上間常正 @モード

高田賢三の見直すべき価値 自伝「夢の回想録」の出版

  • 上間常正
  • 2018年5月25日

 パリに進出した日本人デザイナーの草分けの1人、高田賢三の回想録がこのほど出版された。ファッションの流れが超富裕層を対象とした注文服(オートクチュール)からより広い層に向けた高級既製服(プレタポルテ)に移り始めた頃の、自身の手による生々しい記録を読むと、高田の活動はまさに変化へのけん引役だったことが分かる。意外な秘話も織り交ざっていて、興味深い内容となっている。

  

 高田は1939年2月、兵庫県姫路市の生まれ。実家は市内の花街で待合を営んでいた。神戸の外語大に進んだが、東京の文化服装学院が男子を初めて募集していることを知り、アルバイトで学費をためて入学。卒業後に銀座の三愛などでデザインの仕事をして64年に船旅でパリに向かった。半年間のつもりが、生活費の助けにと描いたデザイン画が予想外の好評で運命が大きく開けた。

 横浜からマルセイユまでの約1カ月の船旅では、アジア、中近東、アフリカの各地に停泊。そこで見た多様で美しい極彩色の民族衣装、動植物などのイメージが、デザイン画やその後の服作りのモチーフになった。「(私は)まさに『時間と空間を漂う旅人』である」と高田は書いている。

 デザイン画が売れ、パリのアパレル会社からのスカウトもあって滞在を延長することに。地方の大学の学生運動が広がって、68年には労働者も巻き込んだ〝パリ5月革命〟が起きた。典型的なノンポリ人間だったが「一般市民が世の中の何かに怒り、それまでの既成概念が音を立てて壊れつつあることだけは肌身で感じ取っていた」という。 

「夢の回想録」出版記念会で、コシノジュンコさんと

 世界を巻き込んだ社会運動はすぐ服飾界にも飛び火し、モードの中心はオートクチュールから庶民向けのプレタポルテへと急速にシフトする、と高田が書いているが、それを進めたのは高田自身だった。こうした鋭敏な時代感覚と、それを表現する色や素材、ゆったりとした形といった新しいスタイルをもっていたこと。それが高田の天才的ともいえる独自の資質と言うべきだろう。彼はまさに、オートクチュールからプレタポルテへの旅人だった。

 パリで「ジャングル・ジャップ」という妙なブランド名の店を開いたのは、1970年の春。そこでショー形式で初めて発表した服はすぐに大評判になり、雑誌「エル」は麻の葉模様の浴衣地の服を表紙で掲載し、高田を「木綿の詩人」と評した。資金不足で安い素材を使う苦肉の策でもあったが、「パリのバイヤーやメディアにはそれが『新鮮』に映ったようだ」。

 1971年にはシャンタル・トーマスら若者に人気のデザイナーを誘って、パリのダンスホールでプレタポルテの合同ショーを開き、それがショーを同期間に共同開催する今のパリ・コレクションの原型になった。巨大な特設テントを作って大がかりで楽しいショーを開いたのも高田が最初だったようだ。

最後のショーで発表された作品(c)RunwayPhotographie

 「お堅いショーではなく、ショー自体も観客と一緒に楽しんでしまうのが自分流」。高田のもう一つの資質は、「遊び心」だ。仕事だけではなく、お金をすっからかんになるまで使ってしまうカジノでの賭け事への嗜好(しこう)や、映画制作や趣味に凝った自宅作りへの資金を度外視したのめり込み。そうしたことが自身のブランド「KENZO(ケンゾー)」を失ってしまった要因にもなったが、かれの服のクリエーションを支える大きな力でもあったと思う。

 1999年10月に開いたKENZOのデザイナーとしての最後のショーは、その高田の創作力の要素をすべて示す集大成だった。パリ北部のコンサートホールに巨大なスクリーンや本物の白馬やゾウ、200人を超す友人がモデルとして登場した。あんなショーは筆者もその後は見たことがなく、今でも忘れない思い出になっている。

1999年10月の「KENZO」の最後のショー(c)RunwayPhotographie

 イヴ・サンローランのミューズ(女神)のモデルとして知られたルル・ドゥ・ラ・ファレーズや、仕事のパートナーともなったグザビエ・ドゥ・カステラとの男女2人との恋愛の告白も初めて知る話だった。

 ファッションが今また大きな転換期を迎えた中で、高田賢三はもっと再評価されるべきで、今回の「夢の回想録」(日本経済新聞出版社、1900円税別)の刊行は、その意味でいいきっかけになると思いたい。

PROFILE

上間常正(うえま・つねまさ)

写真

1972年、東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。88年からは学芸部(現・文化部)でファッションを主に担当し、海外のコレクションなどを取材。07年から文化学園大学・大学院特任教授としてメディア論、表象文化論などを講義。ジャーナリストとしての活動も続けている。

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上間常正(うえま・つねまさ)

写真

1972年、東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。88年からは学芸部(現・文化くらし報道部)でファッションを主に担当し、海外のコレクションなどを取材。07年から文化学園大学・大学院特任教授としてメディア論、表象文化論などを講義。ジャーナリストとしての活動も続けている。

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