東京ではたらく

フリーランス編集者:鈴木絵美里さん(36歳)

  • 文 小林百合子 写真 野川かさね
  • 2018年7月5日

  

職業:フリーランス編集者
勤務地:さまざま
仕事歴:14年目
勤務時間:不規則
休日:不規則

この仕事の面白いところ:あらゆる考えを持った人に会い、話を聞けること
この仕事の大変なところ:たくさんの考えに触れることで影響を受けすぎるところ

    ◇

肩書は何ですかと聞かれると、いつも少し困ってしまうのですが、現在の仕事内容は雑誌やウェブ媒体向けに取材記事を寄稿する執筆業が中心です。

それだけなら「フリーライター」と名乗るのが妥当だと思うのですが、私の場合はそれに加えて「自由大学」という社会人向けの学びの場で講義を受け持ったり、地方自治体が行う様々なプロジェクトの企画・運営に携わったりと、執筆以外の仕事に関わることが近年増えつつありまして。

フリーランスになる前は出版社勤務で、純粋な雑誌編集者として働いていたのですが、現在は媒体のみならず、人が集まる場やイベントなど、あらゆる事柄を構成したり調整したりする立場。より大きな意味での「編集者」なのかなと今は思っています。

出身は神奈川県の藤沢市です。両親ともに会社員で、物心ついた頃から自分も同じような働き方をするのだろうと思っていました。一人っ子だったので小さな頃からマイペース。基本的に活発で、人と一緒にいるのが好きでしたが、自分だけの時間やスペースも大切にしたいという性格で。それは今も変わっていませんね。

中学と高校は一貫教育の女子校に通いました。カトリック系のいわゆるお嬢様学校でしたが、自分は決してお嬢様ではなく(笑)。ソフトボール部に所属して、真っ黒に日焼けしていました。

その頃夢中になっていたのは国内外のロックミュージック。両親が共働きで日中はひとりでしたが、そんな時はいつもCSのミュージックチャンネルを見て、音楽の世界に浸っていました。

表参道にある「自由大学」のキャンパスにて。様々な年齢や国籍の人々が集う学びの場はいつも新しい考え方を教えてくれる

当時は雑誌が元気な時代で、「オリーブ」など、サブカル系の媒体の影響もあり、ヨーロッパや東欧など、ちょっとニッチな映画なんかにも興味を持っていました。

大学は東京外国語大学のチェコ科に進学しました。あまりにマイナーな学科ゆえ、チェコにまつわる確固たる夢や将来の希望があったのかと聞かれることも多くありますが、実はそんなことはなくて(笑)。単純に「中東欧を旅してみたいな」とか、あとは好きだった東欧映画の影響もあったと思います。いずれにせよ、「面白そう」という純粋な興味からですね。

1学年に15人ほどしかいないチェコ科の生活は密で、1〜2年生のうちは週に何コマも同じ顔ぶれで語学の授業がありました。「チェコに人脈を作って通訳として活躍したい」とか「言語学者になりたい」とか、しっかりとしたビジョンや野心を持っている人もいるわけです。

もちろん自分も大学で遊び回ろうとは思っていませんでしたが、やっぱりどこかで高校までとは違った、にぎやかで、人的にも場所的にも広がりのある大学生活も想像していたので、もう少し人間関係的にも広がりのある場所を探し始めまして。

そこで参加したのが、様々な大学の生徒が集まるディスカッションイベントの企画サークルでした。200人ほどの学生たちが、あるテーマについて3日間に渡り議論をするというイベントを企画・運営するサークルだったのですが、常にいろいろな大学から学生が入ってくるんですね。

いつも持ち歩いている三種の神器は取材ノートとICレコーダー、イヤホン、お気に入りのボールペン。これとパソコンがあればどこでも仕事ができる

毎日、同じ顔ぶれ(しかも15人)で授業を受けていた私にとっては、このサークルに出会えたことは大きな転換で、一気に世界が広がったような気がしました。同時に、高校時代に通っていた進学塾で講師アシスタントをするようになって、そこでは高校生たちに自分の受験体験を話したり、勉強のアドバイスをしたり。

中でも興味深かったのは小論文の授業のアシスタントで、学生が書いた小論文を学生同士で読みあって添削したり、内容についてディスカッションしたり。そうすると、一人で思い至らなかったアイデアや意見が生まれたりして、文章にぐっと奥行きが出てくるんです。ああ、コミュニケーションというのはすごく大切だし、面白いものなんだなと実感しました。

就職先に広告代理店を選んだのは、サークル活動や塾でのアルバイトを通して知ったコミュニケーションの面白さを、仕事を通してもっと知りたいと思ったからでした。広告というのは市井の人々が何げなく目にするものですけど、そこから何か新しい発見をしたり、心を揺さぶられることってありますよね。そういう機会を作れる仕事ができたらいいなと思っていました。

入社後は本社のある名古屋へ。関東を出て暮らすのは初めてでしたが、東京を出てみたいという気持ちもあったので、新鮮な社会人生活でした。

配属は企業や団体のウェブサイトを製作する部署でしたが、当時はようやくインターネットが世間に広まり始めた頃。自社のウェブサイトを持っている企業も一握りで、そんな中でゼロからサイト作りをしていくのは刺激的でしたね。

移動は身軽に動けるデイパックで。「パソコンなどどうしても荷物が重くなるので背負うのが楽ですね。編集者は体力と機動力勝負なので(笑)」

でも、3年ほどその仕事を続けていく中で、少しずつ芽生えてきた気持ちがありました。それは「自分は何も生み出していないのではないか?」というジレンマ。例えば企業のウェブサイトを作るとしても、写真を撮影したり、コピーを書いたり、デザインをしたりする人がいます。

私の仕事はそれらを統括して円滑にプロジェクトを進める進行管理で、もちろんそれも大切な役割のひとつだとはわかっていても、どこかで「自分もゼロからものを作るクリエイターになりたい、でもそんな素養なんてないしな……」というモヤモヤした気持ちをぬぐいきれずにいました。

そんな時、偶然見つけたのが東京の出版社が出していた編集者の求人でした。未経験でも編集業務に就けるということで、これはなかなかないチャンスだぞと。その時はまだ、自分がゼロからものを生み出せるかどうか、確固たる自信は正直ありませんでしたが、運よく採用していただいたこともあり、東京に戻ることに決めたのでした。

出版社に入社してしばらくは前職と同じウェブ制作の部署に配属されましたが、その後、30歳くらいの時にアウトドア関係の雑誌の編集部に異動になりました。

初めて経験する雑誌編集という仕事。想像はしていましたが、やはり時間的にも体力的にもハードで、何日も編集部に泊まり込むなんていうこともよくありました。それでも「チームで一つのものを作り上げる」という強い実感があって、“部活的な空気感”というのでしょうか、それは新鮮で、やりがいも感じていました。

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PROFILE

小林百合子(こばやし・ゆりこ)編集者

写真

1980年兵庫県生まれ。出版社勤務を経て独立。山岳や自然、動物、旅などにまつわる雑誌、書籍の編集を多く手がける。女性クリエイター8人から成る山登りと本づくりユニット〈ホシガラス山岳会〉発起人。著書に『最高の山ごはん』(パイ・インターナショナル)、『いきもの人生相談室』(山と溪谷社)、野川かさねとの共著に『山と山小屋』(平凡社)など。

野川かさね(のがわ・かさね) 写真家

写真

1977年神奈川県生まれ。山や自然の写真を中心に作品を発表する。クリエイティブユニット〈kvina〉、自然・アウトドアをテーマにした出版・イベントユニット〈noyama〉の一員としても活動する。作品集に『Above Below』(Gottlund Verlag)『with THE MOUNTAIN』(wood/water records)、著書に『山と写真』(実業之日本社)など。
http://kasanenogawa.net/

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