夏目漱石「三四郎」(第十二回)二の四
ふと眼を上げると、左手の岡の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、池の向う側が高い崖(がけ)の木立(こだち)で、その後が派手な赤煉瓦(あかれんが)のゴシック風の建築である。そうして落ちかかった日が、凡(すべ)ての向うから横に光を透(とお)してくる。女はこの夕日に向いて立っていた。三四郎のしゃがんでいる低い陰から見ると岡の上は大変明るい。女の一人はまぼしいと見えて、団扇(うちわ)を額(ひたい)の所に翳(かざ)している。顔はよく分らない。けれども着物の色、帯の色は鮮かに分った。白い足袋(たび)の色も眼についた。鼻緒(はなお)の色はとにかく草履(ぞうり)を穿(は)いている事も分った。もう一人は真白である。これは団扇も何も持っていない。ただ額に少し皺(しわ)を寄せて、対岸(むこうぎし)から生(お)い被(かぶ)さりそうに、高く池の面(おもて)に枝を伸(のば)した古木(こぼく)の奥を眺めていた。団扇を持った女は少し前へ出ている。白い方は一歩(ひとあし)土堤(どて)の縁(ふち)から退(さ)がっている。三四郎が見ると、二人の姿が筋違(すじかい)に見える。
この時三四郎の受けた感じはただ奇麗な色彩だという事であった。けれども田舎者だから、この色彩がどういう風に奇麗なのだか、口にもいえず、筆にも書けない。ただ白い方が看護婦だと思ったばかりである。
三四郎はまた見惚(みと)れ…