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 明智光秀が主君・織田信長を討った本能寺の変(1582年)の直前、光秀と近しかった土佐の長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)が、光秀の重臣斎藤利三(としみつ)に送った手紙が見つかった。岡山市の林原美術館と県立博物館が23日、発表した。信長が一方的に変更した四国政策を当初拒んでいた元親が翻意し、受け入れるとした内容で、四国政策をめぐる信長と光秀の確執の解明に役立つ史料だ。

 日本史上最大の謎のひとつ、本能寺の変の動機については、個人的な怨恨(えんこん)説や天下取りへの野望説、黒幕説(室町幕府最後の将軍足利義昭ら)など諸説があるが、近年では信長の四国政策転換で光秀が面目をつぶされたとする説が有力だ。

 県立博物館などによると、信長は当初、元親と友好関係を築き、その四国征服を容認。元親の正室は利三の縁戚にあたるため、光秀が元親との取次(とりつぎ)役(外交官)を担っていたが、その後、四国統一に向け急速に勢力を広げる元親を警戒した信長が政策を変更。変(6月2日)の前、土佐と、阿波の南半分のみの領有を認めると命じられたことに、元親が激怒。光秀は信長と元親の間で板挟み状態になったとされる。

 見つかった手紙(縦約11セン…

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