慰安婦問題に関して韓国政府は長く、日本政府には「金銭要求はしない」という基本方針を取ってきた。

 93年2月に発足した金泳三政権は、韓国政府が元慰安婦を金銭的に支援する政策を打ち出し、代わりに真相究明や青少年への学習指導などを日本に求めた。

 98年2月、金泳三政権を継いで生まれた金大中(キムデジュン)政権も日韓の友好を重視した。

 この時期、慰安婦問題を日本の教科書で取り上げることをめぐり日本国内で反発の声が上がったが、政権は慰安婦問題を日韓の懸案課題に据えることを避け、外交問題にしなかった。

 2003年2月に発足した盧武鉉(ノムヒョン)政権も基本的にこの路線を踏襲する。

違憲と判断

 ただ、韓国内では、1965年に締結された日韓基本条約の交渉過程を明らかにすることを求める運動が活発化し、関連文書の公開を求める裁判が起きた。

 裁判所が公開を命じたため、韓国政府は2005年8月、韓国側文書を全面公開。同時に、サハリン残留韓国人、元慰安婦、在韓被爆者を、韓国側の財産権放棄を定めた日韓請求権協定の例外とすることを確認した。

 これを受け、市民団体は慰安婦問題について、韓国政府の取り組み不足を問題とする裁判を起こした。

 訴えから5年。11年8月に韓国憲法裁判所が下した決定が、慰安婦問題を再び日韓間の大きな外交懸案に押し上げることになる。

 日本政府は協定によって請求権はすべて消滅したとしていたが、憲法裁は、元慰安婦らへの個人補償が協定の例外にあたるのかどうかを、韓国政府が日本政府と交渉しないことを違憲と判断した。

 もっとも、決定に対し韓国外交通商省は当初、請求権協定に基づき、解釈の違いを正す交渉を求めるにとどめた。当時の李明博(イミョンバク)大統領も、11年10月に訪韓した野田佳彦首相に対して慰安婦問題を提起しなかった。

少女像建立

 ところが状況が変わる。11年12月、慰安婦の支援団体が毎週ソウルの日本大使館前で行ってきた抗議集会が千回を記録した。記念して同所にこの問題を象徴する少女像を建立したことで、日本国内の世論が急激に悪化していった。

 直後に京都で開かれた日韓首脳会談。韓国側は、慰安婦問題のほか、日韓経済連携協定(EPA)や日韓物品役務相互提供協定(ACSA)を包括して解決する案を打診した。しかし、合意には至らず、逆に、日韓首脳が慰安婦問題で応酬する事態に発展した。

 日本側は翌12年3月、佐々江賢一郎外務事務次官が訪韓し、駐韓日本大使が元慰安婦を慰問することや政府予算で元慰安婦への支援事業を展開することなどを打診した。

 これまでの対日要求の水準を上回る提案だったが、韓国側は、「元慰安婦や支援団体などが総意として受け入れる案が必要」として、提案を拒否した。

 同年7月、李大統領の指示を受けた申珏秀(シンガクス)駐日大使らが解決策を探ったが、今度は日本側が態度を硬化させて受け入れなかった。

 さらに、李大統領が翌8月、韓国の現職大統領として初めて竹島に上陸。直後に韓国政府高官が、上陸の原因として慰安婦問題での日本の「不誠実な対応」を挙げたため、日本側は強く反発。日韓双方は、解決を目指して水面下で特使を交換したが、前進はしなかった。

河野談話検証

 13年2月、朴槿恵(パククネ)政権が発足すると、慰安婦問題をめぐる状況はさらに混迷を深めることになった。

 同政権は、安倍政権への不信感もあって日韓首脳会談の開催を拒否した。その間、韓国政府は水面下で、「佐々江提案」に加え、①安倍晋三首相が、自身の言葉で「村山談話と河野談話の継承」を表明する②慰安婦に対する政府予算による支援で「人道支援」という言葉を使わない――を求めた。

 この段階で「金銭要求はしない」とする金泳三政権時代の方針が崩れた。

 交渉も13年12月の安倍首相の靖国神社参拝で途絶えた。

 今年に入り、慰安婦問題を議題にした日韓外務省局長級協議が始まった。

 ところが、今年6月20日に日本政府の河野談話の検証結果が発表されると、韓国政府は日韓の協議内容を勝手に編集したものだと受け止め、態度を硬化させた。

 韓国政府関係者によれば、韓国外交省の趙太庸(チョテヨン)・第1次官は同月23日、別所浩郎・駐韓国大使に対して、「日本政府の信頼性と国際的な評判が傷つくことになる」と批判したという。

 韓国政府は、慰安婦問題に関する白書を出版・公表する準備に入った。