ART&MOVIE

写真家・植本一子、フェルメール全点踏破の旅

  • 文・草刈大介 写真・植本一子
  • 2018年11月5日

  

絵に近づきすぎないで。おしゃべりはだめ。美術館の中では他の人の迷惑にならないよう、音をたてないこと。作品の写真撮影は禁止。絵を見るということは、一人静かに作品と向かい合うことなのだから。

誰かから習ったわけではないのに、こんな絵の見方が、私たち日本人の身に染み付いてはいないだろうか。絵の前にはたいていロープか静止線が引かれていて、ぐっと顔を突き出すと監視員が声をかけてくる(駆けてくることも)。連れ合いとおしゃべりしていると、その場では注意されなくても、姿を見せない目撃者があとから美術館にクレームを入れることもある。9点もの貴重な絵画が来日する「フェルメール展」(上野の森美術館で開催中)ともなれば、こうした圧力が一気に高まるのは容易に想像がつく。

  

では、フェルメールの絵画は、ふだんどんなふうに展示されているのだろう?

「若い白人の男の子が手を組んで座り、静かに2枚をみつめていた。iPhoneで撮影することもなく、長い間じっと集中して見ている。すぐ側で見入っていた鷲(わし)鼻のおじいさんは、メガネを外して近づいて見たり、絵から離れて見たりと熱心。しばらく自分の目で見た後はiPhoneを取り出して写真を撮り、今度は小さなデジカメで何枚か押さえていた。その写真は誰かに見せるためのものだろうか。いなくなったと思ったらまた戻ってきたりと、この絵が相当好きらしい。さらに子ども達の集団がやって来て大賑わい。ぶつかりそうなくらい絵に近づき、見ている方がドキドキする。飽きている小さな子は、床に座り込んだりと自由。制止線もなく、監視員も少ないせいか、とても開放的な空気が流れている。ふと、ここが無料の公共施設だということを思い出す。飾られた絵はみんなのためのものなのだ。」

これは、「ヴァージナルの前に座る女」など2点を所蔵するロンドン・ナショナルギャラリーでの様子。今年の3~5月に、写真家で文筆家の植本一子さんが世界各地のフェルメール作品を「全点踏破」したときに記した文章だ。フェルメールを所蔵する各地の美術館では、人々が好きな距離感で絵を見ていた。恋人や友人は語り合う。警備員もリラックスしているし、SNSの普及もあって、ほとんどの美術館が写真撮影を認めている。日本的な絵の見方はことごとく存在せず、あるのは「絵はみんなのためのもの」という意識だった。

『フェルメール』植本 一子(著) ナナロク社+ブルーシープ刊(2000円+税)

現存作がわずか35点とされるフェルメールの絵画は、世界7カ国17の美術館などに所蔵されている。植本さんはフェルメール展の開催にあわせて、約3週間かけて取材可能な全作品を撮影し、5万字に及ぶ日記とあわせて書籍『フェルメール』(ナナロク社+ブルーシープ刊)を出版した。カンヴァスにぐっと近づいた筆遣いや画家の息遣いを感じさせるクローズアップ、壁紙の色や額縁、鑑賞者のまなざしをとらえたスナップ、絵を所蔵する美術館とその街の様子をとらえた美しい風景写真が、実際に各地を旅しているような気分にさせる。

  

この本がユニークなのは、フェルメールの画集なのに、絵の忠実な複製を意図していないところだ。遠くに絵の存在を認め、近づき、いったん離れ、また近づき、角度を変え、見ている人をちらりと眺める。こうした、私たちがふだん美術館で絵を見るリズムや視点で作品をとらえているのだ。

  

  

エッセーで定評のある植本さんの日記も、旅と鑑賞体験を味わい深いものにする。フェルメールと出会う緊張や喜び、発見を1点ずつ積み重ねながら、絵について、絵を見る人々について、美術館や街について、気づいたことや考えたことを丹念に書きつづっている。絵の精緻(せいち)な複製と専門家による分析ではなく、私的な印象こそを伝える写真と文章は、これまでなかった新しいタイプの美術書のあり方をも示している。

  

植本一子さんは1984年広島生まれ。2003年にキヤノン写真新世紀優秀賞を受賞すると、広告、雑誌、CDジャケット、PV等に活動の場を広げてきた。この数年はエッセーにも注目が集まり、ヒップホップミュージシャンの夫ECDさんや母親、子供らとの関係をストレートに描いた『かなわない』(タバブックス)、『家族最後の日』(太田出版)、『降伏の記録』(河出書房新社)がたて続けに出版され脚光を浴びた。

『フェルメール』の取材の1カ月前、闘病生活にあったECDさんが他界した。取材を延期することも考えられたが、植本さんは予定通りに行うことを決めた。『フェルメール』の撮影にあたっては、迷った末に、普段使っているデジタルカメラではなく、フィルムカメラでの撮影を選択した。フェルメールを全点撮影するまたとない機会、そして失敗の許されない局面。だからこそ、後悔しないために、フィルムカメラだけをバッグに詰め込み、高い緊張感を持ち続けて作品を仕上げた。

『フェルメール』は、美術ファンの誰もが夢見る「フェルメール全点踏破の旅」を、写真と文で何度も味わうことができるユニークな一冊だ。そして、作家・植本一子の新たな創作と生きる決意に満ちた旅立ちの書でもある。

プレゼント

植本一子さんの著書『フェルメール』を抽選で3名様にプレゼントします。
ご応募はこちらから。締め切りは11月20日(火)正午です。

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草刈大介(ブルーシープ代表)

朝日新聞社に入社し、「ミッフィー展」などの絵本展、「スヌーピー展」「加藤久仁生展」「機動戦士ガンダム展」などの漫画やアニメーション関係、「ブルーノ・ムナーリ展」などのデザイン関係、「マウリッツハイス美術館展」などの絵画展を担当。
2015年春に退社し、ブルーシープを設立。「スヌーピーミュージアム」「シンプルの正体」「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」「ルート・ブリュック展」などを担当。東京・乃木坂のBooks and Modern + Blue Sheep Galleryも共同運営している。


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