東京の台所

<小さな家の生活日記1>伝説のエッセイ『15分の夜道、心のキャッチボール』

  • 大平一枝
  • 2018年9月14日

「東京の台所」でおなじみの大平一枝さんは、23歳の息子さんと19歳の娘さんのお母さんでもあります。大平さんは、朝日新聞デジタルの前身「アサヒコム」で毎週月曜日、「小さな家の生活日記」を連載していました。
開始当時はお子さんが2歳と6歳。笑いあり涙あり、働く母の試行錯誤の日々を綴った連載は多くの方に支持され、朝日新聞デジタルに移行して「東京の台所」が始まるまで11年間続き、このほど1冊の本『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく~母業23年つれづれ日記』(9月14日発売)にまとまりました。

発売を記念し、アサヒコム時代とりわけ反響が大きかったエッセイ2作と、書き下ろし「小さな家の生活日記 2018年特別編」をお送りします。

    ◇

15分の夜道、心のキャッチボール

アサヒ・コムの連載当時住んでいた、築45年の下北沢の古家。池があり、みょうがが自生。連載を読んだ方から「昔、その家に住んでいました。庭にみょうががあるので探してみてください」とメールをもらっておどろいた思い出が

長男16歳
長女12歳

 息の詰まるようなこの時期が、今年もきた。娘の中学受験が、10日後に迫っている。

 長男の受験を経験した4年前の大雪の朝、12歳の小さな背中を見送ったとき、二度とこんな辛いことはすまいと誓った。
 当日の朝、「無事、受験に行ったか?」と心配のメールをよこした田舎の父に、「見送ったとき、あれ? あの子の背中、こんなに小さかったっけと思った」と返信した。あれは涙でかすんで読めなくてまいったと、後で父から聞いた。

 毎日塾に通い、帰宅は22時近く。長男の時は、本人がどうしても行きたい学校があり、夜遅くまで自分から机に向かっていた。12歳で、そこまでして最初の人生の決断をさせる是非は、家庭ごとに考え方が違う。地域性もある。「信じられない。うちは毎日学校から帰ったらランドセルを放り投げて、釣りに行ってくるって鉄砲玉みたいに飛んで行っちゃう」という九州の友人の話を聞くと、それが本来の子どもの姿であろうと心から思う。

 だが、長男は受験を選んだ。クラスの半数以上が受験をする環境で、遅くまでの塾通いも友だちと一緒であまり苦にならなかったようだ。小学校の違う塾友とは、4年経た今でも、ときどき一緒に遊んでいる。戦友のような感覚に近いのかもしれない。

 しかし、娘はこれといって行きたい学校もなく、ただ、友だちがみんな塾に行くから私も行きたい、お兄ちゃんも受験したし私もという軽いノリで受験勉強を始めた。そのためか、勉強もすぐに苦痛になり、大手の集団塾にもなじめなかった。

 塾を替えたり、受験をやめようと話し合ったのも一度や二度ではない。兄が経験したから妹も自然にとりくめるというほど、受験は甘くないし、子どもの人格も違うのだからなにもかも違って当然だ。
 そうわかっていても、やる気のない娘をみると、ついつい小言が口をついて出てしまう。

 ふりかえっても、しんどかったことの方が次々と思い浮かぶ。この年齢の受験の向き不向きは子どもによって異なる。わが娘にははたしてどうだったのか。今は渦中にいるのでよくわからない。

 だが、娘にもいいことがふたつだけあった。ひとつは、目標に向かって親子で走ったという実感だ。

 泣いたり笑ったり、時には仲違いをしながらも、その目標をクリアするためにどうしたらいいか、一緒に考えた。きっとこういう経験はこの先、もうない。自分の目標は自分一人でおいかけるはずだし、そんな道の傍らに親がいても邪魔なだけだ。これは長男の受験でも感じたことだ。

 もうひとつは、毎晩バス停から自宅まで15分ほどの道を、肩を並べて歩いて帰ったことだ。

 長男の時はしなかったが、女児なので夜道を付き添った。小さなおにぎりやあめ玉をポケットに入れていき、「はいよ」と手品のように差し出したり、寒いのでランニングのまねをしたり、月を眺めながらあれこれ他愛もない話をする。

 娘は、塾から解放されて表情も明るく、一日の中でこのときが一番饒舌だ。私も勉強の話はできるだけせず、学校や友だちやドラマの話に聴き入る。今、ジャニーズの中で誰が一番好きか、班の係は何で、クラスの男子がどれだけあんぽんたんで(娘曰く)、おもしろい生き物なのか。

「A男がさー、提出した絵を持ってきてくれたんだけどさ。チョーおかしいの。裏に小さく薄くB男のハンコが押してあるんだよ? B君との入籍はまだですかーとか言いながら。バカだよねー」
 B男君は、以前にバレンタインのチョコをあげたらいつのまにか噂になってしまったお相手だそう。
「なんて言い返したの?」
「なーに言ってんだかって笑うしかないじゃん。おもしろいから、今年はA男にチョコめぐんでやろうかな」
 くくっといたずらっぽく笑う。ああ、今彼女が気になっているのはA男君なんだなとわかる。

 手を繋げる年齢はとうに過ぎ、今は洋服を共有するほどに体が大きくなっている。この先、恋の行方もジャニーズへの思慕も、聞く相手が私ではないことだけはわかっている。思春期にさしかかる直前の、不安定で壊れやすくてやわらかな子どもの心のはしっこにほんの少し触れることができる幸せをしみじみかみしめる。この時間もあと10回と、心の中でカウントしながら。

 過熱する中学受験の話に必ずついてくる「異常」や「狂信的」という言葉が気にならないといえば嘘になるが、こんな親の独り言もあるというお話である。さて今晩は、何をポケットにしのばせて迎えに行こう。

新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく

小さな家

大平一枝 著 大和書房 刊 1620円(税込み)
アサヒ・コム『小さな家の生活日記』をはじめ19年間、各紙誌に綴ってきたエッセイが1冊に。読んで楽になった、泣ける……とママたちのあいだで話題沸騰! 人気サイト「北欧、暮らしの道具店」で大反響のエッセイも。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

写真

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)ほか。最新刊は『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)。HP「暮らしの柄」』。■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM/

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大平一枝(おおだいら・かずえ)

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長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)ほか。最新刊は『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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