オランダには、大学入試がありません。そのため、塾も受験産業もほとんど見かけません。高等教育機関の卒業試験をクリアすることで大学入学資格を得ることができます。日本の教育と比べると、あまりの違いに愕然(がくぜん)とします。
そうした教育システムの源流を探ると、ある理念に行き当たります。それは、「教育の自由」というものです。
オランダでは、フランスのナポレオン支配下だった19世紀、宗教的に中立の公立学校には国が教育費を出すという学校制度が生まれ、公教育が確立されたといいます。それは、ナポレオンが去ってオランダ王国になってからも残りました。
その後、プロテスタントやカトリックの教会が運営していた私立学校にも「公立校と同じように政府の補助金を出すべきだ」という声があがりました。「学校闘争」と呼ばれる90年にわたる闘いの末、1917年に世界でも稀な「教育の自由」が確立したのです。
「教育の自由」とは、「教育理念の自由」「学校設立の自由」「教育方法の自由」という三つの自由から成り立っています。
宗教にかかわらず教育理念にもとづいて学校教育を行う自由が認められたことで、学校でも宗教教育もできるようになりました。宗教団体や市民の協会が母体となり、保護者など200人以上の署名が集まれば、学校を設立することもできます。こうして、カトリック、プロテスタント、自由主義派、イスラム・ヒンドゥー教などの学校が次々と生まれていったのです。
オランダの学校には今、イスラム圏の子どもたちが多く通っています。公立学校でも私立学校でも、女の子がブルカ(ヴェールの一種)をかぶることはフランスのように問題にならないのは、こうした歴史的経緯があるからでしょう。
1960年代になると、宗教だけでなく、より特色ある学校をつくろうという動きが高まりました。モンテッソーリ、ダルトン、イエナプラン、フレネ、シュタイナーなど、オルタナティブ教育をする学校が少なくありません。
こうして、「教育の自由」によって多様な教育プログラムをもつ学校が生まれたのです。
1955年、宮城県仙台市生まれ。世田谷区長。高校進学時の内申書をめぐり、16年間の「内申書裁判」をたたかう。教育ジャーナリストを経て、1996年より2009年まで衆議院議員を3期11年(03~05年除く)務める。2011年4月より現職。『闘う区長』(集英社新書)ほか著書多数。