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篠山 ぼたん鍋の故郷

 城下町を抱く丹波の山並みは乳色の冬霧に包まれていた。

 兵庫県篠山市。盆地の外れに車を止め、3人の猟師と里山に踏み入った。ぬれた落ち葉が埋める斜面を、はうようによじ登る。裸木が寒風に揺れていた。

 「おるか」

 そばに立つ猟師が聞いた。

 「おる」

 先を登る猟師が答える。

 見上げた山腹。ちらつく雪の中にイノシシが立っていた。

 「メンタや」。メスだ。

 「14貫」。52・5キロ。猟師たちの目算は内臓抜きの重さだ。

 息を荒らげた獣がいきなり飛びかかってきた。が、すぐつんのめって転げ回る。左前脚を締めつけた直径4ミリのワイヤが、山肌の木の根に結ばれていた。

 「猪(しし)は怖いで。わなのワイヤもバチンと切られる。命をいただくには、私らも命かけな」

 猟師たちが手首の太さほどの立ち木を身の丈に切り出した。両手で頭上に構え、じわりと近づく。雪は、やんでいた。ふと獣の動きが止まる。その瞬間、生木の先端が弧を描いた――。

 じんと冷え込む時季。猪肉のぼたん鍋に心を引かれ、発祥地のここ丹波篠山に来た。近ごろ多いという飼育肉が目当てではない。名産地の野山が鍛えた肉をカッとかみしめたい。

 天然肉だけを追い求める猟人と、山駆ける命に向き合った。

おいしく食べること それが供養

 山陰道の要所「笹山」に城を築かせたのは徳川家康である。関ケ原の戦いから9年後。大坂城攻略の拠点だった。

 JR大阪駅から快速電車で1時間余り。この盆地を取りまく山影は高くない。だが険しい。丹波篠山の猪肉はその固い山肌にたくましく鍛えられるのだ。

 「いい猪(しし)や」

 村上義一さん(84)がナイフを取り出し、突っ伏した獲物に近づいた。血抜きをした後、内臓を取り出す。この道60余年。名手で知られる鉄砲撃ちは、今はもっぱらわなを使う。銃弾を放つより肉を傷めないからだ。

      ◇

 丹波栗に山の芋。幸豊かな野山を駆けた美食の獣は冬の猟期を前にぐっと肥える。明治の末ごろ、この地で猪肉の鍋が生まれたことが必然に思えてくる。

 ぽっかり空いたあばらの内側に触れてみた。温かい。生きてきた命だと実感する。獣の体温が残っていると蒸し焼き状態になり、肉に臭みが出る。だから山中の凍える池に獲物を浸す。

 「おいしく食べてもらうことが猪たちの供養になる」

 息子の昌広さん(54)が静かに言った。食べるための命は育てない。自然が生み育てた命をいただけることに感謝して、丁寧な作業で命を抜いてゆく。

 人間の食の原点を自覚した。

      ◇

 猪肉の多くは猟師が専門店に持ち込み、飲食店や消費者に売られていく。だが、村上さん父子が捕獲、解体した猪肉を直接仕入れる和食店があるという。

 篠山市内、里山近くの「(八)(まるはち、○の中に八)たにがわ」。予約客を迎え入れる時だけのれんを出す店だった。

 「やっぱ猟師の顔が見える正真正銘の天然もんが一番やろ」と店主の谷川隆司さん(60)。

 もちろん、ぼたん鍋を頼む。

 大皿に咲いた紅白の大輪。ロース肉の濃い紅色が鮮やかだ。秘伝のだしを張った土鍋に赤みそを溶かし、肉と野菜を放り込む。煮立つまで、じっと待つ。

 まずは、野菜。みその甘辛い風味が脳の奥へと駆け上がる。

 さあ、肉だ。一片をかみしだく。口いっぱいに広がるコク。甘みがすっと寄り添う。湯気の中で踊る肉たちは煮込むほどに柔らかくなり、脂身はくずれない。粉山椒(こなざんしょう)を振ってほおばる。うなるほど甘みが引き立った。

 「おいしい言うてもらわな」

 目尻が下がる。肌が火照る。鍋をつつく手を止められない。

 体が、返事をしてくれた。(文・富田祥広 写真・林敏行)

(取材余話から)立ちこめる霧 獣道をたどって

 丹波篠山の朝は寒かった。手元の温度計の表示は1度。だが体感では零下の寒さである。立ちこめる霧のせいだろうか。

 鍋をつつき、体の芯から温まりたい。それも先人たちが滋養強壮源と重宝してきた猪(しし)肉を、名産地で知られる篠山で。この地でぼたん鍋が生まれた必然を感じながら、猟師たちと山へ入った。

 道なき斜面を登り下りするうち、ぬれた落ち葉や朽ち木に覆われた山腹に幾筋かの細い線が見えるようになった。「それが『かよい』や」と村上昌広さん(54)。イノシシや鹿が行き交う獣道だ。ワイヤで獲物の脚を絡め取る「くくりわな」やエサで誘う「おりわな」は、かよいの足跡を追って仕掛けるのだ。新しい足跡なら、獲物が再びそこを通る可能性が高い。

 父の義一さん(84)が腰をかがめて足跡を探す。「猪は賢いで。雪が10センチ積もっていても地中のわなに気づかれる。知恵比べや」。昌広さんも「そう簡単には捕まらん」と言う。犬に追われ山から出てきた獲物を銃で撃つのとは違って、わなを使う猟は人と動物の神経戦。生きた獣に向き合いたいと同行取材を申し込んだが、厳しいのか――。

 予想は外れた。

 3日間同行し、計6頭の野生の命にめぐりあえた。1日に3頭がわなに掛かっていた日も。「こんなに掛かるのは数年に1回や。おたくら、運がええな」。猟師たちも驚く幸運に恵まれたのである。

 わなに掛かったイノシシは逃げようと必死だ。猟師たちの姿を見て、はじかれたように跳ね出した。鼻先で土を掘り返す。歯をカチカチ鳴らす。突き出した鼻先から肺の空気をにわかにはき出す。いずれも威嚇行動だそうだ。

 ワイヤを固く結んだ木の根を中心に半径2メートルほどの斜面がえぐれている。一晩中暴れ回ったか、それとも二晩か。ワイヤが脚を締めていると分かっていても、跳んでこようとするイノシシに何度ものけぞり、斜面を転げ落ちそうになった。

 オスのイノシシに近づきすぎて、牙で太ももを裂かれて命を落とす猟師もいるという。気を失った獲物の血抜きも危険だ。首にナイフを刺し入れた瞬間、正気を取り戻して暴れ出すこともあるらしい。

 冬枯れの森で、人とイノシシの、いや生き物と生き物の命をかけた戦いを見せつけられた。

 捕獲したイノシシを自宅で解体、成形するのは昌広さんの妻悦子さん。皮を少しずつナイフではぎ、あばら骨や背骨から肉を切り離してゆく。1頭の処理に5~6時間かかる根気のいる作業だ。「生きているイノシシは怖いけど、解体するのはお魚をさばくのと同じ感じ」。なるほど。美しくロールされた紅白鮮やかな猪肉にしばし見とれてしまった。

 城下町の風情が色濃く残る篠山…

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