葉山から、はじまる。

<40>「右手にロマン、左手にソロバン」の暮らし

  • 文 清野由美 写真 猪俣博史
  • 2013年12月6日

 横田美宝子さん(50)が経営する「3p.m.さんじ」は最初、横田さんが生まれ育った平塚に店を出していた。しかし当初から、いずれは葉山の自宅を拠点にすることが目標だった。

 里山に囲まれ、広い庭がある葉山の家は、染色の仕事をしていたときに、「ここなら草木染のアトリエにもなる」と、夫とともに求めた場所。染色から料理にテーマはシフトしたが、創作の発信地に変わりはなかった。

「見た目はホワンとしているけれど、実は綿密に準備しながらバージョンアップし、適応もしていくタイプなんです」と、横田さんは笑いながら自己分析する。

 創意と工夫で何かを作り出すことが好き。なおかつマネジメントもこなす。そんな横田さんの背景には、明治生まれの祖父母がいる。

 父方の祖父は、大磯の老舗で修業した和菓子職人だった。吉田茂の御用達という格式ある店でただひとり、のれん分けを許されて、平塚で「杵家」という店を営んでいた祖父は、毎日暗くなるまで、綿棒を使って和菓子づくりにいそしんでいた。

 その祖父を支えて店を切り盛りしていたのが、気丈な明治女の祖母だ。加えて母方の祖母も、98歳で亡くなるまで和裁の仕事をしていたという手仕事の人だった。

「右手にロマン、左手にソロバン。これ、私の口癖なのですが、確かに祖父母の血を受け継いでいるのかもしれませんね」

 さらに横田さんの周囲には、頼もしい女性のパートナーたちがいる。

 平塚に店を開いたときから、片腕として活躍する店長の田中智子さんは、もとは「友人の友人」だった。学生時代に染色を勉強し、卒業後はタオル会社でテキスタイルデザイナーをしていた田中さんも、横田さんと同じように、あるときから食へと興味が移って会社を辞め、南イタリアでパンとお菓子づくりの修業をした人だ。

「忘れもしません。新幹線の中で友人から紹介されたんですが、話を聞いて即座に『ぜひ一緒に』と、熱くスカウトしていました(笑)。私は、ご縁に恵まれましたね」

 店を助ける8人のパート女性は、子育ての仲間だ。彼女たちは、ラタトゥイユの係、繊細な千切りの係など、得意分野を決めて、できる時間に通う。

 子育ての縁からは、社会福祉法人との新しい仕事も生まれた。きっかけは、葉山にある障がい者就労支援事業所長からの相談。知的障がいを持つ人たちが、収入に結び付けられるお菓子づくりを模索していた所長さんが、娘が通っていた幼稚園の「パパ仲間」だったのだ。

「やるからには、気休めのお菓子づくりではなく、クオリティーや納期などを守り、きちんと対価をいただけるものを」

 そう考えた横田さんは、事業所に通う人たちの適性や素質を見極めながら、それまでの経験を総動員して、売り物になるレシピと、安定した製造ラインを組み立てた。そこから誕生した、卵と乳製品不使用のオリジナル・クラッカー「ベジクラ」は、都心の百貨店とも取引がはじまり、作業所の運営に貢献している。

「起業」というと大げさになりがちだが、横田さんが手がける仕事は、自分が日々暮らす場所を愛し、そこから発信する21世紀型ビジネスのひとつのあり方といえるのではないか。

 とはいえ、横田さんの姿勢はあくまでも自然体。

「私はとにかく“素材”が大好きで、宝石とかブランド品とかには興味がないんです。その代わり、自然の中で、夏はベリー、秋はからすうり、と四季折々の色と形に出合うと、もう、うきうきしてしまって」

 葉山の自然が横田さんの感性を刺激し、「食」をめぐる独自の仕事が生み出されている。

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PROFILE

清野由美(きよの・ゆみ)

ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)など。「『葉山から、はじまる。』取材者だより」はこちらから。


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