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井原東洋一さん

 原爆の恐ろしさと愚かさが、地球の果てまで伝わるように――。毎月9日午前11時2分、長崎市の平和公園にある「長崎の鐘」が、平和を願う被爆者らの手で鳴り響く。

 鐘が建立されたのは、原爆投下から三十三回忌にあたる1977年。県内の被爆者5団体の一つ、県被爆者手帳友の会を中心に、被爆者や動員学徒の遺族の寄付金でつくられた。2004年からは原爆が投下された日時に合わせて同会の会員が鳴らしている。

 最大で5万人いた会員は、被爆者の高齢化により、現在は5千人ほど。高齢化のため、鳴らすのを中断した時期もある。しかし、今でも20~30人が元気な顔をみせる。

 「元気ね、悪かとこなかね、という月1回の安否確認です」。会長を務める井原東洋一(いはらとよいち)さん(77)も、鐘のロープを引く列にいつも加わっている。「戦争は絶対にいけない。ましてや原爆は最もひどい無差別殺人兵器。再び使わせてはいけない」。鐘を鳴らす手に、力を込める。

 井原さんは1936(昭和11)年、旧西彼杵郡矢上村(現・長崎市田中町)の小作農家で6人きょうだいの末っ子として生まれた。すでに父の平作さんは56歳、母のカノさんは48歳。遅くになってからの子どもだったため、周りからは「日(へ)暮らし子」と呼ばれた。

 この年、2・26事件が起き、翌年には日中戦争が始まる開戦前夜の時代。平作さんは「大きな名前を付けよう」と、自分の年齢にちなんで、海軍で後に連合艦隊司令長官になる山本五十六の名前をもらおうと考えた。しかし、いくつか名前を書いた紙を茶わんに入れて振り出して占ったところ、次点の候補だった「東洋一」ばかり出てきたため、こちらの名前を付けることにした。

 「とよいち」という読み方で役場に届け出たところ、係の役人が「名前が大きすぎて、大それている。天皇への不敬罪で捕まってしまう」と助言をしたらしい。そこで、戸籍は「とよかず」で登録した。ただ長崎市議になった現在、「とよいち」も使っている。

 井原さんの実家は自分の畑を持たない小作農だった。父の平作さんが腰を悪くしていたため、母のカノさんが天秤(てんびん)棒を肩に担いで家と畑を行き来していた。片方には行きに肥料、帰りに収穫した作物をぶら下げ、もう片方にはいつも井原さんがぶら下げられた。

 実家は十軒ほどの集落の中でも貧しい方だった。4人の姉は諫早の製糸工場などに次々と出稼ぎに行った。物心ついた時には、両親と7歳年上の長男満潮(みしお)さんとの4人暮らし。登校前に野原や道ばたの草を刈り、肥育していた牛に食べさせるのが日課だった。表地が破れた着物を裏返しにして学校に行ったこともある。

 ただ、「ひもじい思い、寂しい思いをしたことは全くなかった」。庭先には、子どもたちがよそのものを盗むようなことがないよう、ザクロやビワ、ミカン、イチジク、柿など色々な果物の木が植えられていた。地面の下には防空壕(ごう)が掘られ、井原さんら小さな子どもたちの遊び場にもなっていた。

 井原さんは1942年、矢上村立矢上国民学校に入学した。学校生活は「戦争一色」。上級生の号令に従って防空頭巾を肩にかけて集団登校し、天皇の写真などを納めた奉安殿に最敬礼した。3年生では大人と同じ長さのゲートルを足に何重にも巻いて歩いた。校長も軍服姿。授業中に先生が突然、「空襲だ!」と叫んで訓練が始まり、素早くいすや机の下に潜り込んだ。上級生は学校の裏山に防空壕(ごう)を掘り、訓練で使う竹を取り、松の根から燃料となる油をとった。同級生は飛行機や軍艦、戦車を競うように描いた。

 集落の人の出征が決まると、神社に集まって武運長久を祈った。出征者が「私が体当たりして来ます」と誓い、「頑張って」と拍手で送った。千人針を渡し、慰問の作文を書いた。4年生になった45年ごろは、戦争で亡くなる人が増え、慰霊の行事があった。校内には、郷土の戦死者の遺影を横一列に並べた一室があった。最初は少なかった遺影が、終戦前には教室の四方を一回りした。

 井原さんの実家は、両親と兄が畑仕事をしていたが、地主に米を納めた後に残るのは、自分たちが食べられる程度の量だけだった。わずかに余ったものを、母や姉が繁華街の市場まで片道10キロの峠を越えて、歩いて売りに行った。

 戦況が悪化するにつれ、食糧難は深刻となっていった。小作ながらも畑があったため、自分たちの食料には不自由しなかった。しかし、今度は逆に、配給だけでは足りない食料を求めて、物々交換するための着物を手にした多くの人たちが、長い道のりを歩いて街からやってきた。

 ある時、良家の娘さんが来たことがあったが、交換できるだけの作物がなかったため、仕方なく断った。すると帰りがけ、牛の餌として残していた里イモの皮を目にした娘さんが、「持って帰りたい」と言い出した。乾燥させて粉にして、団子にして食べるという。「そこまで深刻なのか」と思った。売り物ではないからと、何ももらわずにあげた。

 戦況は悪化していたが、大本営…

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