【動画】作家・朝井リョウさんから受験生へ=戸田拓撮影

(初出・2014年1月4日朝日新聞デジタル。内容は掲載時点のものです)

 数学、いまだに解せないです。「○○を証明せよ」のみの問題文。デッサンでもするのかっていうくらい広い余白。全然わかんなくてちらっと解答を見ると、いきなり「両辺からどちらも2を引いてみると」って……。「その2はどこから出てきたの!そこを教えてよ!」ってなるんですよね。

 そういう時のために、家の机には、床に投げつける用の辞書を置いてました。間違ったストレス解消法だったと思います。

おなかが弱くて…

 僕が育ったのは、イノシシが出て模試が中断されたこともあるような岐阜県の小さな町。高校ではバレー部に入り、体育祭の応援団を3年間続けました。

 あのころはなぜかテレビ番組のミュージックステーションに異常に執着していて、金曜午後7時58分には、絶対に家にいたかったんですよ。録画してるのに。もしかしたら、Mステに「東京」を感じていたのかもしれません。

 通学は、自転車→電車→自転車でした。当時からおなかがすごく弱かったので、電車に乗っている時間が本当につらかった。例えば便意が音階だとすると、普通の人はドとかレから聞こえますよね。僕はシから聞こえるんです。この原体験で、世界を「トイレがある場所」と「ない場所」に分かつ癖がついてしまいました。受験でも、トイレ問題は深刻でしたね。とにかく受験中はトイレのことを気にしていたように思います。

三者面談で「シーン」

 高校は、いわゆる地方の進学校。たとえば、2年生の3学期を3年生のゼロ学期って言いかえちゃうような感じです。もう受験生だよ、って意味ですね。怖いですよね。もうひとつ怖いことを言うと、職員室に併設された受験生用の勉強部屋の名前が「フューチャールーム」。より怖いですが、便利だから使ってました。

 そのおかげで、先生との距離は近かったように思います。すぐに質問をしに行けたので、塾に行く必要性は感じなかったです。勉強の疑問は学校で解決するようにしていました。そういえば、作家志望を初めて公言したのは高1の三者面談でした。

 「作家になりたいです」って言ってみたら、シーンとなりましたね……。小学生の頃から小説を書いていたのを見ていた母も、さすがに戸惑ったみたいです。当時の担任は国語の先生で、その後、僕の国語の解答を注意深く見てくださっていたようで、とても感謝しています。

 センター試験が終わった頃にも、浪人してでも国立大を目指すかどうか話し合う三者面談がありました。高1の時とは別の先生でしたが、そのときも思わず「早く大学行って早く小説を書きたいので、浪人はしません」って言ってしまったんです。

 先生は一瞬、「は?なに小説?」みたいな状態でしたが、すぐに「あんたが文章書くの好きなのは知ってる」って。「早く東京に行って、好きなことしなさい」と背中を押してくれました。

ベタなセリフも言ったけど

 結局、第一志望の国立大には落ち、早稲田大に進みました。受験勉強自体は、結果的にはこなせた部分もありましたが、冒頭で出てきたような数学の問題や歴史の論述なんかは全然ダメでした。こんな二次関数が何の役に立つんだ!なんてベタなセリフも言っていたと思います。

 けれど、いま考えてみると、確かに二次関数そのものは実生活で役に立たないかもしれないけど、二次関数が解けた分の点数がもらえたことによって、将来への選択肢が増えたんだなと感じます。「東京に出て小説を書く」という目標をかなえられたのは、二次関数が解けた分の5点のおかげだったのかもしれないですから。(聞き手・小林恵士)

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 あさい・りょう 岐阜県出身。早稲田大在学中の2009年「桐島、部活やめるってよ」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。13年、「何者」で直木賞を受賞した。最新作は「世界地図の下書き」(集英社)。現在は会社員として働きながら執筆を続けている。24歳。

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