東京の台所

<アイルランドの台所 8>取材後記:生活費は“ビニールハウス”次第

  • 文・写真 大平一枝
  • 2018年9月6日

夏の番外編「アイルランドの台所」6軒をめぐる旅が終わり、今回は大平一枝さんの取材後記です。大平さん、ロンドン・ヒースロー空港経由ではるばる訪れたアイルランドで出会った人たちの暮らしぶりや台所に、共通して感じるものがあったといいます。

    ◇

1カ月の生活費とは

 6人の取材を終え、アイルランドを離れるという前夜、私は、コーディネーターの日本人女性に、ぶしつけな質問をした。
「子どもがふたりいる家族4人だと、生活費はひと月いくらくらいかかるんでしょう?」

 運転をしながら、彼女に普通に聞き返された。
「それはビニールハウスありの場合ですか? なしですか?」
 じつにかの国らしい質問だと、妙に印象に残っている。

 半自給自足に近い暮らしをする住民や移住者が比較的多いフィークル村周辺を中心に取材をしたので、ここをもってアイルランドやフィークル村全体を語ることはできない。
 ただ、この地域に関して言えば、傾向として自家用の野菜やハーブ、果物を育てるビニールハウスを備えている家庭は多かった。

 取材した6軒のうち4軒が併設。業者が建てるのではなく、ホームセンターでパーツを買ってきて、自分たちで組み立てていた。よく見ると少々不格好だったりするのだが、農業が生業ではないので問題はない。

 自家用野菜の多くをここでまかない、足りないものをたまにスーパーで買う。ちなみに切らす野菜の代表は、じゃがいもである。どのスーパーにも、日本のような数個入りの袋はなく、20キロ単位の袋を担いで駐車場まで運ぶ。じゃがいも料理はどの家でも毎日のように作り、取材時にさっと出されるマッシュポテトやベイクドポテトのおいしさには舌を巻くばかりであった。

 さて、冒頭の回答を。ビニールハウス1棟ありで、フィークル村のような地方だと、一家の生活費は「10万円もあれば十分」とのことであった。

滞在で使った現金は1ユーロ

 6日間の滞在で使った現金は1ユーロである。食品店で水を買った。まず、日本円への両替所がない。何かあったらカードをと思っていたが、朝は自炊、昼はなりゆきで取材者宅でごちそうになり、夜はコーディネーター宅でふるまわれた。どれも、おおげさなよそゆきの料理ではなく、シンプルな家庭料理だった。それが、みなおかわりをするくらいおいしかった。

 育てている鶏の産んだ卵で焼くキッシュ、甘くて濃いミルクやヨーグルト、りんごのパイ、生地から練って作る焼き立てのピザ。なにより、アイルランドのパンとバターは至福だ。時間のあるときにまとめて焼き、食べるたびに薄くスライスしてカリッと焼くハードブレッドは、家ごとに味も香りも違う。バターはすくいやすいように、どの家庭も常温で保存し、たっぷりパンに塗って食べる。
 料理の前に、まず畑にサラダの材料を摘みに行く姿を見て、心の中で、これでおいしくないはずがないと確信したものだ。

 泊まったのは、森のなかの一軒家。民泊のAirbnbで、自宅の1室を貸している同年代のフランス人女性、フローレンスさん宅である。
 東京の小学校校庭の数倍はありそうな敷地で、有機農をしている。といってもすべて自家用で、生業ではない。

 台所やお風呂、リビングダイニングは彼女と共用だ。調味料や冷蔵庫を見て、彼女は厳格なベジタリアンだとわかった。小麦粉も断っていて、朝はフルーツと野菜を食べていた。歯磨き粉やシャンプーも自然派で、品質にこだわっている。
 30畳はありそうなリビングにはテレビがない。そのかわり望遠鏡があって、鳥や星を見るのが好きだと教えてくれた。片言の英語で会話を楽しんだが、ほがらかで、穏やか。笑顔の美しいスリムでおしゃれな女性だった。

 彼女のように、とてもストイックには暮らせないと最初は遠くから眺めていた。だが、朝は風の音を聴きながらヨガを。昼は畑を耕し、夕刻はランニングに行き、夜はおめかししてアイルランドミュージックのライブに行ったり、読書や星を観察する暮らしを垣間見るうちに、物質以外のものに満たされる時間の豊かさ、なにかに追いかけられるものがない生活の心地よさが、ひどくまぶしく見え始めた。

 紙と人の物語をつづった著書を見せたら、「私も手紙や、紙の本が好き!」と会話が止まらなくなり、取材に遅れそうになった。フランスで生まれ育った彼女がなぜ、ひとり木々に囲まれた森の家に住んでいるのか、聞きそびれたことを悔いている。

 滞在中、外での食事は一度きり。あとはパブでビールを2回。出かけるにもパブまで車で40分なので、時間がとれなかった。
 こんなにお金を使わない旅は初めてなのに、おいしい思い出しかない。

ロストバゲージに思ったこと

 ところで私は、ロンドン・ヒースロー空港から、アイルランドのシャノン空港に乗り換えた際、ロストバゲージを体験した。
 待てど暮らせど、自分のスーツケースがレーンに乗ってこず、旅の初日のハプニングに動揺しながら空港事務所に駆け込んだ。同じ便で、ほかに2人現地の人らしき乗客がいた。
 ところがみなカリカリもしていないし、文句も言わない。なんて温厚なんだろう!と、この国で最初に驚いた出来事だった。

 同じことが東京であったらどうだったろう。
 取り乱している私に、アイルランド人の男性が片言の日本語で「僕も羽田から乗り換えで、ロストバゲージ組です」と、話しかけてきた。
 アイルランドは初めてですか? いいところなので、どうか嫌いにならないで、楽しんでくださいねと、同じ立場なのに励まされた。

 待つ。作る。分ける。多くを求めない。人や家族を大切にする。自然やいまあるものに感謝する。
 取材で会った人の暮らしぶりや台所から感じた精神性の共通項だ。これはアイルランドだからだろうか? いや、違う。ついこの間までの日本にあった宝物のはずだ。

(おわり)

(次回から「東京の台所」を再開します)

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

写真

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)ほか。最新刊は『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)。HP「暮らしの柄」』。■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM/

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大平一枝(おおだいら・かずえ)

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長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)ほか。最新刊は『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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