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 「お父さん、放射線って、なに?」。夕食のカレーライスを食べながら、小学生の息子が不思議な表情を浮かべている。新学期のこと。転校したばかりの小学校に、見たことのない大きな箱があるのだという。

 後日、授業参観日で学校を訪ねると、校舎をつなぐ渡り廊下にその箱はあった。放射線の線量率をみる測定器だった。「こんな所にもあるんだね」。妻が不安げに言った。

 2012年4月、記者は福井県にある敦賀支局に異動した。その2カ月前、当時の社会部長に「原発問題に取り組んでほしい」と内示を受けた。1年ほど前に起きた東京電力福島第一原発事故の記憶は生々しい。異動直前に福島の被災地を回り、軒先の洗濯物が干したままの光景を目の当たりにした。原発事故が起きたら……。そんな不安がある中での息子の質問だった。

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 福井県は、形がオタマジャクシに似ていると言われる。しっぽの部分にあたるのが若狭地方だ。嶺南地域とも呼ばれ、国内最多の原発15基(廃炉作業中の新型転換炉「ふげん」含む)が集中している。

 嶺南地域の中心都市・敦賀市は、江戸時代には北海道と関西を結ぶ北前船の中継港として栄えた。明治時代になると、敦賀―ウラジオストクの定期航路が開かれ、東京・新橋との間に欧亜国際連絡列車の運行が始まり、大陸の玄関港としても発展した。嶺南地域が面する日本海・若狭湾はサバやグジ(アマダイ)など京料理に欠かせない食材の宝庫でも知られる。

 そんな交易と漁業が盛んな地域は1960年代に変わる。62年9月、敦賀市議会が原発誘致を決議し、5年後、日本原子力発電が敦賀原発1号機を着工。70年3月に営業運転を始め、大阪・万博会場に「原子の灯」を送電した。

 以後、敦賀半島に敦賀原発1、2号機、日本原子力研究開発機構の高速増殖原型炉「もんじゅ」と新型転換炉「ふげん」、関西電力の美浜原発1~3号機が次々と建った。関電はおおい町に大飯原発1~4号機を、高浜町の高浜原発1~4号機をそれぞれつくった。日本原電はさらに敦賀半島に国内最大級の敦賀原発3、4号機の本体着工をもくろんでいる。

 国の機関や研究施設も数多い。原子力規制庁、文部科学省、資源エネルギー庁の現地事務所があり、絶えず原発の巡回、地元自治体との連絡に飛び回っている。警察も保安上の理由から常時警戒にあたっている。

 原発城下町にあって、敦賀支局は建物の造りからしてひと味違う。壁全体が分厚いコンクリートで覆われており、先輩記者からは「放射線を防ぐためだ」と教わった。1階に非常用ディーゼル発電機があり、2階の事務所には線量計、防護服やマスク、安定ヨウ素剤が配備されている。敦賀市役所が配布する防災ラジオも置いている。原発取材の最前線基地の位置づけなのだ。

 嶺南地域で車を走らせていると、交通標識の文字が目をひく。この地では、原発とは書かない。敦賀原発なら「敦賀原電」、美浜原発なら「美浜原電」と記されている。なぜ、原電なのか。敦賀市の河瀬一治市長に理由を聞いたことがある。「原発は、原爆の言葉の響きと似ている。これを避けている」。河瀬市長は原発を抱える自治体などでつくる全国原子力発電所所在市町村協議会の会長である。原発に対する世論の反発は身に染みてよく知っている。

 似たようなことは、電力会社の言葉遣いにも表れる。使用済み核燃料を再処理し、原発でもう一度使う「核燃料サイクル政策」。関電の八木誠社長は必ず「原子燃料サイクル」と呼ぶ。核は、核兵器の核に聞こえるから避けている、と電力会社の社員から聞いたことがある。文字・言葉一つとっても原発問題はデリケートなのだ。

 原発関連で働く人が多いことも実感した。息子が入っていたサッカークラブは、保護者が電力会社の社員だったり、原発の定期検査で全国から集まる作業員向けの民宿の経営者だったりした。2012年夏の大飯原発の再稼働時には、取材拠点となった旧原子力安全・保安院の現地事務所で、息子の同級生のお父さんにばったりと会った。関電社員、新聞記者と初めて分かり、互いに戸惑いながら「いつも子どもがお世話になっています」と頭を下げたこともあった。

 そんな街で住んでいると、電力会社のボーナスカットなどを聞くと、こうしたお父さん、お母さんたちの顔を思い浮かべた。住宅ローンは、教育費は、とひとごとには思えず心配したのも事実だ。

 多くの地方都市では、盆や年末年始になると、帰省客でにわかに街が活気づく。ところが、敦賀市の場合、普段でも少ない人通りがさらに減る。原発関連で働く人たちの多くが単身赴任だったり、数カ月の期間工だったりするからだ。この人たちが地元に帰る。

 敦賀市の人口は約6万8千人。全国転勤が多い敦賀海上保安部の幹部は「人口10万人以下の街で、これほど全国チェーンのお店が多い所は初めてだ」と驚いていた。幹線道を走ると、大手のレストラン、家電量販店、カー用品店が軒を連ねる。市役所は正確な数字を把握していないが、住民票を持たない人たちが千人規模でいるとみている。

 原発で取材する機会が多かったが、原子炉建屋など放射線管理区域で働く女性の姿はほとんど見たことがない。もんじゅの場合、放射線管理区域がある施設には女子トイレがない。同僚の女性記者と取材する際は、あらかじめ水分補給を控えるようにお願いしていた。男女共同参画が進む時代にあって、原発は男性仕様のマッチョな職場だった。

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 東京電力福島第一原発事故の1年後、原発報道の最前線の一つとなった福井県・嶺南地域。大飯原発の再稼働問題、敦賀原発の断層問題、高速増殖原型炉「もんじゅ」の不祥事……。ニュースの表舞台から見えにくい原発城下町の素顔をリポートします。次回は、原発マネーが行き渡る現場を紹介する予定です。

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 むろや・ひでき 1996年に入社。鳥取支局、大阪・西部社会部、大阪生活文化部に勤務し、警察や司法、教育、社会保障、調査報道などを担当。2012年4月~14年3月、敦賀支局長だった。それ以前は原発取材の経験がなかった。今年4月に大阪社会部に戻り、原発問題を担当している。43歳。(大阪社会部・室矢英樹)