東京の台所

<小さな家の生活日記 2018特別編>『子育ては祈りである』

  • 文・写真 大平一枝
  • 2018年9月20日

「東京の台所」でおなじみの大平一枝さんは、23歳の息子さんと19歳の娘さんのお母さんでもあります。大平さんは、朝日新聞デジタルの前身「アサヒコム」で毎週月曜日、「小さな家の生活日記」を連載していました。

開始当時はお子さんが2歳と6歳。笑いあり涙あり、働く母の試行錯誤の日々を綴った連載は多くの方に支持され、朝日新聞デジタルに移行して「東京の台所」が始まるまで11年間続き、このほど1冊の本『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく~母業23年つれづれ日記』(9月14日発売)にまとまりました。

発売を記念し、アサヒコム時代とりわけ反響が大きかったエッセイ2作をご紹介しました。今回は締めくくりとして、書き下ろし「小さな家の生活日記 2018年特別編」をお送りします。

    ◇

『子育ては祈りである』

娘の高校卒業を機に、本格的に外に仕事場を設けた。執筆しながら「おかえり」と子を迎える生活からの引退である。友達に手伝ってもらい、古いマンションに黄色い壁紙、タイルシールを貼り、ペンキを塗ってリメイクした

「楽しめ」ってどうやって?

 母になって間もない人に、つとめて言わないようにしている言葉がある。

「今を楽しんでね」である。

 先輩風を吹かせて「子育てなんてあっという間だから、今を楽しんで」なんて言ったところで、当人はそれどころではない。

 私がそうだった。

 添い寝をしなければ寝ず、やっと寝ついてくれた、さて原稿の続きを書こうとそっと布団を這い出ると、ふんぎゃあと泣く。起床から保育園に送るまでは戦争のように慌ただしく、取材が終わると小走りに保育園に向かう。保育士から「お母さん、朝も夜もいつも走っていますね」と言われたことがある。子どもが寝たあとは、皿をどっちが洗うかなどというしみったれたことで、夫婦の言い争いがあり、休日はせっかく出かけた箱根で、何が不愉快か知らないが子どもが泣き続けて、なんのためにきたのかとこちらが泣きたくなった。

 そんな毎日なので、トトロのぬいぐるみより小さいこの人が、ひとりで学校へ行ったり、「今日は熱っぽくてだるいから泣いているの」と感情を説明したり、回転寿司とファミレスと焼き肉以外に親子で行ける日なんて、一体いつ来るのだろう、100年先ではあるまいかと思うほど、「成長」という言葉が信じられなかった。

 だって、目の前でバブバブ言うか、ふにゃふにゃ泣いているだけなのだもの。

 “楽しめ”ってどうやって?

 初めて母になったばかりの親業初心者なのに、なにをどうしたら、理由がわからず夜泣きしているこの瞬間を楽しめるっていうの?

 かような理由から、若い編集者や後輩ライターが出産したと聞いても、つい感じのいい丸い言葉は、心の奥底にしまいこんでしまう。

 そして緊急時のベビーシッターや、ヘトヘトに疲れて帰宅したときのお助け惣菜など、生活感丸出しの入れ知恵ばかりおしつける。家庭の事情や、料理の好みも違うだろうし、おせっかい以外の何物でもないよなと思いながら。

 娘2歳。息子6歳のときからアサヒコムで11年間、毎週連載をさせてもらった。その間に転居は4回。迷い、失敗し、逆戻りし、また1歩進むというようなまどろっこしい子育ての日々をそのまま綴った。

 デジタル化や技術の発展で、さまざまなことが簡単に早くできるようになったが、子育ては省略も時短もできない。

 乳を飲み、言葉を覚え、つかまり立ちして、歩き出す。途方もないほどアナログで、原始的な営みとスピードである。

ジェットコースターの日々

  

 でも、やっぱり、先輩母から聞いてきたことは正しいのである。

 あるときからビュンビュン音を立てて、ジェットコースターのように親子の時間は過ぎゆく。

 18で実家を離れた私は、残り時間をカウントするからだろうか、10歳くらいからが早かった。待ってお願いだからもうすこしゆっくり、と思うのに、子どもはぐんぐん私を飛び越えて、知らない世界に歩いていってしまう。

 今年4月、息子は小学生の時から志していた国際協力関連の仕事に就き、今はアフリカにいる。狭いマンションなのだから、すこんと空いた彼の3畳ほどの部屋を使えばいいのだが、夫も私もなんとなく空室のままにしている。ときどき大学1年の娘が「お兄ちゃんの汗臭い匂いがする」といいながら、そのベッドで寝たりしている。

 私はコーポラティブハウスという、住人同士で建設組合を結成して自由設計で建てた集合住宅に住んでいるが、あれほど子ども中心に家造りを考えなくともよかったのにと、当時のアサヒ・コムの拙文を読んで気づいた。

 どんなに凝ったところで、子どもなどやがて出ていく。振り出しの、夫婦2人に戻るだけなのに。素敵な子ども仕様の壁紙とか、間取りとか、頭をぶつけないよう角の丸い家具とか、そんな配慮はいらなかったのだ。22歳で、アフリカに行ってしまうのだから。

 だから、小さい子を持つ女性を見ると、口に出さず心の中でそっと願う。今に楽になるからね。もうちょっとだけ頑張って。ああ楽になったと思う頃には、アフリカに行ってしまっているかもしれないから。今はしんどいかもしれないけれど、どうかどうか忘れないで胸に刻んで欲しい。足にすがりついて泣く子の愛しさを。理由もわからず、むずかる子に頼られる安らかさを。

 そして、もうそんなに手はかからないけれど、揺れ動く思春期という不安定で難しい日々に困惑しているお母さんたちにも、じつは同じ言葉を送りたい。全身トゲだらけのようにしているその子も、あっというまに親の預かり知らぬ世界の人になってしまう。だから、ともに過ごせる時間を、どうかいとしんで。

 これはもはや、祈りなのかもしれない。



新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく

小さな家

大平一枝 著 大和書房 刊 1620円(税込み)
アサヒ・コム『小さな家の生活日記』をはじめ19年間、各紙誌に綴ってきたエッセイが1冊に。読んで楽になった、泣ける……とママたちのあいだで話題沸騰! 人気サイト「北欧、暮らしの道具店」で大反響のエッセイも。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

写真

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)ほか。最新刊は『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)。HP「暮らしの柄」』。■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM/

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大平一枝(おおだいら・かずえ)

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長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)ほか。最新刊は『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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