慰安婦問題で韓国の反発が強まったのは1990年6月、参院予算委員会がきっかけだった。ハンギョレ新聞の記事を元に韓国で慰安婦問題に注目が集まる中、労働省の清水傳雄職業安定局長が慰安婦について「民間業者が軍とともに連れて歩いている状況のようで、実態を調査することはできかねる」と答弁。韓国世論は反発し、日本の国会で議論されるようになった。

「政府の関与」

 91年12月には元慰安婦が日本政府を提訴。内閣外政審議室は、慰安婦関連の資料の調査を始めた。河野談話の作成過程を検証した日本政府の報告書によると、当時、韓国は謝罪をするよう打診。日本は「できれば首相が日本軍の関与を事実上是認し、反省と遺憾の意を表明するのが適当」と内々検討したが、対外的に方針を示すことはなかった。

 92年1月11日、朝日新聞は防衛研究所にあった旧日本軍の通達を記事化し慰安所は「国が関与していた」と報じた。政府も同じ資料を7日に確認していたが、11日になって加藤紘一官房長官と石原信雄官房副長官が協議。宮沢喜一首相の訪韓が迫っており、石原氏は「ざっくり謝っておきましょう」と提案した。

 慰安所を使ったことがあるとの話を少年時代に元軍人から直接聞いていた加藤氏は同意し11日夜、日本軍の関与を初めて認める。朝日新聞の取材に「当時の軍の関与は否定できない」と明らかにし、宮沢首相は17日の日韓首脳会談で公式謝罪した。

 日本政府は92年7月6日、前年12月から進めていた調査結果を発表。加藤氏が「慰安所の設置、募集に当たる者の取り締まり、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、衛生管理、身分証明書等の発給で政府の関与があった」と述べた。韓国政府は「努力を評価する」としつつ、「問題の全容を明らかにするに至っていない」と再調査を求めた。

「強制性」

 調査結果の内容に韓国側は「募集時の強制性を含め引き続き真相究明を行うことを求める。証言等で明らかな強制連行が調査結果に含まれていないことへの韓国世論の動向が憂慮される」と注文をつけた。10月中旬にも「『強制の有無は資料が見つからないから分からない』との説明は、韓国国民には真の努力がされていないと映る」。日本は「強制性の明確な認定をすることは困難だが、一部強制性の要素もあったことは否定できない」とする方針を同月下旬に決め、韓国側に伝えた。

 韓国の要求にどう応えるかが、日本の課題となった。

 日本は93年1月から軍や朝鮮総督府、慰安所経営の関係者にヒアリングを重ねた。しかし、関係者は官憲による「人さらい的」ないわゆる「狭義の強制連行」を否定。その後も朝鮮半島に関しての資料は見つからなかった。

 外務省は2月ごろ、「自らの意思に反した形で従軍慰安婦とされた事例があることは否定できない」との内部文書をまとめた。3月の参院予算委員会で、谷野作太郎外政審議室長が「強制は単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖(いふ)させ本人の自由な意思に反した場合も広く含む」と答弁。「強制」を広くとらえる方向で検討が始まった。韓国も前年末には「慰安婦になったのが自分の意志でないことが認められるのが重要」と求めていた。

 日本政府は強制性についての考えや慰安婦への謝罪を表明するため官房長官談話の作成を始めた。韓国が求める元慰安婦への聞き取り調査も「事実究明より真摯(しんし)な姿勢を示し、気持ちを深く理解する」ため実施を決めた。

「お詫びと反省」

 談話は日本の求めに応じた韓国とやり取りしながら作られた。例えば、原案にあった「心からおわび申し上げる」について、韓国は「反省の気持ち」を追加した方が良いとの考えを示し、日本も応じた。一方、慰安婦の募集について韓国が「軍または軍の指示を受けた業者」が当たったと提案。日本は軍ではなく軍の意向を受けた業者が主として行った、との理由で拒否。調整は「事実関係をゆがめない範囲」で進められた。

 ただ、占領下のインドネシアで軍がオランダ人を強制的に慰安婦にしたことを示す軍事裁判資料は参考にした。慰安婦の募集について談話には「官憲等が直接これに加担したこともあった」と記した。

 自民党が結党以来初めて下野した細川政権発足直前の8月4日、河野洋平官房長官が談話を発表した。発表前夜には、韓国から「金泳三(キムヨンサム)大統領は評価しており、韓国政府としては結構である」との趣旨が日本に伝えられた。石原氏は後に「問題は一応決着した」と振り返っている。

 発表された談話は、慰安婦について「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。お詫(わ)びと反省の気持ちを申し上げる」と述べた。韓国外務省は「全体的な強制性を認めた。謝罪と反省とともに、歴史の教訓としていく意志の表明を評価する」との声明を発表した。

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《元慰安婦の方々に対する内閣総理大臣の手紙》

拝啓 このたび、政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジア平和国民基金」を通じ、元従軍慰安婦の方々へのわが国の国民的な償いが行われるに際し、私の気持ちを表明させていただきます。

 いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多(あまた)の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。

 我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。

 末筆ながら、皆様方のこれからの人生が安らかなものとなりますよう、心からお祈りしております。

敬具

日本国内閣総理大臣(歴代内閣総理大臣署名:橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎)

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《河野官房長官談話(1993年8月4日)》

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。

 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多(あまた)の苦痛を経験され、心身にわたり癒(いや)しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫(わ)びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。