ART&MOVIE

<インタビュー>「芸術に性別がないように、私の生き方にも性別はないの」ディヴィーナ・ヴァレリアさん【Movie】

  • 文 坂口さゆり
  • 2018年9月25日

&w(アンド・ダブリュー)編集部がおすすめする、アートや映画の情報を随時ご紹介します!

ミモザフィルムズ提供

女装して街中を歩くことが禁じられていた時代に、舞台で華々しい活躍をしていたブラジルのドラァグクイーンやトランスヴェスタイトたち(※)。そのドラァグクイーン・カルチャー黎明(れいめい)期を支えた一人、ディヴィーナ・ヴァレリアさんが映画「ディヴァイン・ディーバ」のプロモーションで来日。彼女の人生を振り返ってもらった。

ディヴィーナ・ヴァレリア
1944年6月5日生まれ。ブラジル・サンパウロ出身。歌手として国際的に活躍、60年代にアルバムを発売。70年代は俳優として3本の映画に出演。ブラジルのトランスヴェスタイトとして、最初にヨーロッパへ渡ったグループの1人で、整形手術を施した第一人者。年中旅をしているため、家も持たず、彼女の性同一性を受け入れなかった家族とのつながりもない。

1960年代のブラジル、軍事独裁政権下で固定的な道徳観念に勇敢に立ち向かい、人権と個人の自由を求めて闘った異性装のパフォーマー(トランスヴェスタイト)の第一世代。そう聞いて勝手に壮絶な人生をイメージしていた。だが、取材部屋にやってきた歌手のディヴィーナ・ヴァレリアさんは若々しく華やかで笑顔が絶えない「女性」だった。

映画「ディヴァイン・ディーバ」で彼女は告白する。母や姉がいない時にカツラをかぶって女装していたこと。窓から顔を出すと、街行く人やバスから人々が自分を見ていたことがうれしかったこと。だから「女になりたかった」と。

「女としての気持ちは子どもの頃からずっとありました。ただ、私は性転換の手術を受けていません。自分の生き方を女だ男だという枠組みでは見ていませんし、自分を常に1人の人間として、アーティストとして見ています。芸術に性別はないと思いますし、私は芸術のために生きていますから」

人生にとって大切なのは、性よりアーティストとして生きること……。そんな彼女の強い思いを感じた。

(c)UPSIDE DISTRIBUTION, IMP. BLUEMIND, 2017

ヴァレリアさんは「生まれてからずっと歌っていた」と言うほど、幼い頃から歌が大好きだった。アマチュアの歌番組に出演したり、家の近所のナイトクラブで歌ったり。「歌で身を立てたい」との願いを成就させトランスヴェスタイトのプロ歌手としてデビューしたのが1964年。小さなナイトクラブの舞台を中心に歌っていたが、デビュー後すぐに「アルバムを出さないか」とのオファーがあった。彼女によれば、トランスヴェスタイトでアルバムを出した人は彼女が初めてだった。

地味な活動ながら歌えることに喜びを味わう日々。だが、客からは「あなたならパリで成功できるよ」とよく声をかけられた。以前から抱いていたパリへの憧れや客たちの声に後押しされ、69年に渡欧を決意した。ブラジルが軍事独裁政権になった年にデビューした彼女だけに、てっきり政権からの圧力が激しかったのかと思ったが、「政権から逃げようと渡欧したわけではないのよ。私は軍事独裁政権下の制限がある中でもすてきな舞台をやってたし(笑)。自分の可能性を広げたいからパリへ行ったの。この渡欧が私の人生の契機となりました」

スペインを皮切りに、フランスはパリ、イタリアやスイスなど欧州各地を回って歌い続けた。評判は上々。気づけば「パリで成功を収めた人」になっていた。72年、ヴァレリアさんは休暇のつもりでブラジルへ一時帰国を果たすと、空港には思いも寄らず報道陣が殺到していたと言う。

「ブラジルの大手新聞の著名な記者、ニナ・シャーデスが特派員としてパリに滞在していたんですが、彼女が私の帰国を記事にしたんですね。当時、24時間女装している人は私の他に誰もいませんでした。女装するのは舞台だけ、というトランスヴェスタイトが多かったので、みんなが珍しかった私を見に来て、ニュースにしたんですよ(笑)」

(c)UPSIDE DISTRIBUTION, IMP. BLUEMIND, 2017

さらに、彼女を驚かせたことがあった。ブラジルのエンターテインメント業界で敏腕プロデューサーとして知られた、ルイス・カルロス・ミエーレとロナウド・ボスコリ(いずれも故人)から連絡が入ったことだ。

「2人はコンビで何人もの著名な歌手をデビューさせて育ててきた大物プロデューサー。私が歌手として新しい段階へ進むための門を開いてくれたのが彼らなんです。私のキャリアになくてはならない人たちです」

ミエーレとボスコリはヴァレリアさんのパリ公演を見た人から評判を聞きつけ、彼女が帰国するや滞在先のホテルへ電話をかけてきたのだと言う。

「何しろ2人は大物プロデューサーですから私も昔から存在は知っていますし、彼らも私が歌が好きなことを知っていました。でも、彼らから『会いたい』と声をかけられるなんて夢のよう。当時、私はパリに貴族の恋人もいましたし帰るつもりでしたが、2人からのショーの申し出はあまりに魅力的でした。タイトルは『男と女』。フランス映画の『男と女』のテーマ音楽を使ったトークと歌のショーです。ミエーレは役者でもあったので、彼が男役で私が女役。当時、私の女としての人生は始まったばかり。女でありたいという気持ちが大きかったので、そこを強く意識していたと思います。結局、このショーがあまりに成功したので、7年もブラジルに滞在することになってしまったんです(笑)」

(c)UPSIDE DISTRIBUTION, IMP. BLUEMIND, 2017

帰国後、最初に彼らと組んだことで、ヴァレリアさんの知名度はブラジルで一気に上昇した。

「2人のお陰で、芸術という意味で全く違う次元に到達できました。『男と女』の後、5、6本は、アラシー・ディ・アルメイダやフラヴィオ・カヴァウカンチなどブラジルでは名だたる素晴らしいアーティストたちと仕事をする機会を与えられました。その後、1人でパフォーマンスするようになった時もボスコリに脚本を書いてもらうこともありました。2人は飛躍のきっかけをつくってくれた『恩人』です」

歌手になって54年。最も大切にしているのは「プロ意識、責任感、さらに一緒に舞台をつくる仲間と知識を共有し、対等な目線で互いに認め合うこと」。それに気づかされたのは、ミエーレとボスコリという相棒が多くの才能豊かなアーティストたちと仕事をする機会を与えてくれたから。2人から始まった数々の出会いが今、性を超えた1人のアーティスト“ディヴィーナ・ヴァレリア”の血肉になっている。

※トランスヴェスタイト
女性装でパフォーマンスをする男性、男性装でパフォーマンスする女性を指す。パフォーマーとして着飾ることはあっても、ドラァグクイーンほど過度のコーディネートやメイクをしないことがある。また、ドラァグクイーンは、女性性をデフォルメした派手な衣装とメイクを施したパフォーマーのこと。主にゲイ男性が多い。

  ◇

「ディヴァイン・ディーヴァ」
軍事独裁政権下の1960年代のブラジルに登場したドラァグクイーンたちの中でも、第一世代と呼ばれる、ドラァグクイーンカルチャー黎明期を支えた人々を追ったドキュメンタリー。彼女たちの拠点となったリオデジャネイロの劇場「ヒバル・シアター」の創立70周年を記念して、劇場から巣立ったレジェンドたちを集めて行ったイベント公演を主軸に、その舞台裏や彼女たちの歴史や素顔を見せる。 監督:レアンドラ・レアル 出演:ブリジッチ・ディ・ブジオス、マルケザ、ジャネ・ディ・カストロ、カミレ K、フジカ・ディ・ハリディ、ホジェリア、ディヴィーナ・ヴァレリア、エロイナ・ドス・レオパルドほか。東京・ヒューマントラストシネマ渋谷、シネマート新宿ほか全国順次公開中

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