上間常正 @モード

公開中の映画「ファントム・スレッド」に見る、愛とファッションの可能性

  • 上間常正
  • 2018年6月22日

 公開中の今年度アカデミー賞監督賞・主演男優賞などにノミネートされた映画「ファントム・スレッド」(ポール・トーマス・アンダーソン監督)が、評判を呼んでいる。1950年代のロンドンを舞台に、オートクチュールのデザイナー・仕立屋と、彼がモデルに選んだ若いカフェのウェートレスとの運命的な愛の物語だが、ファッションの話としても興味深く読み取れる内容になっている。

(c)2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved

 とりあえず愛の物語について言えば、この物語はかなり異質な者どうしのドラマチックな対立、そしてユニークな融和の仕方の可能性を描いている。男は自分の理想の服を作ることに心血を注ぐ、自己完結型のストイックな性格。女はカフェで働いていたウェートレスで、ナイーブだが自分の意志を通す強さをもち合わせている。

 別荘に向かう途中に立ち寄ったそのカフェで、彼女をひと目で気に入った男が自分のアトリエのモデル兼スタッフに誘う。だが、服作りのために静かで謹厳な生活を守ろうとする彼と、粗野な物音をたてがちで2人の生活を楽しみたい彼女との間には、深刻なきしみが広がる。

(c)2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved

 女は男と出会ってすぐに、彼の中に潜む〝弱さ〟を見抜いていた。男はそれを認めようとしなかった。しかし精神のバランスを崩し始めた男を救うために、女は毒キノコを食事に混ぜて男を一時的に衰弱させて〝弱さ〟に直面させる。そして一心に看病する。女の強さの底には”優しさ”が潜んでいて、男はそれを必要としていた。

 女が盛った2度目の毒から覚めた彼は、そのことにやっと気づいたようだ。女は「あなたには無力でいてほしいの」と語りかけ、彼はその言葉を受け入れて熱いキスを交わし、また赤ん坊のように眠り込む……。映画は、そんな共犯関係のような2人の融合と愛の可能性を暗示している。

 ファッションとの関係で言えば、女性服を作る優れた男性デザイナーの多くは、この映画の女のようなミューズ(女神)を必要としていた。それは服作りのための理想的な女性像としての手段であるのと同時に、自分の弱さを優しく包み込んでくれる存在でもあった。

(c)2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved

 衣装デザイン賞を獲得したこの映画に登場する服は、米ニューヨーク出身のマーク・ブリッジスがデザインを担当している。実際に1950年代に使われていたウールやベルベット、サテン、優雅な刺繍(ししゅう)模様の生地のドレスは、当時のオートクチュールの品格のある華麗さをうかがわせてとても魅力的だ。しかしそれは、確かなものを秘めつつも当時に過ぎ去ろうとしていた、そして今ではもう失われてしまった美しさだ。

 パリの老舗オートクチュールは、主力を高級既製服に移して生き延びた。この映画が舞台に選んだロンドンの小さなアトリエのそれは、オートクチュールの最期の時代の輝きを象徴しているように思える。主演男優のダニエル・デイ=ルイスが伝記を読んで役作りの参考にしたというオートクチュールの天才デザイナー、クリストバル・バレンシアガは、既製服に手を出さずに引退した。イヴ・サンローランも最後のオートクチュール作品を発表して身を引いた。

(c)2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved

 そしてこのファッションの物語は、近代から今に続く時代の輝きと黄昏(たそがれ)を暗示しているようにも思える。50年代は近代の先駆者として輝いた大英帝国が本格的に崩壊しかけた時代で、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロが英国大貴族の執事の目を通して英国の没落を描いた「日の名残り」とも共通している。そういえば、この小説も愛の物語でもあった。

 もっと言えば、この映画は18世紀末から19世紀初めに流行したゴシック・ロマンスの流れを汲(く)んでいるようにも思える。その系譜の小説で思い出す「ジェーン・エア」や「レベッカ」「嵐が丘」などは、女性の視点から描かれた強さや優しさが特徴の一つでもある。その意味では、こうした物語はフェミニズムの新たな可能性をさぐるためのヒントにもなるのか、という気もする。

 解釈の仕方はともあれ、この映画は音楽や撮影技術、脇役たちの演技などもレベルが高くて美しく、見応えが十分にあることは確かだ。

PROFILE

上間常正(うえま・つねまさ)

写真

1972年、東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。88年からは学芸部(現・文化部)でファッションを主に担当し、海外のコレクションなどを取材。07年から文化学園大学・大学院特任教授としてメディア論、表象文化論などを講義。ジャーナリストとしての活動も続けている。

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上間常正(うえま・つねまさ)

写真

1972年、東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。88年からは学芸部(現・文化くらし報道部)でファッションを主に担当し、海外のコレクションなどを取材。07年から文化学園大学・大学院特任教授としてメディア論、表象文化論などを講義。ジャーナリストとしての活動も続けている。

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