東京の台所

<176>料理下手さんの意識が変わったあるできごと

  • 文・写真 大平一枝
  • 2018年11月28日

〈住人プロフィール〉
会社員(男性)・34歳
賃貸マンション・3LDK・JR中央線 中野駅(中野区)
築年数30年・入居6カ月・妻(会社員・32歳)とふたり暮らし

    ◇

 勤め先は違うが、夫婦ともに家電メーカーのプロダクトデザイナーである。繁忙期は、外食する気力さえ残っておらず、コンビニで夕食を買って家で食べることも多い。

 結婚4年目。家事は分担制で彼は掃除を、妻は料理担当だ。ショートカットに大きな瞳。取材に、「きのうの夜から緊張していました」と恥ずかしそうに語る妻は、どこか学生のような初々しさが漂う。
 そんな彼女の傍らで、彼は意外な話を始めた。

「正直、彼女は料理が得意じゃないなって思うんです」
 ほう、それはまたどんなところから?
「たとえば……お好み焼きに入っているキャベツがめちゃくちゃでかかったり。普通もっと小さいよ?って言うと、“普通ってなに?”。豚肉の肩ロースとバラと、部位がわからないみたいで。この料理には豚バラだよなっていうところで、違う硬い部位を使ったりして、もったいない結果になっちゃうんです」

 つまり、料理の勘所がわからないらしい。私もかつてはそうだったから、よくわかる。料理の腕は経験と場数でしか、上がらない。料理本のレシピの「細かく刻む」の「細かく」の程度からしてわからないのだ。
 彼女の言い分を聞いてみよう。

「自分ではおいしくできたって思うんです。でも、味薄いよねとか、この切り方は太すぎるよと言われる。ムッとして、じゃあ自分で作れば? って言い返します。でも、心の中で、確かになあって思うところもじつはあるんです。性格が大雑把で細かくきれいに切れない。だったらスライサーを使えばいいやって、今は割り切って道具で工夫しています」

 彼女が料理に対して、大きく気持ちが変わった出来事があった。
 仕事の繁忙期で疲れていて、前夜のみそ汁の残りと、「どういう料理か判別のつかない炒めもの」(夫談)を出したときのことだ。
 汁わんの半分にも満たない前日の残り物のみそ汁を食べ終えた夫が言った。
「これはないんじゃない?」
「それ、今言う?」
「俺と同じに働いていて、ご飯も作ってくれて、頑張っているのも疲れているのもよくわかる。でも俺たちは仕事で、使う相手のことを考えながら製品をデザインするでしょ? 自分なら料理も、相手のことを考えながら作るよ」
 はっとした。
「毎日、ごはんとみそ汁と炒めものを適当に出していました。ああ、心がここになかった、自分に余裕がなかったと気づいた。デザイナーが職業なら、もっと相手の気持ちを考えながら作ったほうがいいなと率直に思いましたね」

 翌日、初めて筑前煮を作ってみた。
 彼はひとくち食べるなり弾けるような笑顔で「おいしい!!」と、叫んだ。
 あ、ちゃんと作ったら、相手はこういう気持ちになってくれるんだと、うれしくなった。
 以来、普通の総菜を丁寧に作るようになった。バランス良い献立を簡単に決められるアプリも見つけ、活用している。「料理って、献立を考えるのが手間なんだなと。通勤電車でアプリに打ち込んでおくと、必要な食材もわかり、システム化できて帰宅後が楽なんです」

 ずいぶん素直で従順な人だなと思ったが、やがて気づいた。彼女は根っからの仕事人で、つねに仕事が自分の軸にあり、それと生活をきっちり切り離して考えるタイプではないのだろう。
 結婚生活によって、仕事に没頭すると家事に気が回らなくなることを自覚した。そこで一念発起、道具や気持ちの持ち方など自分なりの方法を編み出し、乗り越えようと奮闘を始めた。その過程もまた、仕事のように楽しんでいるのではあるまいか。

 キャベツの千切りがスイスイできる大きなスライサーや、左利き専用の木べらなどユニークな調理器具を愉快そうに説明する彼女を見て、そんなことを思った。

 彼は言う。
「以前から料理教室に通っていて、パスタを生地から作ってくれたりはしていました。でも僕は、ハレの日の料理じゃなく、炒めものや筑前煮がおいしければそれで十分幸せ。ふつうのおかずが、ちゃんとおいしいってすごくうれしくなります」

 最後に、彼が本欄へ応募したときの文章を紹介したい。
『あまり得意ではないけれど料理が好きな妻が毎日、仕事もバリバリこなしながら頑張ってご飯を作ってくれています。毎日頑張ってくれている彼女の新しい生活の節目に、ご縁がありましたらと思い、ご応募させて頂きました』

 “頑張っている”が2度も出てくる。
 彼が彼女のために応募した台所は、めいっぱい行間から感謝が溢(あふ)れているその文章通り、ふんわりとやわらかで優しい空気に包まれていた。

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PROFILE

大平一枝(おおだいら・かずえ)

写真

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)ほか。最新刊は『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)。HP「暮らしの柄」』。■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM/

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大平一枝(おおだいら・かずえ)

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長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『かみさま』(ポプラ社)ほか。最新刊は『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)。HP「暮らしの柄」 ■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM

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