東京の台所

<アイルランドの台所 2> 住まい、食。半自給自足の暮らしの起点は伝統音楽(後編)

  • 文・写真 大平一枝
  • 2018年7月11日

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〈住人プロフィール〉
主婦(日本人・40歳)
戸建て・4LDK・フィークル村(クレア県)
築年数10年・入居10年・夫(アイルランド人・ミュージシャン・58歳)、長女(12歳)、長男(10歳)との4人暮らし

鮮やかな夏の記憶

 バイオリンのメイキングスクールで学んだ夫は、アイルランド音楽奏者であると同時に、バイオリン修理も手がける。

 日中は受注したバイオリンの修理、夜はライブ。そのほかに庭や畑の手入れ、家のメンテナンスとやることは次々とある。取材当日も、大きな石をひとつずつ運んで、花壇の石垣を一人で作っていた。

 冬の長いアイルランドでは、太陽が顔を出すこの季節の1分1秒が大切なのだ。

 そんな彼も独身時代は、パン作りはもちろん、このような暮らしに興味がなかった。

「父はクレアの南にあるケリー県の小さな村の出身、母はクレア県のフィークルに隣接する村の出身。共に田舎の農家です。僕は18歳まで、クレア県のエニスという草原の広がる田舎町のようなのどかな場所で育ちました。13歳までは、毎年、ケリーで夏の数週間を過ごし、父の実家の農家の手伝いをしました。その後、大学進学を機に、ダブリンへ。ロンドンでも数年暮らしました。独身時代は外でいつまでも遊んでいましたよ」

 ただ、胸の奥底では、ケリーで過ごした夏を忘れられずにいた。

「牛のミルクを絞っては、かつては町村に必ず一つあったクリーマリーと呼ばれる牛乳集荷所にミルクを運びました。ここからさらに牛乳の精製工場やバター工場に出荷されるのです。ミルクの量に応じてお金をもらえるという仕組みです。家には、農耕馬、牛、豚、鶏などいろんな動物がいた。その記憶が強く残っていて。ケリーでの暮らしが、自分のアイデンティティの基礎になっていた。無意識のうちに、コネクトしていたのでしょう」

 彼はロンドンでの都市生活を終え、アイルランドに帰国した30歳のころから、母のソーダブレッドを思い出し、自分で焼くようになった。

あした、あさっての話ではなく

「クレア県が無性に恋しくなって」(夫)、母が生まれた隣の村フィークルに移住したのは、20年余り前のことだ。

 6人兄弟だが、みんながみな田舎暮らしをしているわけではない。彼は語る。

「庭石を運ぶのも重くて楽じゃない。大変だなと思う。それはやってみないとわからないこと。でも体を動かす労働の醍醐味、知恵やアイデアをひねり、工夫して暮らす楽しさは、やれば誰だって気づける。都会の暮らしは、場所と時間がないから気づかないだけです」

 今年はぶどうの苗を植えた。ほかにもたくさんの木々を植え、ここを果樹園に、あそこを森にしようと二人の夢が膨らむ。

 彼女は、「あした、あさってのことじゃない。木を植えるのは、長いスパンでものを考えるということ。料理も、パンを焼くならまずぶどうの酵母から作ろうと、向き合い方の時間軸が変わる。無理せず、自然にそう考えられるようになりました」

 暮らし始めた頃は日本食が恋しく、「今日は鍋をやるぞ」と決めたら、こんにゃくを探しまわったり「むりをしていた」と振り返る。

 だが最近は、「土地で育てた野菜を、その土地の味付けで食べるのがいちばんおいしい」という境地に変わってきた。

「おせんべいやお漬物、たしかにおいしいけれど、ここ2~3年は、日本で作られたものをわざわざ輸送して、無理して手に入れることに違和感をもつようになりました。あるものをいただく。身の回りで得られる旬のものをいただく。それがいちばんおいしくて、ゆたかなことではないかなって」

 彼女の話を聞いていると、それらがアイルランドだから、フィークルだからという特別なことではないように感じられる。

 少し前の日本の、どこの地方にもあった暮らしであり、価値観ではなかろうかと。

「そう。トトロの時代には、コンピュータもなくて、家族で住んでいて、地域のコミュニティが色濃くありましたよね。メイちゃんがいなくなったらみんなで探すとか。フィークルに限らずアイルランドの地方社会はどこも、地域のコミュニティをすごく大事にしていて、あの世界に通じるものがある。つながりがすごく強くて、目に見えない地域の母体そのもの。村社会的な閉塞感がないとは言いませんが、いい意味でみんながお互いを知っているので、悪いことができない(笑)。実際に犯罪なども少ないです。どんなに寡黙で社交的でない人でも、道で会えばあいさつもするし世間話もする。そうした最低限の社会人としての“人となり”を自然に身につけている。そういう意味で、社会性のある人たちで村がなりたっているという印象があるし、14年経た今も、彼らから学ぶことは多いです」

 妻の言葉を補足するように、かたわらの彼が付け足した。

「時代の変化の過程で、それらの大切さに気づく。自分はそれらを、経験から学んだ。ブレインではなく、経験を通してハートで感じたのです」

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

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長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)ほか。最新刊は『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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