鎌倉から、ものがたり。

レモンクリームチーズに黒蜜きなこ餅。商店街名物「ミサキドーナツ」(前編)

  • 文 清野由美 写真 猪俣博史 
  • 2018年8月3日

 三浦半島の南端、三崎港にある商店街は、マグロ遠洋漁業が隆盛を極めた昭和の名残を留めながら、今は半ば眠ったまちになっている。蔵造りの釣具店や老舗の酒店、海産物店、個人経営の書店が存在感を放つ一方で、目に付くのはシャッターを閉めた店々。陽光まぶしい昼下がりに歩くと、映画の書き割りに迷い込んだような、非現実的な感覚にとらわれる。

 そんな商店街の中に、三崎に集まる人たちのぬくもりを発している店がある。三崎銀座商店街に位置する「ミサキドーナツ」だ。 

 広い間口の全面がガラス張りになっている店は、入り口に「2階に30席ございます。のんびりしていってください」という手書きの黒板が置いてある。

 レモンクリームチーズ、黒蜜きなこ餅、ミルクチョコクッキーといった魅力的なラインナップが並ぶ店頭で、お気に入りのひと品とコーヒーを注文して2階へ。ゆったりとした空間では、黒板の言葉の通り、人々がなごやかに、のんびりとおしゃべりをしている。

 オーナーの藤沢宏光さん(59)が、このまちで愛された時計店だった建物を、ドーナツ屋さんへと再生させたのは6年前。広島県に生まれ育ち、1970年代から東京を舞台に、音楽プロデューサーとして、一流のアーティスト、ミュージシャンたちと仕事をしてきた。その藤沢さんが三崎に「つい、うっかり転居してしまった」のは、2004年のことだ。

「磯釣りの帰りに寄った葉山で、駐車場横の不動産屋の物件情報をぼんやりと眺めていたんです。『ご案内しましょうか』と、お店の人が出てきたので、『それでは……』と成り行きで案内してもらいましたが、ピンと来る物件はなく、最後に『少し遠いけれど、三崎にもう1件ある』ということで、ここに足を伸ばしたんですね」

 案内された小ぶりの古いビルは、かつて1階にマグロの仲買事務所、2階に麻雀荘が入り、3階が住居、屋上に浴室というつくり。屋上に出ると、目の前に三崎の港と、城ヶ島大橋の眺めが開けていた。

「屋上からの眺めを見て、その場で買うことに決めました。いえ、都会のような高い値段ではありませんでしたよ」

 海辺に住みたい、自分を見つめたい、といった「心づもり」は、まったくなかった、と藤沢さんはいう。しかし当時は、前世紀に輝きを放っていた音楽業界が、デジタル化の波で、輝きを翳(かげ)らせている時期でもあった。

「キャリアのある音楽制作者たちが、それまでと同じ質の作品作りをできなくなっていました。もしかしたら自分の心の奥に、生きる場所を変えてみようか、という気持ちは、あったのかもしれません」

 東京と三崎を往復しながら、音楽の仕事を続ける中で、自分が店を持つことは想像していなかった。しかし、築120年の銭湯や、昔ながらの佃煮(つくだに)屋さん、総菜屋さんなど、商店街に息づいていた店が、店主の高齢化とともに、ひとつ減り、ふたつ減りと姿を消していく中で、考えが変わっていった。

「三浦は新しい産業がない場所ですので、雇用機会も十分ではなく、現実は厳しい。どの地方にも通じる課題ですが、ここで生きていくのなら、自分で新しい分野の仕事を生み出すという気持ちを持たなくちゃいけないな。そう思うようになったんです」

 使命感や義務感ではなく、「この古きよき港町に、心躍るような楽しいアイテムがほしい。それは地元の人も、僕も同じだ」という一心だった。

 2010年、商店街の一画に十数席の開放的なカフェ「ミサキプレッソ」を出店。その小さな場所に、同じ気持ちの人が集まることによって、界隈(かいわい)が変わっていった。

(後編に続く:8月17日更新予定です)

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PROFILE

清野由美(きよの・ゆみ)

清野由美

ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。在学中、英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

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清野由美(きよの・ゆみ)

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ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。在学中、英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

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