MUSIC TALK

デビュー30周年。日本へと行き着いた「音楽の旅」 小野リサ(後編)

  • 2018年10月26日

撮影/山田秀隆

今では定番の音楽ジャンルとして日本に根付いているボサノバ。「日本人初の本格的ボサノバシンガー」としてデビューし、以来30年、歌い続けてきた小野リサさんの存在なくしては語れない。小野さんが積み重ねてきた「出会い」「旅」「人生」は? (文・中津海麻子)

    ◇

(前編から続く)

「ボサノバの神」と夢のような長電話

――本場ブラジルのボサノバのアーティストとの交流や共演も多いですね。思い出、彼らから受けた影響はありますか?

ボサノバ創始者の一人で「ボサノバの神」と称されるジョアン・ジルベルトとは、デビューから数年後、レコーディングで訪れたリオデジャネイロで初めて会うことができました。と言っても、電話越しに。彼はあまり人と直接会わないのです。CDで聴いていた憧れの人の声が受話器から聞こえてきて、夢のようでした。1時間ぐらい長電話したものだから彼の声が頭の中でループしちゃって、もう興奮状態(笑)。その日は一睡もできず、ふとギターを手にしたら自然と曲が生まれました。それが「Um Abraço no João ジョアンに捧ぐ」という曲です。あんな経験はほかにはありません。

ボサノバを創った伝説の作曲家、アントニオ・カルロス・ジョビンには、アルバムに参加していただくことになり、ブラジルのご自宅を訪ねました。すると、ピアノを弾いて「さぁ、歌って!」ってニッコリ。ジョアンとは対照的で、気さくで社交的なんです。彼が何げなくピアノをポロポロと奏でるだけで新しいものが生まれる。その瞬間を目の当たりにし、心から感動しました。

幸いなことにほかにも多くのミュージシャンと触れ合う機会に恵まれました。彼らはみな情熱的で、音楽を心から楽しんでいた。そして、そばにいるだけで色々なことが感じられました。彼らから「声がいい」と言ってもらえたのは本当にうれしかった。持って生まれたものだから両親に感謝しつつ、これからももっともっと磨いて歌い続けていきたいですね。

世界の音楽の旅へ

――これまで、節目や転機はありましたか?

デビューから毎年1枚ずつアルバムをリリースし、10年目に出したアルバム『ボッサ・カリオカ』は、ジョビンの息子と孫であるパウロ&ダニエル・ジョビンと一緒に作りました。ジョビンの楽曲をはじめボサノバ王道の名曲の数々を収録して、一つの達成感を得ることができ、そこからは一人のシンガーとしていろんな歌に出会いたい、歌ってみたい、と思うようになりました。そして「音楽の旅」に出ることにしたのです。

世界各地の楽曲を現地の言葉で、ボサノバとして歌う旅。北米、ハワイ、イタリア、フランス、アフリカと中近東、メキシコにキューバ……と、アルバムを作っていきました。それまでの私はブラジル音楽こそが世界一すばらしいと思っていた。ところが音楽の旅に出てみたら、世界にはすばらしい音楽がたくさん存在していて、私には知らないことがあまりにもたくさんあると気づかされました。

たとえば、ハワイの国民的歌手であるテレサ・ブライトさんとご一緒した『ボッサ・フラ・ノヴァ』(2001年)では、ハワイアン独特のスラックキー・ギターという奏法を知り、とても新鮮でした。アメリカンカントリーをテーマにした『ジャンバラヤ~ボッサ・アメリカーナ~』(06年)では、バイオリンや大きな太鼓という編成のブルーグラスがブラジル北東部の音楽にとてもよく似ていて、ブラジル音楽の原点を垣間見ることができました。また、『クエスタ・ボッサ・ミーア…』(02年)では全曲をイタリア語で歌ったのですが、さすがオペラの国であるイタリア語は、歌とマッチしていて、とても感情を込めやすかった。「歌う」ということに関して学ぶことが多かったですね。

それまではポルトガル語にこだわって歌ってきたけれど、違う言語で歌えたことは大きな自信になりました。様々な言語で歌うことが私の新しい個性になると発見できた。毎回、旅のスーツケースにはお土産がどんどん増えて、宝物でいっぱいに。私の音楽の世界もグンと広がりました。

もう一つ大きかったのは、様々な音楽を知ることで改めてブラジル音楽の素晴らしさに気づけたこと。移民の多いブラジルは、音楽もいろんなものが混じっていて、「いいとこ取り」みたいなところがある。心地よければ、楽しければなんでも受け入れる。そんなブラジル気質や器の大きさからブラジル音楽が生まれたことに、改めて感動を覚えました。

日本語で歌うことの難しさ

――「音楽の旅」は日本へ行き着きます。日本の歌を日本語でカバーするアルバム「Japão」シリーズに続き、今年、デビュー30周年を記念してリリースした『旅 そして ふるさと』で4枚目になります。小野さんにとって日本語で歌うこととは? 

本当に難しい。英語もポルトガル語も、一つのフレーズで情景や感情を説明するのですが、日本語は一つひとつの言葉に込められた気持ちに忠実に歌わないと伝わらない。それが日本の歌の魅力であり、でも、歌う上ではとても難しいのです。

『旅 そして ふるさと』は、山口百恵さんの「いい日旅立ち」や玉置浩二さんの「メロディー」など、日本各地のご当地ソングや旅をテーマにした曲をカバーしました。まさに旅をするような感覚で聴いていただけるかと思います。やはり日本語で表現することの難しさを改めて痛感し、レコーディングは必死でした。でも、今は日本語で歌うことがとても楽しい。課題を克服しながら、少しずつ少しずつ極めていきたいですね。

デビュー30周年を記念し、今年3月にリリースしたアルバム『旅 そして ふるさと』

――プライベートでは3人のお子さんのお母さんでもあります。

もし子どもがいなかったら、私、毎日イパネマビーチで日光浴してたかも。そうならなくてよかったなぁって(笑)。本当に毎日目が回るぐらい忙しく、仕事と子育てを両立する大変さを身にしみて感じていますが、日々頑張れているのは、子どもからパワーをもらっているから。子育てしながら、私自身が大人にしてもらっているみたいなところはありますね。音楽は早いうちからプロとしてやってきたけれど、子育てはアマチュアだと感じることがいっぱい。そうした色々な経験を積むことで人生の機微のようなものが蓄えられ、それは当然、音楽の幅、豊かさにつながっていくものだと思っています。

――デビュー30年の今年はくしくも、ボサノバ誕生60年、ブラジル移民110周年と、大きな節目の年となりました。ご自身の「これから」をどう見据えていますか?

ジョビンに大きな影響を与えたとされるフランスのシンガー、アンリ・サルバドールさんとビルボードライブで共演したときのこと。楽屋では普通のおじいちゃんなのに、ステージに立った瞬間、ものすごく輝いていた。その神々しさに胸がいっぱいになりました。残念ながらそれから1年後に亡くなられましたが、私もあんな風に歌っていけたら――。歌うことを楽しんでいきたい。そして、そんな私の歌を聴いてくれる皆さんと、音楽を通じて感動を共有、共感していきたい。いつもそう願っています。

    ◇

小野リサ(おの・りさ)

1962年、ブラジル・サンパウロ生まれ。10歳までブラジルで過ごし、15歳からギターを弾きながら歌い始める。1989年、アルバム『カトピリ』でデビュー。“ボサノバの神様”アントニオ・カルロス・ジョビンや、“ジャズ・サンバの巨匠”ジョアン・ドナートなどと共演してきた。99年、アルバム「ドリーム」が20万枚を超えるヒットを記録、これまでに日本ゴールドディスク大賞「ジャズ部門」を4度受賞した。北米、ブラジル、オーストラリア、アジア各国での公演も積極的に行っている。2013年、ブラジル政府からリオ・ブランコ国家勲章を授与されるなど、日本におけるボサノバの第一人者としての地位を不動のものとしている。今年3月、デビュー30周年を記念してJ-POPカバーアルバム第4弾『旅 そして ふるさと』をリリース。アルバムを引っさげて、全国ツアー開催中。来年2月は、ツアーファイナルとして、中野サンプラザホールでライブを開催することが決定している。

小野リサ オフィシャルサイト http://onolisa.com/

【コンサート情報】
LISA ONO 30th Anniversary Tour ~旅 そして ふるさと~ 詳細はこちら

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