50代の初め。人気と知名度が拡大するとともに、地元の奈良だけではなく、各地の地域振興やイベントにも引っ張りだこに。2016年には東京・白金台にカフェ&ショップ「ときのもり LIVRER」も開いた。

 「夢をかなえた主婦、などと呼ばれることもありますが、店を経営することには、スタッフの生活やお客さまの安全など、重すぎるほどの責任が伴います。たまには自分のために、ゆっくりお茶を淹(い)れるような時間も必要だと思うのですが、現実は奈良と東京を往復する電車に乗っている時だけが、一人になれる時間。その2時間あまりが唯一、『わたしに還る』時間なのかもしれません」

 そんな高速回転の中でも、ブレずにいられるのは、明治生まれの祖母の姿が脳裏に焼き付いているから。髪をお団子に結い、真っ白なかっぽう着をいつも身に着けていた祖母は、凛としたたたずまいの内に、自然そのものの温かさを備えた人だった。石村さんは忙しい毎日の中でも、椿の葉や梅のつぼみを箸置きにあしらうなど、自然をいつも身近に置いている。そのような習慣は、祖母が日々の暮らしで、さりげなく取り入れていた工夫なのだという。

 「お料理をするには清潔さがいちばん大事といって、布巾は毎晩、大鍋で煮沸して、お酢を使って真っ白にしていました。ものの始末もきちんとしていて、その布巾は台所用、食卓用、廊下用、そして最後に靴磨き用と、順に下ろしていく。それでも、さらに洗って大切に使うのです」

 石村さんがマニキュアや香水に無縁なのは、「料理は素で行うから美しい」という祖母の教えを今も守っているからだ。

 「くるみの木」も「秋篠の森」も、石村さんの店には、必ず手ずから植えた自然の果樹がある。総合プロデュースを担った奈良市の観光案内施設「鹿の舟」では、庭に畑と田んぼも作った。東京の真ん中にある「ときのもり」では、さすがに森や畑を作ることは難しかったが、実をつけた鉢植えのレモンの木が、入り口で来た人を迎える。

店内の棚には「秋篠の森」で拾われたという木の実たち。みんな順番に……というのも祖母の教えから

 もう一つ、石村さんの店はいずれも、愛してやまない地元・奈良産の工芸品や生活用品、野菜、調味料などを、「大和」のおおらかなイメージとともに伝え続けている。たとえばお茶やお米など、奈良産のものは、驚くほど丁寧に作られ、味もとびきりおいしいのに、持ち前の奥ゆかしさゆえ、知名度が追いついていないことが、石村さんとしては惜しい。

 「町づくりなどに声をかけていただくことも増えましたが、私の中では34年やって、やっとこのくらい、という気持ち。いつでも発展途上で、満足にほど遠い日々ですが、だからこそ自然を身近に感じ、自然から学んでいけば、大きく間違うことはないだろうな。そう思って続けています」

 自然、もの、人への愛情を祖母から受け継ぎ、また、それを惜しみなく、人に伝えていく。帰り際、石村さんから「はい、おみやげに」と手渡されたレモンの実が、宝石のように輝いていた。

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