山崎亮 〈ハタラク〉をデザインする

過疎の町に東京のIT企業がオフィスを 大南信也(1)

  • 大南信也×山崎亮(1)
  • 2014年2月13日
  

  •   

  •   

  •   

  •   

  •   

 何のために働くのか。シアワセを生み出す働き方とは――。コミュニティデザイナーの山崎亮さんがホスト役となってハタラク・エキスパートたちとの対話を重ねる、連続公開対談「〈ハタラク〉をデザインする」。1月14日に開催された第6回のゲストは、神山アーティスト・イン・レジデンスや神山塾を運営するNPO法人「グリーンバレー」理事長の大南信也さん。じっくりと人のつながりを深めながら「せかいのかみやま」づくりに取り組んできた人ならではの味わい深い対話を展開した。120分のトークライブの模様を5回にわたって紹介する。

山崎亮 会場を見ていると、お知り合いの方もいそうですね。

大南信也 何人かいそうです。

山崎 最初に自己紹介をいただいきたいと思います。

大南 四国、徳島県の山の中、神山町という所からまいりました大南です。最近ちょっと有名になってきたのは、田舎の町なのにITベンチャー企業のサテライトオフィスが10社ぐらい入ってきているというところです。
 神山町が村の合併でできた1955年当時、2万1千人ぐらいだった人口が、今は6100人ぐらいにまで激減しています。町に入ってくる人よりも町から出ていく人の方が多い状態も続いていたんですが、2011年度には、転入する人が転出する人をわずか12人でしたが上回りました。そのことで、全国の過疎化で悩む自治体の人たちから注目されています。

山崎 神山町も過疎化に悩んでいる。それなのに、人口を収支すると10人増えたと。

大南 人口には自然動態と社会動態と二つあって、自然動態、つまり生まれる人の人数から亡くなる人の人数を引いた数は、やはり高齢者が圧倒的に多い過疎の町なのでマイナスが続いています。亡くなられる人が年間150人ぐらいいて、生まれてくる人が20人ぐらいですから、毎年マイナス130人という感じです。それに、社会動態、町へ入ってくる人の数からよそへ出て行く人の数を引いた数ですね、それがやはりマイナス100人ぐらいという感じだったんです。両方合わせると、少なくとも二百何十人という単位で毎年人口が減っていたことになります。でも、今は社会動態の方がプラスに転じたので、減少する人口は年間100人少しぐらいにまでブレーキが利いてきたということです。

過疎の町、「奇跡の人口増」のきっかけ

山崎 過疎の町にIT業の人とかが引っ越してくるというのは、確かに、興味深いですね。

大南 地域で産業らしい産業といえば、道路などの工事を請け負う町の土建屋さん。私自身も、アメリカで大学院を出てから神山に戻り、家業を継いで土建業を続けてきました。山の上の集落の人たちは、道路の計画ができて道路がつながると目をキラキラ輝かせて、「これで便利になったから、ここで生活ができる」とはじめは言う。それなのに、毎年引っ越しする人が続々と出てきたんですね。7〜8年たつと、10戸あった集落が1戸か2戸に。残ったのも独居老人か老夫婦だけ、という状態に。
 私は自分のやってきた事業って何なのかと思いましたね。私たちは過疎を食い止めるために道路をつくってきたのに、結果的には、不便が解消されて便利になると、引っ越しにも便利ということになり、ますます過疎が進行していく。それはどうなのかなと。自分自身は公共工事でメシを食ってはきましたが、むしろ公共工事に頼らんような町のあり方というのがあるんじゃないかと考えるようになりました。それで、私の仕事のウエートは、だんだんと地域づくりの活動のほうに移っていった感じなんですよ。

山崎 アメリカの大学院では、何を学ばれていたんですか?

大南 やっぱり建設の関係ですね。マネジメントとか、建設の材料学みたいなものですね。

山崎 道路を造るとか、町を便利にすることでは過疎を食い止められない、むしろ逆効果なんじゃないかと気づかれて、大南さんが最初に始められたことはどんなことですか?

大南 1991年に行った、日米交流事業です。昔、戦争の影響で世界恐慌がおこり、政治的緊張が高まってアメリカと日本の関係が悪くなった時代に、日本の子どもたちに「青い目の人形」というのがアメリカから贈られた。1927年に1万2739体がアメリカから日本に、はるばる船に乗ってやって来たわけです。珍しい人形なので贈られてきた時は大歓迎されました。
 ところが1941年に太平洋戦争が始まって、今度は逆に、敵国から来た人形だから壊してしまえといったキャンペーンの対象になってしまいました。ほとんどの人形が壊され、全国に残ったのが300体ぐらい。そのうちの1体が私の母校である神領小学校に残っておったわけです。
 私が久しぶりにPTAの関係で小学校に通っていたら、廊下に人形が飾ってあった。校長先生にいろいろ見せてもらっていたら、その人形がパスポートを持っているというんです。アリスちゃんという人形で、そのパスポートにホームタウンは〈アメリカ・ペンシルベニア州のウィルキンスバーク市〉と書かれておった。
 その当時からさかのぼって63年前に送られて来た人形なので、もし10歳の女の子が贈ってくれたとしたら、73歳。その人はまだ生きておられるかもわからんなという思いがあり、ウィルキンスバーク市の市長さん宛てに手紙を書き、その人を捜してほしいという依頼をしたんです。半年ぐらいして「見つかりました」と。それなら64年ぶりにこの人形を一度、アメリカに里帰りさせてあげようということになった。そこでPTAや住民の有志が立ち上がり、子供たちの代表も10人ぐらい連れて、30人でこの人形をアメリカまで連れ帰ったというのが、僕が関わった初めての地域活動ですね。

前ページ

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4

次ページ

このエントリーをはてなブックマークに追加
mixiチェック

Shopping

  • ダイバーシティープロジェクト