東京の台所

<アイルランドの台所 3>渡愛6カ月で人生急転。新米ママ、大家族のなかで奮闘中

  • 文・写真 大平一枝
  • 2018年7月18日

森のなかの一軒家へ

〈住人プロフィール〉
主婦(日本人・31歳)
戸建て・2LDK・マウントシャノン村(クレア県)
築年数1年・入居1年・夫(アイルランド人・大工、建築業・28歳)、長男(2歳)との3人暮らし

    ◇

「アイルランド歴の浅い新米ですが、大丈夫でしょうか」

 やんちゃ盛りの2歳の男の子を、華奢(きゃしゃ)な身体で抱き上げながら、彼女は不安げに尋ねた。細身のデニムに、花柄の黄色のブラウス。初々しい新妻、という表現が似合いそうな女性である。

 4年前、好きな英語を生かした仕事に就きたいと、手始めにアイルランドの村の宿でウーファーを始めた。これは、ウーフという援農を軸にしたシステムで、世界各地に会員がいる。ウーファーと呼ばれる旅行者は、知識と経験、手伝いと引き換えに、ホストから食事と宿を与えられる。人手がほしいホストは、農家(有機農が中心)にとどまらず、民宿、農家レストラン、カフェ、自然食品店、自然体験学校など様々な業種がある。

 彼女は、ステイ先に着いたその日に、オーナーの息子の友人の誕生日パーティーに誘われ、そこで今の夫と出会った。

 彼は隣の村で、父、兄とともに建築業を営んでいる。昔ながらの大工だが、一家の腕の評判は高く、近隣にはその一家が建てたという瀟洒(しょうしゃ)な一戸建の住宅があちこちにある。

 背が高く、おしゃべりが上手。横顔を見て整った顔立ちだなと彼女は思った。いっぽう彼は、一目惚れである。日本に恋人がいると言っているのに、アタックをやめない。

「友人としての付き合いを通して、だんだん彼の人柄に惹(ひ)かれていきました。家族を大事にするところや、ロマンチストなところ。彼はミュージシャンでもあり、パブでギターの弾き語りをして人々を楽しませる様子に、とくに惹かれましたね。私は引っ込み思案なところがあるので、正反対だなあって」

 出会って2週間後。彼女はひとりで40日間のヨーロッパ旅行へ出る。旅先から、日本の恋人に別れを告げ、アイルランドに戻ってから交際を受け入れた。

 彼は「僕の実家を宿にしたら?」と勧める。5人兄弟の4番目で、兄夫婦も同居の大家族である。父の建てた家は部屋がいっぱいある、遠慮することないよ、と。まだ英語での暮らしは心もとなかったが、兄の妻はメキシコ人と聞き、少し心が軽くなった。

 母国語が英語でない人がいるなら、お話も合うかな。軽い気持ちで一度訪ねた。

「山の麓(ふもと)に4階建ての大きな家と、少し離れたところに、建てかけの小さな家がありました。小さな家は夫の兄が、4階建てはお父さんが何年もかけて建てたと聞いて、びっくりしました。見渡す限り緑で、それらは全部実家の敷地だと聞いてまたびっくり」

 まもなく、結婚した。新しい命を授かったからだ。アイルランドに渡って1年3カ月後、彼女は母になった。自分の人生に、一番自分が驚いていますと彼女は笑った。

 それから2年。今は、夫が建ててくれた2LDKの白くてかわいらしい木造の家に住んでいる。扉を開けると、眼前に林の木々が広がる。電線もなにもない。緑の中の一軒家は、どこかおとぎ話のようで、私はひたすら深呼吸をしたくなるのだった。

日本の伝統食に詳しい義母から学ぶ

 急転直下の展開に驚かされるが、彼女にとってもっと大きな驚きだったのは、義父母の存在だ。

「義父のジョーと義母のコレッテは15歳のときに一緒になりました。ダブリン出身ですが、ゴミゴミしている都会がいやで、田舎に憧れ、17歳の頃、ふたりでクレア県のこの村に越してきました。ところが道も電気も水道もない。自動車のバンの中で暮らしながら、道を整備をするところから始めて、まず小さな家を建てたそうです。その家はのちに解体して、長男夫婦が家を建てて住んでいます。4階建ての両親の今の家は、建築の知識など何もない義父が、建築の本を片手に、10年かけて建設。川に毎日1~2時間ほど歩いてくみに行き、お風呂がないから川で水浴びをしたり、雨水をためて入ったり、夜はろうそくで生活してたんですって」

 家に電気が通ったのは夫が生まれる1年前とのこと。

 さらに、義母の人生がパワフルだ。

 5人を生み育てながら、食の重要性に気づき、40歳で栄養士の学校に通い始める。

 58歳の今も栄養士として、自宅の一角のオフィスで栄養アドバイザーの仕事や、健康食ワークショップなどを開いている。

「義母がいたからこそ、日本の病院ではなくアイルランドでの出産を選んだ」と言う彼女の言葉の端々から、絶対の信頼が伝わる。

 国際結婚による嫁しゅうとめの、この稀有(けう)な関係をつないでいるのは、義母の食への意識の高さと日本食へのリスペクトである。

「私が彼と付き合う前から、マクロビオティック(日本発祥の自然食の食事法)や、食養、日本の発酵食品についての本を何冊も持っていました。また、母の義妹は、近くの町で自然食品店を経営していて、日本のだしや調味料、玄米菜食に詳しかった。私が日本のことを教わっているような日々です。先日も義母と、味噌と納豆を仕込んだばかりなんですよ」

 食材はできるだけ添加物がなくオーガニックなものを。砂糖を控え、味噌(みそ)やザワークラウト(キャベツの酢漬け)など発酵食品を手作りし、旬の野菜を中心に食を楽しむ。義母の発想の基本には、“ゼロから自分の手で”がある。

 理屈や思想でそうしているのではなく、昔からある暮らしの営みの一環として、自然に取り入れている。そのありようが、彼女にはまぶしかった。

「アイルランドに来て間もなく妊娠して、言葉も全部わかるわけではないし、不安だらけの日々で。大家族の中で暮らすのも気を使うし、疲れ切るときもあります。でも、たとえばりんごの季節は、デッキで2~3時間延々お義母さんと2人で皮をむき続ける。りんごは調味用、お菓子用、ソース用、ジャムなどそれぞれに適した種類があって、大量に消費します。ふたりでおしゃべりしながら、皮をむくその時間が、すごく気持ちがゆったりして安らぎました。こちらはご近所付き合いも濃くて、りんごもあちこちからもらいます。お義母さんはジャムにして瓶に詰めて、くれた人に贈る。言葉にはしませんが、そうやって人とのつながりを作っていくんだなあと、彼女の姿から学んでいます」

 オーブンの使い方から手取り足取り教わり、ケーキもチョコレート、抹茶、アップル、ルバーブ、多様な種類のものを焼けるようになった。

 じゃがいもは、マッシュポテトやシェパードパイにする。

 とはいえ、まだ4年。日本の野菜や食材が恋しいまっさかりだ。

「こちらの人も山菜採りをするんですよ。行者にんにくを採ります。あるとき、わらびを見つけたんです。こちらの人はわらびを食べません。私は、あ、ここで私も生きていけるって思った。こうやって日本のものをひとつずつ見つけていけばいいんだなって思ったら、気持ちが楽になりました」

 自家用野菜を育てるために夫が建ててくれたビニールハウスで、今はしそ、大根、ニラ、チンゲンサイ、高菜、春菊、水菜、唐辛子を育てている。

 最初、初々しく映った彼女は、話終えたときには、たくましい印象に変わっていた。なければ自分で育てる。作る。探す。無意識のうちに、夫や夫の家族の強さが、彼女にも伝染したのではあるまいか。

 風呂は、日本式の深い浴槽だった。ダイニングの中央には、大黒柱のような木が、シンボルのように床と天井を貫いている。どれも、夫が、和風を意識して設計施工。1年かけてほぼ1人で建てた。

 ビニールハウスの横に、円形のコンクリートの穴がある。目下、夫が、彼女のために露天風呂を建設中らしい。

 国際結婚でいきなりパパママになった2人。「いいことばっかじゃありません。けんかも多いんですよー」と、彼女は口を尖らせるが、その風呂を見て、ほろりときた。日本が恋しくならないようにという彼の思いが、じんじん伝わってきたからである。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

写真

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)ほか。最新刊は『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)。HP「暮らしの柄」』。■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM/

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大平一枝(おおだいら・かずえ)

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長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)ほか。最新刊は『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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