明日のわたしに還る

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INTERVIEW

『人魚の眠る家』篠原涼子さん「弱くて小さな自分が恥ずかしくなるくらい、大きくて大事なことを現場から学んだ」

  • 女優
  • Ryoko Shinohara
  • 2018.11.15

敏腕刑事、カリスマ派遣社員、年下男性に振り回される美容師、虐待を加える母。
変幻自在に、20代から代表作を生み出し続けている。
逡巡(しゅんじゅん)の末に引き受けた映画『人魚の眠る家』主演を経て、今とても清々(すがすが)しい気持ちでいるという篠原涼子さんの、
年齢ごとに上書き更新される魅力の根拠を探る。

文/大平一枝 写真/馬場磨貴

消えかけた炎に再び情熱が

 台所で夕食を作っていた。夫で俳優の市村正親さんがリビングから声をかけた。
「これ、演るの?」
 手には『人魚の眠る家』(東野圭吾著)がある。篠原涼子さんが帯を書いた本書が、たまたま部屋にあったので読んだらしい。
 彼女はその日のことを鮮明に記憶している。

「主人は小説が大好きで、いろんな作品を幅広く読む人。しかもものすごく読むのが早いんです。そのときも何げなく手にとった原作を、一気に読み終えたらしくて。でも私は、じつはこの小説を原作にした映画のお話を、お断りしていました。プールで溺れ、回復の見込みのないわが子の生命がテーマ。もし、このお話を受けることによって、自分の家にも何かが起きたらどうしようと思ったりして。すごくプレッシャーだし、不安で、怖かった……。けれど、主人は力強く言うんです。“ぜひお前やったほうがいいよ、これはお前がやらない限り誰がやるんだっていうぐらいの作品だよ?”」

 料理の手を止め、篠原さんは再び本を手にとった。人工的に維持される娘の命の本質、愛するがゆえの倫理観を超えた欲望、究極の選択を前に変わってゆく夫婦の絆。二児の母である彼女に、原作の主題があらためて胸の深いところに響いてきた。

 篠原さんは、その場で事務所に電話をした。
「あのお話、まだ間に合いますか?」
「間に合います」
「じゃあ、やらせてください」

 映画『人魚の眠る家』の制作は、こうして始まった。
「あのとき、主人の一言がなかったら私はここにいません」
 主演を務めた篠原さんは、清々しい表情で振り返る。
「監督やスタッフ、西島秀俊さんなど共演者の方々の凄(すさ)まじい集中力に刺激を受け、毎日やりきったという実感の連続でした。作品が仕上がった今、演じきったという達成感があります」

映画の神がいた

 20代から45歳の現在まで、年齢ごとに代表作が途絶えずにある。シングルマザーの敏腕刑事、カリスマ派遣社員、年下男性に翻弄(ほんろう)される美容師、恋に悩むアラフォー女性。コミカルからシリアス、テレビから舞台、映画まで。作風や表現の枠を超えて、見る者を惹(ひ)きつけ続ける魅力は、直感や感性のゆたかさだけによるものではない。
 作品の深い解釈と、演じるためのじつに緻密(ちみつ)な計算があることが、次の言葉からもわかる。

「今回の作品は、前の晩に考えすぎたり、つくりこんでいくといい結果にならないと思いました。台本を読んで前夜に泣いたとしても、翌日現場に入ったらまた泣けると思うんです。でも、そのとき現場で生まれる発想や感情、ライブ感が大事ではないかと。たとえば何月何日に撮ったなにかがあったとしても、別の日に撮ったらまたもっと違う気持ちになり、演技も変わる。この作品は何回もやり続けたらどんどんどんどん変わるんだろうなという気がしました。舞台となる一軒家が壮大なセットで、スタッフと演者の集中力と一体感がものすごかった。その空気の中で生まれる感情を、大事にしようと考えました」

 セットで組むと、機材や美術の撤収をせずにすみ、演者もスタッフもすみやかに撮影に取り掛かることができる。さらに、堤幸彦監督はあえて順撮りにし、娘が不慮の事故に遭い、揺れながら変化していく夫婦の心情を演じやすいよう心を砕いた。

「なんか、絶対神が降りてるって、常に思いながらやってました。あそこのスタジオの中に、映画の神が。空気がそういう感じだった。映画なんだけど、みんなでまるで舞台を撮っているような、セッションしている感覚で。こういう生な感覚が連続することはめったにありません」
 だから、前夜に役をつくりこむことをやめた。

 生命維持装置をつける娘の介護をする母親のリアルな心情は、同じ境遇の女性と話すことで、気付きをもらった。

「見学にお邪魔したとき、もっとやつれて疲れていらっしゃるのかと勝手に想像していたのです。ところが、伺ったらものすごくはつらつとして元気で、お母さまが、“この子が生まれてから私一回も風邪引いてないんです”、って言うんですね。気を張っていることもあるでしょうが、それ以上にお世話が生きがいなのだとわかりました。お子さんにも“篠原涼子さん来てくれたよー”って楽しそうに話しかけてらして。目を覚まさないけれど、私自身、お子さんの手に触れたら、ぎゅって握ってくれて。生きてる、ちゃんとわかってる、感じてるんだなと。だから、介護で疲れ切ったように演じるのはやめようと思いまいた」

 クランクアップ後、役柄を全く引きずることはない。
「ああ、終わったーと爽やかな気持ちでした。お引き受けするのは怖いなどと最初はためらいましたが、私はなんて小さなことで我が身を案じていたのだろうと。自分の弱さや小さな不安で終わらせなくて本当に良かった。こんなにやってよかったと思える作品に出会えて、本当に幸せです」

(C)2018「人魚の眠る家」製作委員会

強いエネルギーがそばにある安心感

 取材中、一度だけ「その質問には、あまりに普通すぎる答えしか思い浮かばなくて、それでいいのかな……」と、困惑した瞬間がある。あなたにとって守りたいものは、と問うたときだ。
「迷いなく家族ですね。それが一番です。それ以外のもので一番っていうものが思い浮かばないぐらい。味方ができた、強いエネルギー、力強い存在がそばにいてくれるという安心感は、ものすごく大きいです」

 子どもがいるからという基準で、仕事を選んだりはしない。「あまりそれに左右されると、本来の自分のやるべきスタイルが消えてしまう気がするので」、意識はしていないという。仕事を子どものせいにしたくない。ひとりの女優として、依頼された作品と向き合い、制作中は集中する。そのような境地におちついたのは、次男をもうけてからだ。

「長男のときは、育児に完璧を求めすぎて、かえって迷ってしまったのです。何をするにも長男長男と、すべてがちがちにとりくんでしまって、長男もすごくストレスだったんじゃないかなって思うくらい。次男が生まれて、お仕事も両方大切にやっていこうと思ったら、育児に対してもいい具合に力が抜けました。何が正しいかは今もわかりませんが、自分が振り回されてはだめ。私が自分のことをちゃんと見えてないと。そういう意味で、いつも冷静でいたいですね」

 役柄も、日々の生活も、人生も、俯瞰(ふかん)がうまい人なのかもしれない。だから、時代に流されず、すっくと孤立した1本の木のように佇(たたず)み、年齢に応じた代表作を生み出せる。
 きっと多くの演出者が抱くであろう思いを私も抱いた。50代、60代の篠原さんはどんなだろう。見届けたい。

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